目の前の素敵二の腕にゴクリと自分の喉がなる。
格闘家のようなムキムキっと大きく無駄に盛り上がった筋肉ではない、どちらかというと野球選手にみられるような綺麗な筋肉美。
清原ほどではないけれど、いやいや、これはなかなか。
「たまりませんな」
「何がたまらないんだ?」
さすがにジュルリとよだれをたらすようなことはしないが、目的語がわからないように口にだすのは構わないはずだと思わず零した言葉に言葉が返ってきてようやく私の思考を占めまくっている『最高の筋肉』から意識を上昇させる。
そうだ、自分は泥棒だか殺人犯だかを捕まえる(もしくは刺しに)この滅多に使わない客間に乗り込んだんじゃないのかと。
確かドアを開け放つと目の前にやはり誰かがいて、思いっきり叫び声をあげたはずだ。
その後すぐに素晴らしい二の腕に出会ってしまって思わずトリップしてしまったが。
また話が筋肉にいきつつある。
「というか泥棒さん、私の前に現れるとは余裕たらたらですね。あやうくその二の腕が目の前に現れなかったら包丁を思い切りぶっ刺すところでした、良かった正当防衛にならなくなっちゃうものね」
「泥棒さん?二の腕?正当防衛?泥棒というのは俺の事か?」
「鍵の閉まってる我が家に無断で侵入なさってるのならそれは泥棒ってことになりませんかね?私間違ってます?ていうか客間だよ客間、いつのまに入ってきたのさ泥棒さん」
目の前の素晴らしき二の腕から少し目をずらすとなんだかとっても不思議な格好の胴体が目に入る。
変な格好とはいえないはずだ、100年程前までの中国の宮廷人の格好のような姿だから。
しかし服を着ていてもわかる、その二の腕だけではなく全体的になかなか素敵な筋肉をお持ちでいらっしゃる事に。
「その定義は間違ってはいないと思うが、根本が間違ってないか?」
「どこか間違っているところありました?あれー?」
「さっきお前は『我が家』と言ったがそれは俺にも言えるぞ。なんといってもこの箪笥は俺の部屋にある箪笥だからな!」
なんだかおかしいぞオイとここで初めて私はようやくこの目の前の素敵筋肉の持ち主を見てやろうと顔をあげた。
目に入った相手のその顔に私の左手から思わず包丁がずり落ちそうになり、慌てて力をこめて包丁を握り締めなおす。
けれど、冒頭で言ったとおり口に出すのは構わないはずだと再び勝手に自分ルールを作り上げ。
「やばい、めっちゃ好み。ていうか、たまりませんな」
いわゆる目がハート状態になったのだった。
無精ひげが生えているものの不潔な感じがしない(だって筋肉が素敵だからそれだけで許される気がする)
なかなか目鼻立ちも整っていて、本当に私好み。
歳は食ってるようだけどその分渋さがにじみ出ていて大人の魅力に溢れまくっている、ここまで見事だと本当にブラボーと言うしかない。
その上しつこいくらい言っているけれど、筋肉というか体つきが素晴らしい、やはり言ってしまおう最高だブラボーハラショー!
思わず
「泥棒さん、お名前教えてくださいな」
と人生初告白をかましてもおかしくはないはずだ。
「俺か?俺は孫文台という。お前はなんと言うのだ、箪笥の精か?ん?」
「た、箪笥の精……なんかあまり嬉しくない名称だ。いやいやいやいやいやいやいやいや!!!そ・れ・よ・り・も!!」
「なんだ、本当に箪笥の精なのか?箪笥の中に更に箪笥を作って住んでいるのか?すごいな!俺もそちら側にお邪魔してもいいか!?」
どこかワクワクとキラキラした目で見つめてくるカッコイイダンディーなおじさまにうっとこちらが詰まる。
母性本能というわけではないけれど男の人が子供のような態度をとるとどうもこう胸にキュンとくるものがあるのだ。
いや、そういうのは今はどうでもいい。
「そ、孫、文台?というと孫堅?」
「うん?なんだ、やはり箪笥の精は箪笥の精であっても精霊なのだな、俺の事を知っているとは!」
「いやいや、待ってよ。だってここは私の物置を兼ねた客間なわけよ。ドラ○もんのタイムマシンみたいに引き出しあけたら四次元でしたーなんてオチはいらないのよ、必要ないのよ」
「箪笥の精の話す事は難しくて俺にはどうもわからんな。たいむましんっていうのはなんだ?」
とりあえず目の前の素敵筋肉の言葉は置いておいて。
一つずつ整理していこうと思う。
まず、『我が家』の定義について。
私が今立っている場所は間違いなく私の家のちょっと狭い感じのする廊下で、更に詳しく言えば玄関に一番近い部屋のドアの敷居のところだ。
けれど男はここは俺の家だといった。
ふと男越しに本来なら私の物置と化しているはずの部屋を顔を少しだけ突き出して覗いてみるが、どうやら困った事に、非常に困った事に男の言っていることは正しいようで目の前に広がる景色は私のあの部屋ではない。
なんだか石造りのような夏は涼しそうだけれど冬は寒そうな感じのする部屋が広がっているだけだ。
次に、箪笥の中の箪笥という男の話。
私が立っているところと男との間には男の部屋の床よりも一段高いと思われる木の床、つまり箪笥の床と思われるものがある。
それだけではない、ドアの周りを囲むかのようにして木の壁があり天井もあり、少し薄暗い感じがする。
おそらく私の開けたドアは男の言うところの箪笥の後ろの壁、なのだろう。
つまり、もっと簡単に説明すると、今まさに私はナルニア国物語を自分自身で体験しているということになる。
箪笥の向こう側は不思議な世界、ではなくて箪笥の向こう側はダンディーなおじさまが、ではあるけれど。
最後に、この男の名前。
孫文台、そう彼は名乗ったけれどそれを信じるとなると私はドラ○もんまで信じなくちゃいけなくなってしまう。
というかもう「どこでもドア」も真っ青な「どこでもいつでもドア」になってしまっている気がする、我が家の客室だったと思われる部屋のドアは。
孫文台という男は私の記憶が間違いでなければ後に武烈皇帝と呼ばれるようになる呉の王様、だったような気がしないでもない。
つまりだ、ナルニア国物語じゃなくて呉国物語になっちゃてるわけだ。
というかこの顔!声!
どこかで見たこととか聞いたことがあると思えば。
「無双だ、無双の世界だよ。なにこれ。まじありえなくない?」
ドラ○もんがいまだこの世に誕生していないというのに、他の人よりも一足先に私は今不思議体験をしてしまっているらしい。
本当にありえない。