人が安心する音は他人の心臓の音だという。
母親の胎内にいる時に子守唄が如く耳に入ってくる音が母親の心音らしい。
リズムはそれぞれ違えど全身を包み込むような心音は人が人として生まれいで大きくなっても気持ちを落ち着けるのに良い音とされる。


それは人ではなく霊体となった今でも言えることなのかわからない。


人は水の中にたゆたう行為に安堵感を覚えるという。
母親の胎内にいる時に羊水に包まれ何もかもから守ってくれることに安堵感を覚え、その記憶が思い出せなくとも脳に刻み込まれているのだという。
あたたかく気持ちのいい感覚なのだろう、水音は人に守られているという安堵感を与えるらしい。


それは人ではなく霊体となった今でも言えることなのかわからない。



人は他人の体温を感じると心を落ち着けることができるという。
一人ではないという安心感は一人しかいないという孤独を打ち破り、人間になにものにも勝る力を与えてくれるのだという。
生まれいですぐに母親の体温に包まれる人は他人の体温に敏感で、そうしていつまでも求めてしまう。



それは人ではなく霊体となった今でも言えることなのかわからない。














流魂街ではじめて目を開いたとき自分の手は大きな手に包まれていた。
どうしてなんて理由なんて知らない、何年も何年も、果てしなく長い時間が流れたいまでもその理由はわからない、知らない。
教えてももらえなかった、相手もきっとその理由を知らなかっただろうから。
けれど自分はその手を離すことはできず、その手を離した真央霊術院に通っていた間はただひたすらにその手を掴みなおすことを願っていた。
いつからかあたしだけの両腕が右腕だけになってしまって残りの左腕は幼馴染ともいえる少年にとられてしまったけれど、片腕だけになっても離したくなかった。
ひとえにそれはあたしの小さな手を包み込んでくれた手のぬくもりが忘れられなかったからなのかもしれない。
指先から手のひら手の甲を通じて肘へ肩へ、そして全身へ。
彼女の大きかった手があたしの手と同じ大きさになっても、そのぬくもりだけは変わらない。

「・・・・と!」
「ふにゃ・・・・」
「・・もとッ!まぁつぅもぉとぉぉぉ!!

左耳から脳髄へ、そして右耳へ。

「阿呆!お前の頭は音の認識もできねえのかッ!!」
「・・・たいちょ?あれー、どうしたんですー?」
「どうしたもこうもあるか!お前、オレが頼んでいた書類は裁き終わってるんだろうな?ああ?」

ガシガシといまだ開ききらない瞼を手でこすりながらソファから起き上がれば額に青筋を浮かべた自身の隊長の姿。
ソファに腰掛けたあたしの頭と床にしっかりと足を踏みしめている隊長の頭が大体同じ高さにあることなんて今更すぎて笑えない。
笑えば笑ったで何を言われ何をされるかわからない、それも楽しみではあるけれど。

「あはは、書類・・・そんなのありましたっけ?」
「・・・・オレはお前に頼んだよな?所用で少し出かけるからその間にやっといてくれって」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「テヘ!」

かわいらしくペロっと舌をだしてウインクしてみたのだがやはり通じなかった。
ガツンと拳骨と大声が雷の如く頭に落ちてきて、あたしのそう緩くもない涙腺からポロリと一つ水の粒がこぼれた。

「たいちょー、ごめんなさいってばぁ。ちょーっと睡眠不足でぇ」
「ええい、オレにしなだれかかってくるな!しなを作るな!おもっ、おも・・・・・ぐえっ・・・・」
「重いだなんて女性に失礼ですよー、たいちょー。寧ろ光栄に思ってくださいってー、乱菊さんのこの零れ落ちそうな胸で窒息死できるんですからぁ」
「・・・・ひ、ひとごろし・・・・」

真正面からドカンと小さな隊長さんにぶつかってギューギューと抱きしめてやれば、抵抗していた隊長の細い腕がそのうちダランと揺れた。
あらと思って力をこめていた腕を解放してみればすっかり目をまわしてしまった隊長の姿があって、もう一つおまけにあららと心の中で思う。
自分の豊満な胸が原因だということは棚にあげておき、よっこらせと声をだして小さな体を担ぎ上げる。
別にお姫様抱っこをしてもいいのだけれど、もしもそのことがばれてしまったらと考えると米俵のように担ぎ上げるのが一番無難だと思えた。
きっとこれもこれで怒られるのだろうけれど。
小さな白羽織に覆われた体を先程まで自分が横になっていたソファに横たえると、書類書類と確かに自分が寝てしまう前に手渡された書類に目を通しはじめる。
自分の机に向かわず隊長の大きな机で自身の名前を書き込んでいく、きっとこればっかりは許してくれるだろう。
自分の机でやれくらいは言われるだろうけれど、そんなイヤミは小言にすらはいらない。

ふと視線をあげれば隊長の白くて細い腕がパタリと音をたてておなかの上からおちるのが目に入る。
十番隊の頂点に立つ人間でありながら人一倍体の小さい隊長の手はやはり人一倍小さい。
真っ白で、細くて、自分が力をこめてもポキリと折れてしまいそうだった。
ぶらぶらと軽く寝息の振動で揺れる腕から視線をそらすことなく見つめていたのだけれど、ハッと我にかえって机の上に視線を落とせば筆からしたたる墨が書類を黒く染め上げてしまっていた。
怒られるナァとため息が零れそうだったが、書類を書き直すということよりも隊長の腕が頭から離れず結局筆を硯の上に置きなおすと静かに椅子から立ち上がった。
そぅっと、そぅっと。
静かに隊長の傍に寄り、あたしはソファの片隅で揺れる白い腕の先の小さな手に自分の大きな手を伸ばす。
ひやりと冷たい隊長の手はやっぱり小さくてあたしの手にすっぽりと覆われてしまう。

自分の大きな手と隊長の小さな手。
まるではるか昔の自分の小さな手とそしてそれを包み込んでくれた大きな手のようで、思わずふふと笑みがこぼれてしまう。

「・・・松本?」
「あら、隊長、もうおっきですかぁ?」
「あのな・・・お前、泣いてるのか?」
「ハァ?なに言ってるんです、隊長。あたしがどうして泣かなきゃいけないんですよぉ」

でも笑ってるというのにあたしの涙腺はどこか緩んでいるのがなんとなく、頭の片隅でわかってはいた。
緩い、緩いなァ。

「はぁ・・・松本、お前もう帰れ。今日はさんの誕生日なんだろう?」
「やーん、た・い・ちょ!ネエさんだけじゃなくてあたしの誕生日でもあるんですよぉ、今日は!」
「あーそうかそうか。市丸の奴が朝からソワソワしまくっていたから今頃はもう家かもな」
「ギャー!!ギンにさき越される!!それじゃ隊長、あとの書類はよろしくお願いしまーす!!さっすが、隊長。太っ腹ァ!」

隊長がネエさんの誕生日を知っていることはともかくも、ギンに先を越されるのだけはカンベンならない。
墨まみれにしてしまった書類はきっと隊長がどうにかしてくれるだろう。
ちっとも手をつけていない書類もどうにかしてくれるにちがいない。
彼はネエさんの誕生日だけじゃなくあたしの誕生日でもあると知っていたはずで、おめでとうだなんて恥ずかしくて言わないけれど今日ばかりはきっともう怒られないはずだから。
いまだつながれたままだった隊長の小さい手を名残惜しげに離すと、なんとはなしに銀色に輝く前髪に隠れた額に口付けたくなってひるむことなく音を立てて唇を近づけた。

ギャ!!
「ぎゃ、って・・・ちょっと落ち込むんですけどぉ。ま、いいや!じゃ、たいちょ、あとは宜しくお願いしまぁすッ」

そう言って絆創膏まみれの手を振ってあたしは隊舎を自分が出せる限りのスピードで後にした。











「起きた?お乱ちゃん」
「おらん・・・ちゃん?なぁにそれ、なんの名前?」
「・・・・自分の名前覚えてへんの?もしかしてうちのことも覚えてへん?なぁんも覚えてへん?」
「わたし、乱っていうの?お姉ちゃんのことも知らない、ここがどこかも知らない」

大きな手に包まれて目を覚ますと視界いっぱいに人の泣きそうな顔がうつったのを覚えている。
とても綺麗な人だったのに涙で顔がぐしゃぐしゃになっていて、そして、それでも綺麗だと思えた人だった。
あたしのことまで知っているらしい彼女はあたしが知らないと漏らすと、さらに涙をたたえてぎゅっと力いっぱい抱きしめてきた。
彼女の腕は細くて白くてひ弱そうなのに、どこにそんな力があるのだろうと思えるほど力の篭った抱擁だった。
自分の背中が少し湿っぽくなっていくのが自分を抱きしめてくれている人の目から流れているものが原因だと幼心にわかってはいたが、この腕を振り解くのはいけないことなのではないかと思え自然と彼女の白い首筋に自分の額を押し付けたのを覚えている。
甘い、甘い匂い。
頭がくらくらしそうな甘い匂い、はじめて嗅いだことのある匂いのようでどこか知っているような匂いだった。

「あんたの名前、乱菊って言うの。みんなはお乱って呼んでたんよ」
「らんぎく・・・」
「きっとここはあの世ってとこやと思う、もううちもお乱ちゃんも人として生きてへんのやわ・・・かんにん、堪忍な?お乱ちゃん、全部うちのせいや。お乱ちゃんまでここにおるなんて間違っとるのに、ほんまに堪忍な?」

甘い匂いに包まれて、泣きながら謝ってくるあたしを知る人の腕の中でどうすればいいのか、検討もつかなかった。
自分が死んでしまったのは彼女のせいだという、きっとそれは本当の話だったのだと思う。
いまだに生前何があったのか知りもしないし教えてもくれないが自分の名前を呼んでただひたすら謝り続けるという人の手があたたかくて、大きくて、安心できたから。
今の松本乱菊が在るのだと、自分はそう思っている。

ネエさんの心音。
ネエさんの手のひらの温度。

全てがあたしを形作ってそして大きな意味で守ってくれている。









だから








ネエさぁん!!ギンに何もされてないィ!?!?」
「お乱、帰ってきそうそう失礼な奴やなッ!ボクがネエさんに何もするわけないやんか!!」
「ならなんであんた、ネエさんに馬乗りになってんのよっ!だいたいここはあ・た・しとネエさんの愛の巣よッ!不法侵入不法侵入!!出てけーっ!!」

唇と唇があとわずかでくっつきそうというところでギンの体をネエさんの上から蹴りのけ、そのまま蹴り上げながらギンの体を家から放り出す。
ギャ、とかゴンとか、そんな悲鳴っぽい声とかぶつかる音なんて耳には入ってこない。
狐の体が外に転がったら即玄関のドアをピシャリと閉め中から鍵をしっかりとかける。
一つ、二つ、三つ、四つ。
とりあえずこれだけかけておけば安全だろう、ネエさんが鍵をあけない限りは。

「お乱ちゃん、ギンちゃん帰ってもた?」
ネエさん!何度言ったらわかるの、男は獣男は狼!ギンは外見狐だけど中身バッチリ狼だって!!」
「せやかて、誕生日やから言うて贈り物くれたんよ?あ、ちゃんとお乱ちゃんのも預かっとるからね」

そう言って今年も手作りの狐の人形を抱えて微笑むネエさんの姿に玄関先であたしはがくっと首を落とすほかなかった。
毎年ネエさんの誕生日に手作りの狐人形をプレゼントするギン、今年の人形は遥か昔よりも格段に上手に仕上がっていてそして去年以上にファンシーだ。
ネエさんの部屋には狐の人形が溢れかえっている、どんなに不細工なものでも一つとして捨てたことなんてなくギンはそれを見るたびに幸せそうな顔をする。
けれどそれを悔しいとは思ったことはない。
背後でギンが開けろとばかりに玄関の扉を叩いているがすっぱり無視して、ネエさんの背中を押して家の中に入る。
どうせそのうち力任せにあの幼馴染は家に入ってくるのだからそれまでは、と思うのだ。

「せや、お乱ちゃん、誕生日おめでとうな。これ、うちから。今年は月下美人の花にしてみたんよ、どうやろか?」

そう言って部屋の奥から取り出してきた小袖をあたしの体にあてるネエさん。
ギンが毎年ネエさんに手作りの狐人形をあげるように、ネエさんは毎年あたしに手作りの小袖を仕立て上げてくれる。
一枚一枚丁寧に仕上げてくれる小袖は一つ残らず宝物のようにしまっている、何にも勝る宝物だ。

「ふーん、お乱はやっぱり黒が似合うわぁ」
「ギンちゃんもそう思う?やっぱりこの子は黒が一番似合うんよね、ふふ、頑張った甲斐があったわぁ」
「それよりネエさん、ボクおなかすいたぁ。お乱のご飯しかないんやろから我慢するけど、はよ食べよ?お昼抜いてきてんよ」

いつのまに玄関をこじ開けたのか隣に立ったギンは駄々をこねる子供のようにネエさんの腕をくいくいっと軽くひっぱっる。

「ギンちゃん、折角お乱ちゃんが作ってくれたご飯やし。そんなこと言わんといて?毎年おいしいおいしい言うてるやないの」
「そうよそうよー文句垂れるくらいなら食べるなギン!人が折角昨日の晩から頑張って作ったものを・・・」
「ふーんだ、ほならその両手の絆創膏はなんやの?ちょっとは進歩したらええのにィ」
「ほら、ギンちゃん、そないなこと言わんと。お乱ちゃんの料理おいしいんやから、ね?」

ネエさんに宥められて口をとがらせたまましぶしぶ大人しくなるギンに、絶対皿の中にぞうきんの絞り汁をいれてやることを決意し。
ネエさんの背中に向かって、名前を呼んだ。
くるぅりとゆったりとした動作で振り返るネエさんにあたしは飛び込んでぎゅっと抱きしめる。

「ネエさん、誕生日おめでとう」

あたしの手を包み込んでくれた大きな手はあたしよりも小さくなって、あたしを包み込んでくれた体はあたしの腕の中にすっぽりと納まって。
それでも聞こえてくるネエさんの心音と触れ合える暖かい体温に、また涙腺が緩みそうになる。
毎年、この日だけは。








大きくなっても、どれだけ時が経とうとも、手放せないのだ。







「お乱ちゃんも、おめでとう」











乱菊さんの義理姉(でも実は…)主人公でハッピーバースデー。
昔この設定でお話を書こうとして断念したので懐かしがりながら作成。
いつか時間があれば色々書いてみたいです。

とにもかくも、9月29日、松本乱菊お誕生日おめでとう!!