弓親の影が障子越しに消えていくのを見送って、一角はゴクリと喉を鳴らした。
鳴らしたというのは正しい表現ではない、勝手に鳴ったのだ、緊張の余り。
一角の目の前にはふわふわとピンク色の髪がなびいている、格子の隙間から入ってくる風は一角の火照った頬に当たるとちょうどいい涼しさだった。
弓親の出て行った障子に顔を向けているの後ろ姿を見ているだけで、一角の心臓は今まで経験したことがないほど激しく脈打つ。
肩よりも長い髪に隠れてうなじが見えるわけでもない、風がきつくて着物の裾がめくれているわけでもない。
けれど一角はどうにも気恥ずかしくて奥歯をしっかりとかみ締め配膳に視線を落とすほかなかった。
こんなの自分じゃねえ、そう思えば思うほど気恥ずかしさが一等激しくなっていくのだ。
「あの、お口にあいませんでした?お膳のほう、あまり手をつけていらっしゃらなかったですけど」
「うひゃあ!!」
部屋には二人しかいない、明らかに自分に話しかけてきたのだと慌てて顔をあげれば少し離れた場所に腰を下ろしていたはずのが自分の目の前に両膝をついて首をかしげているのが思い切り視界にはいり一角の口からは情けない叫び声だけが漏れた。
一角の叫び声に目の前に膝をついているは大きな瞳をさらに大きくぱちくりと開き身動き一つしない。
呆れられた、俺はどこの女だよと一角は自分の顔が、頭が、真っ赤に染まっていくのがわかっていながらも弁解すべき言葉がうまく思いつかないことに激しく落ち込んだ。
これが知っている人物ならば「なんだテメェじろじろ見てんじゃねえ」で済むのだが、そんなことに言えやしない。
「あー、っと、いや、あの・・・・うまい、です」
「・・・・はぁ」
やはり呆れられたと彼女の返答に一角は今すぐ自分の首を絞めてほしいと部屋を出て行った弓親に願った、彼は笑顔で断るだろうが。
いたたまれないいたたまれないいたたまれない逃げ出したい。
手のひらはいつのまにかじっとりと湿っていて、たまにふるふると意識なく震えているのがわかる。
「あの、」
「一角さん、以前私とお会いしたこと覚えていらっしゃいます?」
緊張はしている、けれど無言の空間にだけは堪えれなく話題もないのに口を開いた一角の言葉を遮るかのようにが口を開いた。
膝立ちしていたはずの彼女はしっかりと一角の配膳の前で腰をおろしている、膝の上で白い手が組まれていて一角の視線は一瞬そこで止まったがすぐに彼女の顔へとあがっていく。
と一角は今日こうして会う以前は二回しか顔を合わせたことがない、口をきいたことなぞ無いに等しいといっても過言ではない。
それでもその二回は一角にとって忘れられない出来事で、さらに言えば前回の会合に至っては一角の心に大きく傷をつけた出来事でもあった。
覚えていないはずがない。
「覚えて、ます。流魂街と統学院の二回、更木隊長に喧嘩ふっかけた時と副隊長とその・・・」
「その節は私、一角さんにひどいことを言ってしまって・・・本当に申し訳ありませんでした」
「うへあ?!」
統学院での出来事を言いづらそうにしていた一角にはこれまた先程同様言葉を遮ってスッと一角の目の前で頭をさげた。
さらりとピンク色の髪が畳につくのを見て、ようよう一角は彼女が自分に向かって頭を下げているのだとわかるとこれまた恥ずかしい叫び声をあげた。
慌てて彼女の上半身を起そうと両腕を前に差し出すも、このふわふわの彼女に自分のごつい手が触れてもいいものかと躊躇し戸惑ってしまう。
触れるか触れないか、微妙な位置で一角の手が動く、はそんな一角の葛藤になぞ気付きもせずただ一角に頭をさげるのみである。
すっとの頭があがりそうになるのに気付いて一角は慌てて自分の両腕を自分の背中に隠す、やましいことなどしていないはずなのに『触れる』という行為さえやましいことに含んでしまいそうに感じる。
「剣八に後で叱られたんです、やちるに過保護すぎるとか一角さんは幼女趣味じゃないとか。あのとき、咄嗟とはいえひどいことを本当に言ってしまって…謝りに行こうと思ったんですけど家をでようとするとやちるに怒られてしまって」
「あーいや、あの・・・誤解が解けたならそれでいい、です、はい」
内心それでいいわけあるかとブーイングの嵐ではあるが、それはほとんどやちるに向けてのものであって決してに向けてのものではない。
ただに暴言を吐かれてからの年月のことを考えるとやちるへの恨みつらみがひしひしと湧き上がってきていつか必ず復讐を、と思いはしたのだがただそれだけやちるにとっての存在が大きなものであるということを思い知らされたのも事実だった。
義理とかそういうものでは括れないのが恋だったり愛だったりするのだろうが、あの幼い少女に大切な人を奪い取られてしまうかもしれないという恐さを味あわせるのは一角にとって眉をひそめるに値することでもあるとも思えた。
「その、副隊長のこと大事なんスね」
「はい、やちるは私にとって全てなんです。周りには変わり者と言われているんですけど、あの子が私にとってかけがえのないものなんです」
「・・・副隊長もそう思ってるはずですよ。しょっちゅうちゃんがちゃんがって騒いでますから」
綺麗な笑顔でやちるのことを話すさんにつられて一角も思わず頬を緩めてしまう。
顔の火照りは収まりそうにない、なんせ想い人の笑顔直撃だ。
背中の後ろに隠した手をもぞもぞと動かしながらニヘラと笑う自分に一角は思わず自分で自分の頭を殴りたくなったが。
ただそう言われてしまうと余計に恋する人間としては諦めるに諦めきれなくなる部分というのがでてくるもので、幼女相手にヤキモチとまではいかないまでも何かしらの形にしたいとは思ってしまうものなのかもしれない。
一角の想い人であるはやちるの存在が彼女の命にも等しい存在で、一角にとっての存在は天上の華とまではいかなくとも諦めきれない存在であった。
勝負事は必ずはっきりとした結果を出さなければ落ち着かないタチな一角としてはここでハイそうですか副隊長には勝てませんと諦めるわけにはいかないのだ。
幸い統学院でのあの忌まわしい出来事に関しての誤解は解けているようで、恐らく彼女は一角に対してもう変態だとかロリコンだとか最低な男だとかそんなマイナスイメージは抱いていないはずなのだ。
決着をつけるのは今しかない、一角の単純な脳はピンとそんな考えをはじき出した。
「あの!」
単純すぎて間違えているとは考えつかないらしい。
「オレのガキ、産んで下さいッ!!副隊長似でも構いませんっ!!」
廊下からズデッと何かが倒れる音が聞こえてきたが、それ以外の音がこの家からなくなった。
頭皮が畳で擦り切れるほど上半身を折り曲げた一角の前ではぽかんと一角のキラキラ光る頭を見ていた。
副隊長似でも構わないという文句がついているところが一角らしいといえば一角らしいのかもしれない。
「無理です」
男らしく土下座で決めての一角の告白、というのを通り越したプロポーズに即答で答えがかえってくる。
一角は頭をあげることなくジリと頭皮をさらに畳で痛めながらしばし無言を通した、肩と腕が、いや上半身そのものがフルフルと震えていたが。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・あの、一角さん?」
「・・・・・・・・」
「ごめんなさい、私子供は産めないんです。えーと、妊娠っていうのができないんです」
再び小さくごめんなさいという彼女の声が一角の耳に入ってくる。
妊娠できないというのは体内構造の問題か、はたまたもっと違う問題なのか、それはわからないが一角の崖っぷちの恋は更に谷底へと近づいた事は確かだった。
両手で崖にぶら下がっていたはずがいつのまにか片手一本でぶら下がっていた、そんな感じだった。
しかし後に引くことができないというのはこういう状況なのか、それとも緊張と興奮と羞恥とあと諸々、いろいろな事が頭をぐるぐると駆け回って冷静な判断をくだせなくなっているのか。
恐らくどころか確実に一角は後者に当てはまっていた。
「ならっ、なら、ガキはいいです!オレと結婚してください!!」
お付き合いという選択肢が頭の中に浮かばない程度には。
「それも無理です、ごめんなさい」
そしてからの返事もこれまた即答で、一角の頭皮はさらに痛めつけられることになる。
「・・・副隊長がいるからですか?それとも更木隊長ですか?」
「剣八がそこで出てくるのはよくわからないですけど、やちるも剣八も関係ないといえば関係ありません。やちるに関しては関係あるといえばあるかもしれません」
「・・・・・・うっ・・・」
「わわ、あの、一角さんが嫌いとか一緒にいたくないとか付き合いたくないとかそういうわけじゃないんです」
そういう訳じゃなくても確実にのその言葉は一角の片手一本で崖にぶら下がっているその片手にぐさぐさと斬魄刀を突き刺しているようなものだった。
一角の濡れたような声に慌ててが一角に近寄り畳にこすり付けている拳の一つにそっと白い手を伸ばす。
冷たく白い手が触れた拳はあまりにも強い力で握り締められているからか真っ白になっていて手の甲には血管が何本も浮き出ているのがよく見えた。
「結婚とかお付き合いとかできないんです。結婚してたり死神とお付き合いしてたりって仲間でも誰もしていないんです、私もきっとできません」
「できないって、流魂街でだって瀞霊廷でだって結婚できないヤツなんて・・・」
見たことありません。
一角はそう言うつもりようやく顔をあげ、思った以上に近い場所にの顔があることに再びビクリと体をふるわせた。
額からは畳にこすりつけすぎて皮がめくれ血がだらだらと流れ、畳に打ち付けられたままの左手は彼女の白い手に包まれたままだったが一角は気に留めていないのか、はたまた気付いていないのか、目の前に存在する想い人の顔をここにきてはじめて間近でじっくりと見ることになった。
しかし、
「一角さん、もしかしてやちるからも剣八からも何も聞いていらっしゃらない・・・んですか?」
なにかに思い当たった節でもあるのかは形の良い眉をひそめ、更に体を乗り出し顔を近づけ口を開いた。
彼女が前に乗り出した分だけ一角は背をのけぞらせたが、隊長副隊長からのことに関して何かどころか名前以外ほとんど聞かされたことなぞないとブンブンと首を横に振れば彼女はそんな一角の様子を見てハァとこれ見よがしにため息をこぼした。
彼女のため息に一角は最悪なイメージしか思い浮かばず、思わずそのまま意識を飛ばしてしまいたいと願ったのだが
「私、やちるの斬魄刀なんです。なのでなにをどうやっても一角さんの子供は産んであげられませんし、結婚もお付き合いもできません」
のその一言に口から飛ばしかけていた白いもやもやが驚きのあまり再び口の中に戻ってくる。
ごくん、と飲み込んだエクスプラズマに一角は、まるで暑い日の犬のように息を何度も吐き出し
「嘘ォォォォオオオオオ!!!????」
「嘘ッ!?」
バスンと障子を開け放った弓親と同じタイミングで絶叫した。
こうして斑目一角の片思い、もとい崖っぷちの恋は見事谷底、それも底なし、に転落という形で終わりを見せた。
両手両足の指を足しても足りぬほどの時間を片思いに注ぎ込んできた男とそんな男に付き合ってきた男はこの日尸魂界に新たな伝説を作った。
斬魄刀に恋をした男、斑目一角の切なく甘酸っぱく、そして悲しいお話はこれにておしまい。
たまに11番隊の隊舎に行けば副隊長の斬魄刀を哀愁を漂わせながら手入れする男の背中を見かけることができるかもしれないが、そうっとしてやってほしい。