三顧の礼:才能のある人物を得るために、地位の高い人物が何回も訪問し礼を尽くして迎え入れること
今現在、三顧の礼は故事成語として世に知れ渡っている。
が、そもそもは遥か1800年前の207年に劉備が無官だった諸葛亮を迎え入れる為に義兄弟とともに三度彼の草庵をたずねたことを意味する歴史的事件・・・である。
一度目の訪問では彼の草庵はもぬけの殻もとい家族そろって留守だったようで空振り。
二度目の訪問では彼の弟である諸葛均だけが在宅しており諸葛亮宛の手紙を託し帰宅、まあいわゆるこれまた空振り。
そして、三度目の訪問では―――
「兄者ァ、今日こそその諸葛ほにゃららって奴がいるといいなァ。俺ァ珍しくそいつの草庵までの道程覚えちまったぜ?」
「諸葛ほにゃららではなく諸葛孔明だ、翼徳。まあ道程を頭に入れただけましなのであろうが・・・」
「雲長、ましだなどとそのようないいようでは翼徳が可哀相ではないか。せめて、よしよしえらいな翼徳、くらい言ってやってくれ」
「玄徳兄者が一番ヒデェ・・・すんげぇ笑顔で言うことじゃねえよ・・・」
がっかりと熊髭の男が肩を落とせば隣を歩いていた男二人が体を震わせて声をあげ笑う。
道行く人たちはすれ違う見たことのない三人組に怪訝そうな顔を向けるも、その楽しそうな笑い声にすぐまぁいいかとばかりに顔をそらしていく。
英雄跋扈しと同時に平穏を得難いこの時勢で笑い声とは人の心にすとんと入り込み、そして伝染していくのだ。
絢爛豪華な装束とは言わないまでも只者ではない雰囲気を醸し出している三人組はそれからも笑い声を絶やすことなくとある草庵に向かって歩みを進めてゆく。
馬に乗っていこうという張飛にたまには徒歩でと自分の身分を省みず笑顔で言い放った劉備、そしてその義兄の『我が侭』に仕方ないかと早々に諦め徒歩で行く事を了承した関羽の三義兄弟は人里離れた竹林の中にある庵はもう目の前に見えている。
一度目の訪問では目的の諸葛亮どころか誰一人家にはおらず収穫なし。
二度目の訪問ではその弟だという人物がいただけで諸葛亮本人は留守でこれまた収穫なし。
三度目の正直とはよくいったものだと三人の誰もが思っていたが、とくに劉備に関しては今日こそはというなにかしら予感めいたものを感じていた。
「大丈夫だ、翼徳。今日は絶対にかの人に会えるぞ」
「絶対っつったってよぉ、兄者。いってぇ何の根拠があるってんだよ」
「えー・・・勘?」
「っかー!!勘かよぉ、ったく兄者らしいっつったら兄者らしいけどよぉ・・・折角の新年だっつうのになんでわざわざ男に会いに行かなきゃならねえんだよぉ」
「何を言うか、翼徳。あの水鏡先生が推して下さった人物なのだ、さぞや才あふれる人に違いない」
「雲長兄者まで・・・くっそー、良い奴だったらいいんだけどなァ」
空を仰ぎながら口を開く張飛を横目に見つつ劉備は笑みをたたえポンポンと自分よりも大きな背中に手を添えた。
そう不貞腐れるなとも付け足して。
「兄者、庵が見えてまいりましたぞ。今日こそ諸葛亮なる人物に逢えるといいですな」
「逢えるさ、雲長。今日は絶対に逢えるぞ、空を見てみろ。まるで祝福してるとばかりにからりと晴れ渡っている」
隣を歩く張飛と同じように空を仰ぐと劉備は笑みを深めた。
その『まるで祝福している』かのようなカラリとした晴れ空がネックになるとは知らずに。
「・・・・・・兄者、あの木の下に人が。先だってお会いした彼の弟なる人物とは違うようですぞ」
関羽が指差す方には確かに白い服に身を包んだ誰かが腰を下ろしている、投げ出されている両足の上には竹簡が広げられており、しかし同じように投げ出されている両腕がぴくりとも動かないところを見ると完全に寝入ってしまっているらしい。
顔は俯いてしまっていて三義兄弟のほうからはうかがうこともできない。
風がそよそよとふけば世にも珍しい肩のはるか上でバッサリと切られている黒髪がサラサラと流れるようにして靡いていく。
「・・・・・・・寝ちまってるみてえだなァ、どうする?兄者、起こすかァ?」
「うむ、折角気持ちよく寝ているところを申し訳ないがいつ起きるかもわからない故、兄者、それがしが起こしてまいろうか?」
ボヘッと目の前で風に吹かれながら木陰で眠る人物を見つめていた劉備は覗き込むようにして視線を合わせてきた関羽の目とバチリと視線を合わせると、どこか慌てふためいてあーだのいやーだのはっきりしない言葉をつむいでいく。
「いや、折角気持ちよく寝ているのだ。それに私たちが会いたがっているということは伝えてはあるがいつ尋ねるかなどは伝えていないのだ、先方にしてみれば突然の来訪にあたるだろう。彼が、諸葛亮殿が起きるまで私はここで待っていよう」
「げっ、兄者ァ・・・いつ起きるかもわかんねぇのに待つってのかよぉ・・・さっさと叩き起こしゃいいのによぉ」
「そういうな、翼徳。今日はまだ時間もある、今日が駄目ならまた次だ。それに・・・こんな良い天気なのだ、眠りたくなる気持ちはわからないでもない」
そう言うと劉備は寝入っている人物がよく見え、それでいて庵から少し離れた木の下に腰を下ろしかの者と同じように両足を投げ出した。
兄者ァと情けない声をだした張飛もふわあと大きなあくびを漏らすと、まぁ確かになとあくびをこぼしてしまったことを照れて隠すかのように頭をぼりぼりとかきながら劉備の隣にどっかりと腰をおろした。
関羽は何も言わず劉備の隣で腰をおろさず木にもたれかかるようにして立ち、三人の前であいも変わらず俯いたまま寝入ってしまっている人物に目を向ける。
どれほど時間が経ったのか、いやほとんど経ってはいないのだがふっと関羽が視線を下にずらせば鼾をたてながら眠る義弟とうつらうつらと舟をこぐ義兄の姿が視界にうつる。
それにフッと笑みをこぼすと関羽もスッと目を閉じ
そして、ハッと気付いて目を開けば明るかった空はすっかり燃えているようなあかい色に変わりつつあって彼は慌てて足元ですっかり気持ち良さそうに鼾をかきながら地面に横たわる二人の義兄弟を文字通り叩き起こした。
義弟は案の定あともう少しだのなんだとごね、義兄はあくびを漏らし目をこすりながら起き上がる。
それも空がすっかり暮れそうであるということに気付くとヒャアといつもの彼からは考えられないような叫び声をあげ、慌てて上半身を起こし少し離れてはいるが目の前で寝ていただろう人物のいた場所に顔を向ける。
慌てる劉備と関羽をよそに、彼らが来た時には既に寝ていた人物は空が暮れかかり風も冷たいものになろうとしているのにいまだ同じ体勢のままでいまだ夢の世界にいるらしい。
「・・・・・・・起こしたほうがいいかなぁ、雲長」
「・・・・・・・そうですな、いくらなんでも起こしたほうがいいかもしれないですな兄者」
「・・・・・・・ホラ、あんなに良い天気だったからな・・・つい・・・・」
「・・・・・・・気持ちは嫌ってほどわかりますぞ、とにかく今はかの諸葛亮殿を起こすことにしましょうぞ」
いまだ地面の上で腹をぼりぼりと掻きながら眠る張飛を見ない方向で劉備と関羽はそろりそろりと白い衣に身を包んで眠る人物に近づくとそっと手を肩にふれ
「もし?・・・・諸葛亮殿?」
軽くゆさぶった。
最初の揺さぶりでは眠っている人物は起きることはなく、一度顔を見合わせた二人は今一度先程よりも強く肩を揺さぶった。
「もーし!諸葛亮殿ォ!もーしもーーーし!!」
「・・・・兄者、そんな大声を張り上げなくても・・・」
大きく揺さぶった事が功を奏したのか、はたまた寝入っている者の耳元で劉備が大声を張り上げたことが功を奏したのか、それはわからないが誰よりも睡眠時間を摂取しているだろう人物はようよう小さく声をもらした。
ん、と小さな声とともにゆっくりと項垂れていた頭が起き上がり劉備と関羽の前にようやくにしてかの者の素顔がさらされる。
パチクリと寝起きの顔を見られた人物は目の前にある見知らぬ顔二つに大きく目を見開き、そしてゆっくりと緊張感のないあくびをもらした。
「ふわぁぁ・・・あまりにも良い天気でついうっかり寝てしまいました・・・」
「本当に、よい天気ですからな。私も先程までついうっかり寝てしまいましたよ」
「ああ、貴方もですか。風も心地よく寒くもなく本当によいお昼寝日和でしたね」
「ええ、まったくです」
「兄者、和んでるところを申し訳ないのですが・・・本題に入ってもらえませんかな?居眠り談義はまた後でもできましょう」
見知らぬものが二人も目の前にいるというのに白い衣に身を包んだ人物は驚くでもなし怖がるでもなし、ただ少しぼんやりと焦点が合わない目でへらりと笑う。
「ところで、どなたです?はじめて見る方のようですけど」
「「いや、遅いって」」
「迷子ですか?今からでした日が暮れる前には近場の村には出れますよ、道をお教えしましょうか?」
「いや、私たちは」
「このあたりは暗くなると狼がでますから気をつけてくださいね、ほら、あそこで人が既に狙われてます」
そう言って諸葛亮らしき人物が指差した方に劉備と関羽が顔を向ければぐっすりと鼾をかいて横たわる張飛とそれに今にも襲い掛かろうと群がっている灰色の獣達の姿が視界にはいる。
「ギャーーーー!!翼徳!翼徳ぅ!!」
「うおおおお、翼徳!起きろ、起きぬかァァ!!」
慌てて関羽が自身の獲物を片手に張飛めがけて走っていき、ぶんぶんとその獲物を振り回す。
「ふふ、間に合ったようですね」
「・・・・・もう少し早く教えて下さっても良かったのでは?諸葛亮殿」
パンパンパンと関羽に両頬を張り倒されている張飛を見ながら笑みをたたえている目の前の人物に劉備がそう言えば、目の前の人物はきょとんとした顔になり「諸葛亮?」と小さく呟いた。
おやと不審に思いながらも劉備は張飛のことは関羽に任せ、目の前の人物に向かって拱手をし頭を下げ口を開く。
「先だって諸葛均殿と仰るかたにはお会いしたのですが、劉玄徳と申します。水鏡先生に薦められ諸葛亮殿にお会いしに参りました」
「水鏡先生っていいますと司馬徽様ですか?」
「貴方の師だと聞きました、先生に諸葛孔明と寵士元こそが隠れた才だと教えられこうして参った次第です、諸葛亮殿」
スッと下ろしていた頭をあげると目の前の人物は寝起き同様パチクリと目を大きく見開いていて
「諸葛亮、ですか?」
的外れなことを口にした。
やはり何かおかしいなと戻ってきた関羽と両頬がぱんぱんに腫れあがっている張飛を隣にして、劉備は今一度口を開く。
「あの・・・貴方が諸葛亮、殿ですよね?」
「私ですか?私は貴方がお探しの諸葛孔明ではありませんよ、家人ではありますけど」
「あれぇ?」
「「あれぇって兄者ァ!!??こんな時間まで一体ッ!!」」
両隣から兄者コールが始まり劉備はたまらんとばかりに耳を両手で塞ぐ、ついでに目をぎゅっと瞑ってしまったのは条件反射としか言いようがない。
しかし言い訳をするわけにはいかない、確かに勝手に目の前の人物を諸葛亮だと思いこみ(ただそれは関羽と張飛も同じなのだが)起きるまで待っていようと言ったのは劉備自身なのだ。
ただしその劉備に従ったのは関羽と張飛自身でもあるのだが、それぞれ互いに義兄弟に甘い男である、そこらへんは軽くスルーというか寧ろ記憶からすっぽぬけているかのどちらかである。
「お三方、諸葛孔明に用があるのですよね?呼んでまいりましょうか?」
おかしな三人組を目の前に、諸葛亮の家人だという人物はくすくすとおかしそうに笑いながら劉備に問えば劉備は少しだけ耳から手を離すと「お願いいたす」と口を開きまたもやすぐに耳を塞ぐ。
わかりましたとばかりにニッコリと三人に向かって微笑んだ人物は立ち上がるでもなく草庵のほうに顔を向けると大きく息を吸い込んで
「こぉめぇくーん、お客さんですよォ!!」
大きな声を吐き出した。
おおおと驚く三人の目の前ですぐに草庵の入り口がガタリと音を立てて開こうとしたのを見て、劉備は慌てて立ち上がり残りの二人もつられて立ち上がる。
大幅に時間を無駄にしてしまったもののとうとう本物の諸葛亮に会えるとキラキラと目をかがやかせながら見つめる劉備の視線の先で
「なんです、そんな大声をはりあげて・・・夕餉はまだですよ、ちゃん」
手製の吹子を片手に白い割烹着と三角巾を身にまとったチョビ髭の男が姿を現した。