吹子に割烹着、三角巾の出で立ちで現れた男に劉備たちは一様に「えぇ!?うっそぉ!?」と声をあげた。
いや、女子高生みたいな声をあげたのは劉備だけで関羽はぽかんとしていたし張飛にいたってはよくわかってすらいなかった。
「孔明くん、お客さんみたい。ほら、この間均ちゃんが言付けもらってたでじゃない?その人みたいだよ、おうちの中いれてあげて。時間も時間だし晩御飯も食べていってもらいなよ!」
「いやいや、三人分しか作ってませんから私。均はともかく、ちゃん以外の人間に私の手料理は勿体無いじゃないですか。ああ勿体無い勿体無い」
「孔明くん、相変わらず心が狭いね。いいじゃない、折角来て下さってるのに!」
「やぁですよ、私は作りません!均の分と私の分とちゃんの分だけで手一杯なんです。だいたい材料ありませんもん」
「本当に孔明くん冷たい!だから弟しか友達がいないんだよ!!」
三人の目の前で繰り広げられる会話に、さすがに今度ばかりは三人揃って頬を引き攣らせるしかなかった。
これってなに?もしかして初対面なのに貶されてる?ていうか弟って友達っていうの?いやいやいい歳した男がもんとか言うなよ第一根本的に惚気にしか聞こえないっつうか。
三人の心は荒れ狂った。
ちゃんとやらはしまいにはぷくっとばかりに両頬を膨らますと、孔明君のバカ!とだけ割烹着の男に叫びくるりと三人に体ごと振り返る。
三人が諸葛亮だと勘違いしていた人物の身長は低いためその頭越しに恐らく本物の諸葛孔明が三人からは丸見えになるのだが、先程の「孔明くんのバカ」発言から彼の顔は大いに歪んで歪んで、寧ろ三人の目にはしっかりと目が潤んでいるのが見てとれた。
「孔明くんに用事があるんですよね、是非こんな犬小屋みたいな家ですけど」
「犬小屋ってひどい、ちゃん。あなたも住んでいるというのに」
「是非中に入ってください。時間も時間です、ご飯も食べていってくださいね。心が限りなく狭い孔明くんに代わって私がご飯作りますから是非!」
「狭量結構!私の心はちゃんで大半占められてるんです。第一材料はないって」
「えと、その代わりといってはなんですがどなたか一緒についてきて下さりませんか?一人でも平気なんですけどもう時間も時間ですし、行き先が山の中ですので」
途端、本物の諸葛亮の口からキャーと叫び声もとい雄たけびがあがる。
山だなんてそんな危険なところにちゃんをやれません均に行かせればいいんですあのただ飯喰らい!
関羽は本当に水鏡先生が言っていた人物が割烹着の人物なのか、非常に、非常に、心の底から疑っていた。疑わざるをえなかった。
義兄である劉備の心はいざ知らず関羽は『兄者この男を勧誘するのはやめにしましょう』と必死に、それはもう必死に念を送っていたのだが・・・
さすが劉備というべきか、そしてさすが張飛というべきか。
「おお!ちょうど腹減ってたんだ!兄者、いただいていこうぜ」
「うむ、偽諸葛亮殿、申し訳ないのだがお夕飯にあずからせていただこう。そうだな、私は本物諸葛亮殿に話があるのでこの義弟二人、雲長と翼徳を連れて行くといい!!」
勝手に話を決められてしまった。
兄者ァァァと心の中がさらに荒れまくった関羽は、と同時に本物諸葛亮(呼び方はすっかり劉備と同じになっている)から『雲長編纂目つきの悪い男位置付け』第一位の夏侯惇よりも恐ろしい一睨みを喰らう。
『雲長編纂目つきの悪い男位置付け』はすぐさま一位が本物諸葛亮となり、じゃあ行くかァと偽諸葛亮の隣で豪快に笑っている義弟の姿を恨めしそうに見つめた。
案の定義弟にはまったく、これっぽっちも義兄の恨みつらみを気付かれていないが。
「ところで、その、結局本物の諸葛亮殿はそちらの割烹着の方でよろしいのだろうか?それともこちらの昼寝をしていた方になるのだろうか?」
「ちゃんを私と一緒くたにするなんて・・・・!!!あなた、いい人ですね!さぁ、中にお入りなさい。あまり気が乗りませんが話くらいは聞いてさしあげましょう」
「じゃあ私は晩御飯の材料とりに行って来ますネ、りゅうげんさん、こちらのお二人借りていきます」
おお、どうぞどうぞ。
笑顔で劉備は返事をして気付かなかったのかもしれないが、関羽と張飛は「ん?」と首をかしげた。
「孔明くん、ちゃんと飲み物をりゅうげんさんに出すんだよ。孔明くんなんかに会いたいって言ってくれる世にも奇特な方なんだから!」
「ちゃんがそう言うなら均に用意させます」
二人の会話を聞いてやはり関羽と張飛は首をかしげた、劉備はニコニコと笑って立っているだけだが。
二人の疑問もなんのその、偽諸葛亮は二人に向かって「行きましょうか」と声をかけると名残惜しそうな声を出し続ける本物諸葛亮をさらりと無視してスタスタと庵の裏の山の方へと歩き出した。
劉備に向かって行って来ると言い残し、二人は慌ててその後を追いかけていくがやはりなんだかすっきりとしない。
その疑問はすぐに解決する。
「あ!お二人のお名前聞いてませんでした、折角一緒にご飯食べてくださるんですもん。お名前教えていただけますか?」
こちらを振り向くことなく二人の前をスタスタと歩き続けていた偽諸葛亮は庵が小さく見える場所まで来るとクルリと突然体を回転させ、二人の顔をじっと見つめてくる。
その視線に害もなければ嫌味もなく、なにかしら含むところもなく、そういった目で見られることの多かった二人にしてみればどこか嬉しいものだった。
「名乗るのが遅くなって申し訳ない。拙者、関雲長と申す。先程の劉玄徳の義弟にあたる、そしてこちらの男が」
「オレは張翼徳ってんだ、よろしくな!」
「かんうんさんとちょうよくさんですね」
二人は再びあれと首をかしげた。
「いや、俺は張翼徳って言って」
「え、だからチョウヨクさんでしょう?」
そこでようやく、二人の疑問は解決した。
先程劉備のことを偽諸葛亮は「りゅうげん」さんと言ったのだ、劉玄徳の名前を中途半端な場所できって呼んでいたのだ。
「チョウヨクさんじゃねえんだって、よしわかった。俺のことは翼徳さんと呼んでくれや、そんでもって兄者のことは雲長さんって呼べばいい。それでいいよな、兄者?」
「うむ、かまわぬ。それから先程の劉玄徳のことなのだが、彼のことは劉備殿と呼んでくれ。リュウゲンさんではないのだ」
「はぁ、そうですか。私てっきり孔明くんと同じで姓は二文字なんだと思ってました、一つ勉強になりました。ありがとうございます」
いや勉強って程のものじゃないっつうか、誰でも知ってることじゃなぁい?
ニコニコと本当に嬉しそうに笑う偽諸葛亮を目の前にして二人の口からそんなことは一言もでてこなかった。
「あ、私の名前がまだですね。私、孔明くんの奥さんやってます黄と言います。こちらこそよろしくお願いいたします、雲長さん、翼徳さん」
ぺこりと二人の眼前の偽諸葛亮が頭をさげると、髪がさらりと流れ落ちた。
頭をさげられた関羽と張飛はこちらこそどうもとばかりに頭をさげようとしてハタと動きをとめ、目の前の人物をまじまじと、それはもう穴があくんじゃないかと思えるほど見つめた。
「は・・・奥さん?」
「・・・・・女ァ!?そんな短い髪でか!?」
「ム、ちゃんと奥さんやってます。もう孔明くんの奥さんになって三年たつんですから!」
「まぁじでか!?だっておめぇの髪、雲長兄者の髭よりも短けぇんだぞ?女っつうのはこう、びらびらーのひらひらーのさらさらーの」
「翼徳、いくら手振りをつけられてもお前のその擬態語では何が言いたいのかさっぱりわからん。殿、義弟が失礼した。ただ拙者たちもそなたほど髪の短い女人を見るのは初めてで、なにぶん驚いているのだ」
もう一度申し訳ないと言う関羽にと名乗った女はカラカラと笑うと気にしないで下さいと笑顔で言う。
よくよく見れば男の着るような服をまとってはいるが、出ているところはほんのり出ている。
まあ男ものの服と男性でも見かけないほどの短い髪に彼女を『諸葛亮』だと、ようは『男』だと勘違いしてしまったのだが、二人はもう一度申し訳ないとに謝った。
「そんな気にしなくていいのに。私もわかってはいるんです、女の人は髪が命!髪の長さも命!」
「いや、そんな格言はないが・・・」
「でも私今までずっと短い髪で生きてきたので今更伸ばすなんて考えられなくて。それに孔明くんが「ちゃんが伸ばしたくないなら伸ばさなくても構いません、私があなたの代わりに伸ばしてみせましょう」って言ってくれたから、まァいっかって」
えー、いやそれは間違ってる。
さすがの張飛も頬をひきつらせた。
「ほーんと、孔明くんはちょっとおかしいけれど私にはもったいないほどの旦那さんなんです、おかしいけど」
わぁ奥さん二回も旦那さんのこと「おかしい」って言っちゃった。
関羽と張飛は根本的にこの夫婦は何かがおかしいとようよう気付き始め、今は小さくしか見えない草庵に奥さん曰く『おかしい』諸葛孔明と一緒にいる劉備に思いをはせた。
はやまるようなことだけはしてくれるな兄者、熟考って大事だよ。
勿論そんな二人の念に後の大徳の君は気付くことは決してなかった。