行きしと違い何故か装束もボロボロ、身体もボロボロ、精神もボロボロのヨロヨロになって山から戻ってきた関羽と張飛の二人が住んでいる人間曰く『犬小屋』に帰ってきて見たものは意気消沈している義兄、劉備の姿であった。
彼はなにやら薄暗い空気を背中に纏いどよーんと肩を落として床に座り込んでいる。
義兄のその姿に義弟達はそろって諸葛亮に断られてしまったのかと肩に抱える猪の重さが急激に重くなったように感じてしまう。
義兄の前に腰を下ろしている諸葛亮はというとどこ吹く風とばかりに月の輝く夜空に湯のみを両手で抱えて目を向けている。
一体彼らの間にどのような会話があったのかはわからない、ただあんなに気合が入り尚且つ笑顔の絶えない義兄がこうもズタボロになるというのは・・・空恐ろしい。
義弟二人は揃ってブルリと身を震わせた。
彼らと一緒に行動をともにしていた妻が妻ならやはり夫も夫なのだ。
そう考えるとこの庵が突然犬小屋から妖怪小屋のように思えて仕方がなくなってしまう。

「あ、兄者・・・」
「なにがあったかわかんねェがそう落ち込むなよ・・・な?」
・・・・・・・は・・・・・・のだ・・・・・口で負けた・・・・・
「「兄者?」」

いつの間にか座り込んでいた劉備はよよよとばかりに乙女座りになっている。
そのことに気付かない義弟二人はぶつぶつと小さな声で何かを呟いている義兄の言葉を聞き取ろうと二人揃ってしゃがみこみ耳を口元に寄せた。
髭面の男二人がまるで顔を寄せ合うようでとても気持ちが悪い、よくよく見れば諸葛亮は完全に彼らに背中を向けてしまっている。

「・・・・・といわれたのだ」
「は?なんと言われたのです?」
ちゃんに勝るものはないちゃんが私の全て貴方私のちゃんよりも上に立つ気ですか正気ですかそうですか痛ましい」
「・・・・あ、兄者?」
「話し合いにすらならなかった・・・諸葛亮殿はひたすら壊れた人形のように同じ言葉を繰り返すのだ・・・口先と義と仁しかない私にどうしろというのだ・・・」

うわぁ猪よりも悲惨かも。
義兄の様子に少しだけ義弟達は胸を撫で下ろした。
すぐになんて不謹慎なと思いはしたが、一瞬でも思ってしまったのは確かだ。
話し合いすらさせてもらえず、寧ろ言葉を発する事さえさせてもらえなかったのだろう劉備の落ち込んだ姿に何を言えばいいのか関羽も張飛も思いつかず、かといって恐ろしい諸葛亮に文句を言うのはあまりにも無謀だと思うしで二人は劉備の口元に耳を寄せたまま固まってしまった。
万事休す、三人の頭にそんな言葉がよぎった。
が、一応救世主はいた。

「ん、もう!孔明くんってばまたくだらないことでも言ったんでしょう!この間も変なこといってソォソォとか言う人のお使いの人、帰しちゃうんだから!!犬小屋まで来てくれる良い人に失礼でしょ!」
「だってちゃん・・・」
「だってもくそもありません!!」

ただ救世主ではあるかもしれないけれど、そもそも劉備がどん底にまで突き落とされる原因となった人物ではあるのだが。

「いいえ、ちゃんが相手でも私は言いますとも。この人たち、私達の仲を裂こうとしているんですよ!私に、ちゃん至上主義の私に、殿なんて必要ありませんっ」
「え?殿?」
「そう。その殿です」
「え、どの殿?まさかお城でふんぞり返ってる殿?美女を従えて大きな扇子でパタパタ扇いでもらってるあの殿?」
「ええ、ええ、その殿です!この劉備殿はその殿なのです!!

どんより真っ黒ににごった空気を纏った劉備の背中にビシリと指先をつきつけた諸葛亮には口をポカンとだらしなく開け、諸葛亮と劉備の背中を交互に見ては「ええ!?」と驚きの声をあげている。
どういった驚きの類なのかはわからないが、とにかく劉備が殿であることよりも殿という存在がこの曰くの『犬小屋』にいることのほうが彼女にとっては驚きに値するらしい。

「殿が犬小屋に!!え、どうしてこんな犬小屋に?孔明くん、ちゃんとお茶をおだしした?失礼な事していない?ちゃんと挨拶もした?」

既に劉備はかなり打ちひしがれており失礼な事があったかどうかなんて、一目瞭然、ではある。
に詰め寄られた諸葛亮はどことなく嬉しそうな顔をしながらも「だから犬小屋だなんて言わないでください」とごにょごにょほとんど口の中で呟いている。

「口先だと曹操にだって勝てたのだ・・・それが・・・それが・・・っ!!」
「しっかりなされい、兄者!まだ傷は浅いですぞっ(多分)」
「そ、そうだぜ、兄者!身長だって曹操には勝ってるぜ!(ほとんど変わらないけど)」
これでは私に残っているものは無駄にでかい福耳と義と仁だけではないかっ!!
「え?俺たちの存在は?」

張飛は思わず声をあげた。

ついでに私には勿体無いほどの義弟たちと・・・」

劉備は目を二人からそらしながらもなんとか口を開いた。
ついで、などと余計な言葉をつけてしまったのは微妙に動揺してしまったからに違いないだろう。
そして窓際の諸葛亮夫妻はというと

「そもそも殿がどうして犬小屋なんかに!?」
「ですから私とちゃんの仲を裂きにですね」

同じ台詞を繰り返していた。
張飛の鋭いツッコミもとい台詞に少しだけ我に返った劉備は窓際でなにやら言い争いをしている(といっても男のほうはなにやら締まりのない顔で女に詰め寄られていたが)二人の会話を耳に入れることができた。
諸葛亮の言うようなこのおかしな夫婦の仲を裂きにやってきただなんてとんでもない。
口先では勝てなかった、そう、確かに勝てなかったが(というよりも口を挟む間さえなかったのだが)劉備や関羽、張飛にとってはもっと崇高なる目的の為にここへはるばるやってきたのだ。

「ちょっと待っていただきたい、諸葛亮殿!!」
「なんですか劉備殿!!私達の愛の語り合いの時間を邪魔でもなさる気ですか!!」
「俺には諸葛亮が嫁さんに詰め寄られてるようにしか見えねえんだけどよ、兄者・・・」
「翼徳と同じ意見だ・・・」
「そこ!髭二人!お黙りなさい!私が愛の語り合いといったら愛の語り合いになるのでベフッ!
「もう黙っててよ、孔明くん、話がちっとも進まないよ」

の渾身の突きが諸葛亮の口元を直撃した。
それを見た劉備の口の端がピクリと上にあがったかのように見えたが、それはきっと張飛の目の錯覚だったに違いない。
仁の人である義兄がまさかそんな。
結果、張飛は黙っている事にした。そして、それは正しい選択だったに違いない。

「えと、劉備殿?本当に私と孔明君の仲を裂きに犬小屋までいらっしゃったのですか?」
「そんな馬鹿な!」
ちゃんにむかって馬鹿ですって!?
ヒィ、すみません!」

どうやら諸葛亮の存在自体が既に劉備にとってトラウマになってしまっているらしい。
これでは自分達の目的を達成する事ができてもあるべき姿の『主従関係』なんて夢のまた夢になるのではないだろうか、ちょっぴり不安に駆られてしまう。

「孔明くん、本当に黙ってて。一緒に寝てあげないよ」
お口にちゃっく、ですね!ええ、黙っていますとも。さ、続けてください、劉備殿」

関羽と張飛は劉備とは違う意味で不安に駆られた。
やはりこんな奇天烈な男、もとい夫婦を自分達の陣営に招き入れるのは間違えているのではないだろうか。

「さあ、孔明くんは黙らせましたから。劉備殿、話の続きをどうぞ。本当に私達を別れさせるために犬小屋まで?」
「違います!ただ、諸葛亮殿に、我らの力になってもらえないかと・・・水鏡先生にも、そして徐庶殿にも諸葛亮殿を勧められたのだ。漢王室がないがしろにされている今、劉の姓を持つものとしてそれを見過ごす事はできん。私には何もない、金もなければ拠って立つ地もない、あるのはこの意気込みとそしてこんな私のもとに集まってくれた義弟や将軍達だけだ。徐庶殿が、我らの優れた軍師がいなくなってしまった今私には夢をかなえるための、曹操に負ける事のない軍師が必要なのだ。あなたが!諸葛亮殿が!私には必要なのだ!」

劉備節炸裂。
兄者かっこいいぜと張飛のキラキラした視線を背中に感じつつ劉備はやっと自分のペースにもっていけるかもと心の中でぐっと力強く拳を握り締めた。

「頼む!諸葛亮殿!私に力を貸していただけないだろうか。他の誰でもない貴方の力が私には必要なのです!」
「ええ、でもほらぁ、結局貴方に協力してしまえばちゃんと離れ離れになるじゃないですか。そんなのゴメンですよぅ」

劉備節敗れたり。
折角決まったぜと内心喜びの歌が響き渡っていた劉備はやはり孔明くんのちゃんの前に敗れ再び床に沈もうとした。
しかし

「いいじゃないの孔明くん。こんなに言ってくださってるんだし、私もそろそろ犬小屋飽きてきちゃった」
「そうですね、ちゃん、私もそう思ってたところなんですよぅ。やっぱり私達って比翼の鳥っていうか連理の枝っていうか、一心同体っていいますか!考える事も一緒なんですね、ふふ。ああ、劉備殿、そういうわけなのでお付き合いしますよ」

孔明くんのちゃんの一言でコロリと180度どころか360度、いやいや、720度意見を一瞬にして変えた諸葛亮はパタパタと白い扇で扇ぎながら床に沈みかけている劉備にあっさりと協力しますよとの旨を伝えた。
あまりの変わり身の早さとついていけない会話に劉備一向は揃って耳の後ろに手をあて「は?」と聞き返したが、諸葛亮はなんて理解の遅い連中なんだとばかりに仮にもこれから上司になるべき相手に視線を投げかけ

「ですから、劉備殿についていきますよと申し上げているのです」

どこか投げやりな言葉を口にした。
おお、と感嘆の声をあげる劉備に兄者俺たち間違えた選択をしちまったぜと逆に落ち込む関羽と張飛たち三人に諸葛亮は「しかし」と言葉を区切った。

「しかし、天才であるこの私とこれまた天才のちゃんがついていくのです。劉備殿たちには嫌って程キリキリ働いていただきますから、御覚悟を」
「勿論だとも!!ああ、諸葛亮殿!本当にありがたい!貴方には私の口先が通用しなかったが貴方だけが特別なんだと思いこれからも私は骨身を削って漢王室復興の為に力を尽くすとも!」
「兄者・・・頑張るところを間違えているのでは・・・」
「ああああああ・・・・この恐ろしい夫婦がこれから仲間になるのか・・・キリキリ働く前に俺たちの胃がキリキリしちまうぜ・・・」

三者三様、それはまさしく劉備達のためにあるような言葉である。
しかし、彼らの諸葛亮夫妻への認識はまだまだあっまーーーーい、ものだと認識するにはいま少し時間が必要であったのだ。