いつだったか、そう前々のことではない。
ちょっくら散歩に行ってくらぁとばかりに一人でこっそり出かけた劉備殿がなにやら大興奮しながら帰城なさったことがあった。
顔を真っ赤にして目をキラキラと光らせ、途中で合流したはずの関羽殿の赤兎馬よりも早く走って私のもとへと駆け込んできたのだ。
曰く、なんかすっごい軍師がいるみたいだから曹操に狙われる前に貰ってくるよ、だったような気がする。
実のところ劉備殿の黄金の足に負けた赤兎馬と関羽殿のうなだれた様が気になってしっかりとは聞いていなかった。
まあでも、大まかな事はあっていたに違いない。
なにせ今朝、今日こそゲットしてくるぜと気合充分に関羽殿と張飛殿を引き連れてお城を発たれたのだから。
そう、ゲットしてくるのは軍師殿だったはずだ。
名は知らない、ただ伏龍と称されている人物だとだけ聞いていた。
なのに、だ。
劉備殿は確かに軍師殿を我が陣営にお迎えする事に成功したのだろう、とびっきりの笑顔だ。
こちらがクラクラしてしまいそうなほどの笑顔だ、眩しすぎる。
実際徐庶殿は一歩ずつかすかに後ずさり始めている、まだまだ耐性ができていないに違いない。
一般兵に至っては目が眩むとばかりに皆劉備殿から目をそらしている、さすがは劉備殿。
いや、話を戻そう。
とにかく、劉備殿は軍師殿を無事ゲットすることができたらしい。
「趙雲、趙雲!我らが新しい軍師殿だ!」
「劉備殿、おかえりなさいませ!ご無事で何よりでございました」
「これで曹操なんてケチョンケチョンだよ、どんぐりの背比べなんて言わせないとも!」
「関羽殿と張飛殿もおかえりなさいませ、なにやらぐったりなさってますが道中なにか?」
「それからな、ぼたん鍋を食べたのだ!まろやか〜でコリコリ〜として雑草とは大違いだったのだ」
話が噛みあってない?会話が成立していない?
お気になさらず、これが私と劉備殿のいつもの会話なのです。
劉備殿はともかく、私はきちんと劉備殿の話を理解しているのでいっこうに構わないのです。
たとえわからなくとも後で関羽殿に尋ねてしまえばいいだけの話ですから。
おっと、また話がそれてしまいました。
それはそれは嬉しそうに帰ってきた劉備殿はどこかぐったりしている関羽殿たちを押しのけて後ろに控えていた方々をずずいっとばかりに私の前に連れていらっしゃる。
計三人、憧れの軍師殿ただ一人ではない。
それもよくわからない組み合わせである、男二人に女一人。
男二人のどちらが軍師殿なのかもわからない上に、女性にいたっては手に鎌を持っている。
こんな危ない女性を劉備殿のお傍に控えさせているだなんて、関羽殿たちは一体何を考えているのだろうと私は思わず目の前に立つ三人の顔を見渡して眉をひそめてしまう。
劉備殿も劉備殿だ、鎌を当たり前のように持っている危ないかほりのする女性が傍に立つのを当たり前のように受け入れてるだなんて。
私が気をつけてさしあげねば。
「趙雲、紹介しよう。我らが陣営に心の底から快く参入してくれるという軍師殿と軍師殿の参入を快く後押ししてくださった上に軍師殿の手綱を握っていらっしゃる奥方、そしてちょっぴり危険なかほりのする奥方の姉君殿だ」
いや、やはり劉備殿はわかっていらっしゃたのだ、鎌を持った女性から危険なかほりがすることを。
さすがです、劉備殿。
ところで女性二人のようなことを仰っているがどこにもう一人女性がいるのだろうか。
もしや目の前でかったるそうにパタパタと白い羽扇で自分ではなく隣の若い男性を仰いでいる髭男が女性だとでもいうのだろうか。
「まさしく神秘の世界ですね、劉備殿!」
「そうなのだ、趙雲!やはりお前はわかってくれるか、諸葛亮殿のような素晴らしい方が我が陣営にきてくださるなど・・・神秘の世界そのものではないか!」
壁にもたれかかっている張飛殿の口から「あれだけ諸葛亮を仲間にするぜって息巻いといてそりゃねえだろ、兄者ァ」とかなんとか聞こえてきたけれどどうせ劉備殿の耳には入っていまい。
都合の悪い事は外耳のあたりでシャットダウンされる仕組みになっているのだ、劉備殿の福耳は。
「お初にお目にかかります、趙雲殿。このたび私を犬小屋から解放してくださると劉備殿が仰ってくださりこうしてあい見えることになりました、黄と申します」
「お初にお目にかかります、このたび私を父の老後の世話から解放してくださると快く仰ってくださった劉備殿に感服いたしまして妹夫婦に付き従って参りました。黄月英と申します」
私の前に立つ若い男性と危険なかほりのする女性がにこりを微笑みながら頭をさげるのをみて、私も慌てて自身の名を名乗りながら拱手する。
途端なにやら思い切り殺気を含んだ視線が私の頭のてっぺんにつきささったような気がして不思議に思いながらも頭をあげてみれば、女かも知れぬ髭人間が私を恐ろしい目で見つめている。
見つめているなんてものではない、睨みつけているのだ。
「・・・・・・・・劉備殿」
「は、は、は、はい!なにか問題でもあっただろうか、諸葛亮殿!?」
「この趙雲殿から独身男性のかほりがいたします。これは、もしやと思いますがまさかちゃんへのお見合いセッティング・・・なわけはありませんよね?」
独身男性のかほり?
お見合いセッティング?
わけのわからぬ単語の羅列に首をかしげていれば劉備殿が慌てて『滅相もないこの趙雲は確かに独身の寂しい男ではあるけれど我が息子阿斗を親以上に可愛がっておるベビーシッター兼劉備軍の将軍でそれからそれから殿をどうこうできるほどの力量をもってるとは思えなくてそれからそれから』云々かんぬん、一生懸命力説している。
微妙に腹が立つのは私の気のせいだろうかと思い劉備殿を見つめているのだが、劉備殿は必殺『見えないフリ』を発動中のようだ。
思い切り私に背中を向けている。
「安心なさい、孔明殿。もしもなにやあれば私が、黄月英の名にかけて趙雲殿を処分いたしましょう。ついでにあなたも」
なにか恐ろしい事を言った、この鎌を持った女性は。
特に一番最後のさらりと聞き流してしまいそうな台詞こそが恐ろしい。
「・・・どうも納得がいきませんが、まあ良いでしょう。いざとなれば切り捨ててしまえばいいのです、そうですね?劉備殿」
「・・・ええまあ、お手柔らかにお願いします」
「ふむ、そういうことなら安心です。さて、趙雲殿と申しましたか。私は諸葛孔明、劉備殿の脅迫じみた説得により馳せ参じることになりました。これより劉備軍の軍師を勤めさせていただきます、どうぞ私の手駒なりにテキパキと動いてくださいますよう・・・宜しくお願いいたします」
そう言っておざなりな拱手をする本物の男性で、本物の軍師殿である諸葛亮殿に色々と考えさせられるところはあったものの私もこれから長い付き合いになるのだからとしっかり頭をさげる。
宜しくお願いいたすと口を開けば、何故か諸葛亮殿はニヤリと口の端をあげて笑った。
「ええ、本当に。長い・・・永い付き合いになると良いですね、趙雲殿」
こうして諸葛亮殿とその奥方である殿、そして危険なかほりの月英殿は劉備軍に受け入れられることとなった。
関羽殿と張飛殿が『なんて嘘まみれなんだ』とかなんとか言っているが、まあ穏やかな出会いであったことは確かだ。
きっと劉備殿の願いは叶うに違いない、そんなことを思えるような出会いだった。