「眠れんのか?」

とてもとても静かな夜、いつものように縁側に腰を下ろして闇で見えない庭先をぼんやりと見ているとどこからともなく声をかけられた。
人の声も聞こえてこず屋敷の誰もが寝静まっているものだと思っていたの肩はびくびくとまるで痙攣を起こしたかのように震えあがった。
ひゅっと息を呑む音が声をかけた信玄の耳に入り、とても驚かせてしまったことに少しだけ心が痛んだ。

「眠れんのか?」

もう一度暗闇の中佇んでいるに声をかけた信玄はゆっくりと首を自分に向けてきた彼女の隣に腰を静かにおろした。
触れ合いそうで触れ合いそうにない微妙な間が二人の間にあったが、逆にそれが互いにとって居心地がよかったりする。
近すぎず、けれど遠からず。
まるでベガスにいた時のニックと自分の関係のようだとはかつての仲間たちを思い出にしつつあることに衝撃を受け、けれど受け入れつつもあった。
その微妙な感情が少なからずも顔にでてしまったのか、それとも信玄が人の気を読み取る事に優れているのか、それはわからないが彼が何かに気付いたということは確かだった。

「夜が暗くて静かで怖くて寂しいものだということを実感してるの」
「おぬしにとって夜は暗くて静かで怖くて寂しいものではなかったのか?」
「ベガスの、あたしがいた街は夜も昼と変わらず明るくて、騒々しかった。朝から晩まで眠らないのは人だけじゃなくて街もだった、街自体がそうだった。家に帰れば一人だったけれど忙しくてあまり家に帰る時間もなかったりで、必然的に必ず誰かがあたしの周りにいた」

空を仰げば暗闇の中まるでミルキーウェイかと思えるほどの星が目に入る。
星空はとても神秘的でとてもロマンチックなものだけれど、少しでも視線を降ろしてしまえば広がるのは真っ暗な世界で隣には勿論まわりにも誰もいない。
夜になると急に人恋しくなって、そして怖くなる。
自分一人だけが全てから取り残されてしまったような感覚に陥る、いや陥るどころか充分取り残されてしまっているのだ。
かつての仲間たちはもっと何百年も先の未来の異国でいつものようにラボと現場を行き来して、きっと父親のような彼もそう。
離れて暮らしている母親や弟とも、さらに離れてしまった。
距離の問題ではなく時間の問題として。

「寂しいのか?」
「寂しい、とても寂しい。少しずつ頭の中から家族の声や姿が消えていこうとしている、とても怖い」
「隣にわしがおってもか?」

星に向けていた視線を隣の信玄に向けなおす。
うっすら部屋からもれる明かりの中でと信玄の視線が静かに重なり合った。

「言ったじゃないの、消えていこうとしているって。大切な思い出が過去のものになろうとしているの」
「それはおぬしにとって良いことなのか?」
「I have no idea (さあ、わかんないわ)」

ニックといる時の心地よさと信玄といる時の心地よさは似ているようで似ていない。
ニックはとほとんど歳は変わらなかったけれど信玄は父とも慕うマックとそうたいして変わらない。
けれどマックといる時の心地よさと比べるのならばまだニックとの心地よさとの方が近い。
そんななかでニックは今まさに過去の人になろうとしている。

「Do you have any idea if we didn't meet? (もしあたし達が出会わなかったらどうなっていたのかしら)」
「ん?」
「多分ニックは過去の人にならなくて、きっとニックのことを思いながらここで野垂れ死んでたんだわ。きっとすぐになにもかもに諦めてしまっていたかもしれないけど、それでも過去の人にはならなかったと思う」

佐助の家から逃げ出して、信玄に出会わなければ。
ごろつき達に早々に殺されてしまっていたかもしれないけれど、あの笑うと可愛い人のことだけを考えていられたはずだ。
そして、こうやって夜になると寂しく思うこともなかったはずなのだとは目を瞑った。
絶望を感じたあとに人のぬくもりを知ってしまった、それは良いことなのか悪い事なのか。

「まるでおぬしの言いたいことがわからんが」
「わからなくていいの、信玄はここにいてたくさんの部下に慕われていて家族もいる。人の価値なんて比べるものじゃないけれどあたしは信玄ほど守るべき大切な人がたくさんいなかったから・・・だから信玄は知らなくていいことなの」
「ますますもってわからんがわしにとっても家族のような、いや家族になりたいとずっと思っているぞ。わしがおっても寂しいというのなら寂しくなくなるまで隣にいよう、眠れないというのなら眠れるまで傍におろう。何度でも言うがわしはおぬしがいとおしいゆえ、できることなら叶えてやりたいとは思う」

くるり。
信玄の大きな手のひらがの頭を静かになで上げた。
信玄は大きい、優しくて頼もしくて、父親のようなのに。

「この気持ちが吊橋理論じゃないことを願ってるわ・・・恥ずかしい」
「?」

急に熱くなった顔を両手では覆い隠した。