”脳死”についての推薦図書
=臓器移植法改定の前に=
今回は、法律の改定作業が進んでいる”脳死”の話題について。

私自身、以前から、”脳死”に関して、たった一つの点ですが、非常に興味を持っていました。
それは、脳死による臓器移植の際に、ドナーには麻酔をかけるのかどうか、ということでした。
ところが、その点については、すでに28人(2004年3月現在)もの臓器移植が行われたにもかかわらず、ほとんど報道されてきませんでした(少なくとも、私はそれに関しての報道を知りません)。
で、今回紹介する「脳死・臓器移植の本当の話」(小松美彦:著、PHP新書)を一読して、そのことについて、ようやくはっきりしたのです。
というか、もっと重要なことまで、はっきりしてしまったのです。

現実問題として、臓器移植法は改定作業が進んでおり、むしろ国会での審議の遅れについて、マスコミは指摘しています。
それは、この改正の大きなポイントが次の2つで、それにより臓器提供者数を増やすことを、マスコミは改正によるメリットとして、ことさら強調して報道しているように感じられます(この本を読めば、一層そう感じられるでしょう)。
●臓器提供は本人が拒絶する意思を表示していない限り、家族の承諾だけで認められる
●15歳未満の者の臓器提供を可能にする
ところが、臓器提供をするドナーの美談では済まない、大きな問題が実は科学的に解明されずに、見切り発車的に脳死が推進されている状況なのです(何かといえば、「欧米では」というマスコミが、欧米では脳死者に麻酔をかけることが当たり前であるという現実を一切報道していないのは、なぜなのでしょうか。そして、なぜ麻酔をかけざるを得ないのか、という疑問にも通じるのですが)。

これ以上は、立ち読みでも、図書館で借りていただいても結構なので、読んでみてください(できれば購入して、何度も読み返した方がいいでしょう)。
・脳死と植物状態の違い
・脳死者に意識がない・身動きがとれないということの誤解
・脳死判定を受けた後で14年以上も生存している脳死者がいること(とくに、脳死になった年齢が幼いほど、脳死後の生存年数が長くなる)
・臓器移植を受けたことの延命効果への疑問
・脳死のドナーから臓器摘出する際に、欧米では全身麻酔を行う理由
・脳死は意識障害ではなくコミュニケーション障害である可能性について
・日本での1件目の脳死認定の杜撰さと、それに対する医学界・マスコミの沈黙
等々、これまで抱かされてきた脳死のイメージとは大きくかけ離れた話(私たちが、これまで美談で目隠しされてきた問題)が、ふんだんに詰め込まれています。
とくに、脳死者には意識がないから死亡したと見なされていることについて、実は意識がなくなったのではなく、それを伝えるためのコミュニケーション手段が失われた状態にすぎないのではないか(つまり、筋弛緩剤を打たれて、意識はあるのに、口や手足、体を動かせない状態で、麻酔もかけてもらえずに臓器を摘出されるのに、痛ささえ訴えられない、そういったイメージです)、という指摘(もちろん科学的な裏付けのある指摘です)は、それこそ自分がドナーになって、臓器を摘出されるときになって気が付いても遅いわけです(それがどんなに他人のためになろうとも、私は生きながら臓器を取り出されるのは勘弁してほしいと思います)。

以上の点を知った上でなければ、本来は、”脳死”を人の死と認めるかどうかについて、意思を表明(つまり”ドナーカード”に臓器提供を記入するかどうか)はできないのではないでしょうか。
少なくとも、そのことを今知っておくことに損はありません。
これまで脳死についての議論は、宗教観や死生観といった哲学的・形而上学的な問題にすり替えることで、むしろもっとも最初に解決しておかなければいけなかったはずの科学的な究明の遅れや曖昧さを、意図的に隠してきたのではないか、そう感じるのでは私だけでしょうか。
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