アルサーンスの空の下で                  
 
  第二章  
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 天の雲を突き刺すように伸びる尖塔。全体的に角張った印象の鉛色した聖会は、アルサーンスの町並みに、はっきりとした違和感を与えていた。しかし、このいかにも厳しい建築様式は、我がティアスタ国のみならず、ガリア真教国全体に共通する特徴だ。どの国でも厳かな、言いようによっては威圧的な姿で、聖会は人々を見下ろしている。そしてそれは形のみならず、その精神も同様であった。  ガリア真教は、国の枠を超え、広く世界を支配していた。マジェリア大陸にある大小十五の国のうち、十三国までがこの真教国だ。その中の最も小さな国、いや、国というのは適切ではない。国ならば国王がいて当然だが、ここ、ビヤンテ区国にはそれがない。あるのは、ガリア真教の頂点に君臨する聖皇(せいおう)のおわす大聖会。そしてその聖皇の下に、ガリア真教国全ての国の王は位置していた。
 例えば、王の即位は、聖皇の任命状がなければ行うことはできない。以前は即位の際、わざわざビヤンテに出向いて、直接もらっていたくらいだ。今は形式的に、書簡のやりとりで済ませるようだが。それでもひとたび聖皇が、「その者は認めぬ」などと申されようものなら。即位はおろか、現国王でも退位を余儀なくされる。権限は大きい。各国は当然、ビヤンテに多大な気を遣うこととなる。だが、ビヤンテが、これほどまでの力を持つようになった理由は、もう一つあった。それは、魔法力の独占だ。
 魔法の力は、全ての者にあるわけではない。せいぜい、百人に一人。実際、使えるレベルに達する者は、さらに少なく、千に一人とも、万に一人とも言われている。それら、特別な才能に恵まれし者を、ガリア真教は神の子として残らずさらえていく。ビヤンテ区国内にある聖学校に入れ、特別なカリキュラムの下育てられ、能力に応じて進むべき道を決められるのだ。攻撃性の高い『陽』の魔力を持つ者は、ビヤンテ区国直属の軍隊、バラザクスに。治癒や心眼など『陰』の魔力の持ち主は、聖使徒(せいしと)として世界各地の聖会に派遣される。こうして、優秀な順に人員を振り分け、余った者は故郷に返される。もちろん、ただ戻すわけではない。彼らは必ず、それぞれの国の聖務署に勤めなければならない。国の治安を司る聖務局。そう、これも、聖会の息がかかった組織なのだ。すなわち、自分も。  ディオは軽く肩をすくめると、塔から視線を外し正面を向いた。無表情な灰色の前に立つ、鮮やかな制服を見る。全部で四人。つまり、本署に一人、分署に一人残したのみで、アルサーンスの聖務官全てが揃っていることになる。
「おい、遅いぞ」
 ついさっき帽子から響いた声が、直にディオの鼓膜を打った。バルを小脇に抱え、声の持ち主ベッツの側に駆け寄ると、ディオは右手を胸のところに翳した。 「遅くなりまして、申し訳ありません!」
「もういい、行くぞ」
 そうしゃがれた声を出したのは、ベッツの横にいたフラー副署長だ。小太りで、背が低く、年はまだ四十をわずかに過ぎたばかりだと言うのに、頭頂部が見事に禿げあがっている。アルサーンス聖務署における、最高責任者。これにはちょっとした訳があった。
 現在、アルサーンスの聖務署に署長はいない。五日前、無事定年を迎え退職した前署長の後釜が、まだ到着していないのだ。予定では三日以内に――まあ、この三日というのも随分のんびりした話だが、とにかくそれまでには、新署長が赴任するはずだったのだが。王都ティアスにある本部に問い合わせたところ、何やら人事で面倒なことがあったようで、後三日かかると返事をもらった。これがリナドルとか、サナーリマとかの大都市であれば、署長が不在などという状態は、一時たりとも起らないのだろうが。舐められているというか、馬鹿にされているというか、アルサーンスのような田舎町にまで、どうやら充分な手は回らないらしい。
 ディオはフラー副署長の、耳の直ぐ上にだけ、しがみつくように生えている毛を見やりながら尋ねた。
「あの、副署長。死体って、一体誰のなんですか? まさか、この聖会の誰かが」
「死体が発見されたのは、ここじゃない」
 副署長ではなく、ベッツが答える。
「ファルスの町だ」
「ファルス?」
 ディオは目を丸くした。
 ファルスの町も、アルサーンスに負けず劣らずの田舎町だ。ティアスタ国の数ある町の中で、例えば人口はファルスが第三十二位、アルサーンスは三十一位。下から数えると、六位と七位になる。下手をすると、少し大きめの村にも劣る少なさだ。その人口に比例して、地域総生産指数も低い。両方とも、主たる産業がガトーダのような工業都市とは違い、農業や漁業であるため食うに困るような貧困はないが。贅沢な暮らしとは無縁の者がほとんどだ。ちなみに、それら善良な庶民を守る我々聖務官の数も、順位は低い。下から数えて、我がアルサーンスは第三位。ファルスは堂々の第一位だ。
 てな具合に、互いの田舎っぷりを、ここで自慢し合っても意味はないが。つまりは、それだけ物騒な話、凶悪な事件には縁がないという土地なのだ。
 強い違和感を覚える。それにも増して、疑問を感じる。なぜ、ファルスの町の事件に、自分達が呼び出されたのか。理由として、人員補強が考えられるが、だとしても、何も副署長まで行くことはないだろう。
 ディオは、聖会の内部のしんとした空気を、軽く喘ぐように呑み込んだ。皆の後に続きながら、思わず呟く。
「ファルスの町の事件に、何で俺達が?」
「礼拝堂の中で私語は厳禁と、聖学校で習わなかったのですか? はい、資料」
 囁くような声で記録盤を渡してくれたのは、勤続十六年のベテラン、マーチェスだ。短めの黒髪をきっちり撫でつけた姿から伺われるように、とにかく几帳面な性格で、ディオの最も苦手とする先輩だった。
 頷く動作だけで返事をし、記録盤を手にする。誰もいない礼拝堂で、自分達の足音だけがかつかつと響く中、盤を操作する。青緑色の丸い石盤の上に浮き出る文字を、目で追う。
『被害者名、ラフラス・ドーレ。年齢、五十四才。職業、聖使徒(赴任地・ファルス)』
 って、ファルスの聖使徒?
 ディオの目が、驚きで丸く膨らむ。
 聖使徒ということは、当然、魔力の持ち主ということになる。『陰』の力ゆえ、争いごとに向いてはいないが、それでも使い方によっては相当な破壊力を生む。少なくとも一般人が、魔力のない者が太刀打ちできる相手ではない。
 と、言うことは。

 
 
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