「お前ら、また立ち聞きしていたな。まあ、いいさ。それなら話が早い。いいか、ボウズ」
テッドはクルムの顔を覗き込んだ。
「これからはな、お前が俺の代わりをするんだ。おふくろさんに、ちゃんと薬を飲ませるんだぞ。いいな」
「おいらが……オッサンの代わり?」
ぼそっとした声でそう言うと、クルムは上目遣いにテッドを見た。
「何です、クルム。先生にそんな口の聞き方をして」
少しばかりか細くはあるが、どことなく品の感じられる声で夫人は窘めた。
「すみません、先生」
「ああ、いいんですよ」
テッドは頭を掻きながら言った。
「口が悪いのはお互い様なんで。まあ、とにかく無理だけはしないよう。それじゃあ、俺はこれで」
「先生、本当にありがとうございました。あのう、お代を――」
「ああ、それなら前にも言った通り、結構です」
「でも、いくらなんでも――と申しましても、たいした額はお支払いできないのですが」
「本当にいいんですよ。借りを返しただけですから。なっ」
そう言うと、テッドはクルムの胡桃色の髪を、くしゃくしゃにしながら撫でた。
「森で世話になったんでね」
「はあ……」
少し困ったような微笑を浮かべながら、夫人は優しい視線を子供達へ向けた。すかさずカリンが母親にしがみつく。夫人はカリンをしっかりと抱きしめた後、さらにその手を伸ばして、クルムの乱れた髪を直した。
「じゃあ、くれぐれもお大事になさって下さい」
「センセイ」
舌足らずな可愛らしい声が、カリンの小さな口から零れる。
「さようなら」
「はい、さようなら」
一方、クルムはそっぽを向いたままだ。
どうやら、とことん嫌われたようだな。
テッドは心の中で苦笑いすると、夫人に軽く会釈をして、その部屋を後にした。と、それほど間を置かずに、背後で慌しい音がする。
「おい、オッサン!」
振り向いたテッドの視界に、少し頬を紅潮させ、肩を怒らして立っている少年の姿があった。
「おいら――おいら、決めたからな!」
「おいおい、決闘でもしようって顔つきだな」
テッドはあからさまに困惑した表情を浮かべて言った。
「お前も結構、執念深いな。分かったよ、森での一件は謝るから。もういい加減、許して――」
「おいら――医者になる!」
「…………へっ?」
「オッサンみたいな、医者になるんだ!」
「俺……みたいな、医者?」
「そうだ!」
クルムの頬は、ますます赤くなった。
「オッサンみたいな強い医者になるんだ。グルフィスを、こう、えいやってやっつける――」
「おい、ちょっと待て」
テッドは、ぽりぽりと耳の後ろを掻きながら言った。
「強いってのは医者とは関係ねえだろう。それに、えいやってあの熊、じゃねえ、グルフィスを倒したのは俺じゃなくてミクだ。俺はあの女と違って、もっと作りが繊細にできてんだ。いいか、そこんとこ間違えるんじゃ――」
「オッサンみたいな医者になって――」
クルムは、もう顔中真っ赤だった。
「かあちゃんみたいな人を、いっぱい助けるんだ!」
触れるとジュワッと音が立ちそうなほど、頬を上気させた少年を、テッドはしばらく見つめていた。やがてゆっくりと歩み寄ると、クルムの前にしゃがみ込んだ。
「簡単に言うけどな、ボウズ。医者になるってのは大変なんだぞ。いろんなこと、いっぱい覚えなくちゃいけないんだ。お前、覚えるの得意か?」
クルムは小さく首を横に振った。
「細かな作業もできなくちゃいけないんだぞ。お前、手先は器用か?」
クルムは唇をきゅっと結んで、首を横に振った。
「たくさんのことを、知ってなきゃいけないんだ。本を読むのは好きか?」
クルムは額に小さな皺を寄せながら、強く首を横に振った。
「っていうか、お前、字、読めるんだろうな」
今にも零れそうなほどの涙を目にいっぱい溜めながら、クルムは激しく首を横に振った。
「……それでもお前、おふくろさんみたいな人、助けたいんだろ?」
ついに溢れ出した涙でぐちゃぐちゃになった顔を、真っ直ぐテッドに向けながら、クルムは大きく頷いた。
琥珀色の瞳が、優しく笑う。
「なら、大丈夫だ」
テッドはクルムの髪を、またくしゃくしゃにした。
「きっと医者になれるさ、クルム」
少年の瞳がきらきらと輝いた。そして次の瞬間、テッドは初めて、クルムの笑顔を見ることになるのだった。