蒼き騎士の伝説 第一巻                  
 
  第二章 起端(2)  
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      二  

「やはり道に迷ったようですね」
 若草色の丈の長い上着、その下には裾を絞った濃いグリーンのズボンが覗いている。一見すると細身の若者のように見えるその人物は、ディード村で調達した服を纏ったミクであった。
「こんなに霧が出てるのに、森ん中、動き回ればそうなるよな」
 テッドは手に持った地図、これもまたディード村で調達したものだが、それを丸めながら呟いた。少し袖に膨らみのある白いシャツ、キャメル色のベストとズボン、膝まであるブーツを履いている。これで羽根飾りのついた帽子でも被り、長剣でも携えれば、ユーリのイメージ通りの『三銃士』となったのだが。残念ながら、村にそういう類の帽子はなく、また腰に携えていたのは短剣と銃であった。
「やっぱりもう少し、待ちゃ良かったんだ」
「私の記憶が確かなら、真っ先に痺れを切らして早く先へ進もうと言ったのは、テッド、あなただったはずですけど?」
「――おい、ユーリ」
 ミクの追求をかわすかのように、テッドは妙に一段大きい声を出した。鮮やかなコバルトブルーの短めの上着に、少しグレーがかった水色のシャツとズボン。ユニフォーム姿の時より、さらに年齢を若くした感のあるユーリを振り返る。
「このまま進んでも意味がねえ。しばらくここで待機と行こうぜ」
「うん、けど――」
 ユーリはそこで口を噤んだ。視線を落し、眉をひそめる。今から口にする言葉を、頭の中で反芻するかのような表情だ。
「けど――何です?」
 頃合を見て、ミクが促す。ユーリは顔を上げ、一つ一つ確かめるような口調で言った。
「この霧、普通じゃない。何というか――自然のものじゃない。意識的な感じがするんだ」
「意識的? 人為的という意味ですか?」
「うん、でも、そんなことあり得ないよね。あり得ないんだけど……」
「そうですね」
 ミクは軽く頷くと、その白い指をすっきりとしたラインを描く顎に添えた。
「人為的であるかどうかの確信は持てませんが、少なくとも通常の霧とは思えません。中に入った瞬間からパルコムの通信機能が使えなくなるし、地表すれすれから立ち上るこの状態も、不自然です。普通、霧は、こんな風に地表面に接する位置から発生はしません。もしこれが自然のものなら、晴れるのを待ってから動くのが正解なのでしょうけど。方向はともかく、とりあえずこの霧の領域から脱出する方が、より良いのではないかと思われますね」
「要するに、前進あるのみってやつか?」 
 両手を頭の後ろで組みながら、テッドが言った。
「まあ、嫌いな考え方じゃねえけど――」
「あっ」
 ユーリが声を上げた。と同時に、一点を指差す。
「あそこだけ、霧がない。何故だろう」
「あー?」
 テッドは目を凝らしてユーリの指先が示す空間を見た。
「俺には何にも見えねえぞ」
「私にも見えません――でも」
 ミクに迷いはなかった。
「ユーリが言うのです。行ってみましょう」
「よっしゃ」 
 間髪入れずテッドが答える。
 こうして三人は、深い霧のさらに深部に向かって、再び歩き始めるのだった。

 

「この先――みんな、気をつけて」
 先頭を歩いていたユーリが、不意に立ち止まって言った。互いに逸れないように接近していたテッドとミクは、避けきれずに軽くユーリにぶつかった。行く手は相変わらずの深い霧に遮られたままであったが、二人はユーリの言葉に反応した。背負っていた荷物を肩から下ろすと、テッドは腰の銃に右手をかけ、ミクは鋲付きの皮当てをはめた両手を組んで、軽く指を鳴らした。
「行くよ」
 ユーリの声を合図に、三人は一歩前進した。微かに、でも確かに、体に纏わりつくような抵抗感が彼らを覆った。わずかな時を経てその感覚が途切れると、視界を塞いでいた霧が忽然と消え、代わりに強烈な光が彼らの目を眩ませた。
 低く耳障りな唸り声が、三人の鼓膜を震わせる。幾重にも重なり、厚みが増す。その声が高く、遠く、空で渦を巻くように響き渡る。
「……オオ……カミ?」
 ようやくその機能を取り戻した目を見開いて、ユーリが言った。
「十、十二、十五……参ったな。うじゃうじゃいるぜ。それに、オオカミってのは夜行性だろう、普通」
 そう愚痴をこぼしながら銃を構えるテッドに、冷ややかなミクの声が飛ぶ。
「どうでもいいですが、銃の無駄使いはしないで下さい」
「おい、オオカミ相手に短剣で戦えってか? それともお前さんが、全部素手で倒すって意味か?」
「私は銃を使うなと言っているのではありません。無駄使いするなと言っているのです。群れならリーダーがいるはず。狙うなら、それを狙って下さい――」
 その言葉が終わらぬ内に、ミクは数歩前へ踊り出た。そしてもう一人。あたかもまるでミクの影であるかのように、一瞬の間も置かず飛び出している者がいた。
 ユーリ――。
 ミクはその存在を左肩に感じながら、さらに半歩、オオカミの群れに迫った。

 
 
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