蒼き騎士の伝説 第一巻 | ||||||||||
第二章 起端(2) | ||||||||||
1 | 2 | |||||||||
「来る!」
最初の一頭がミク目がけて飛びかかった。難なくそれをかわすと、鋭い蹴りをオオカミの首根っこに加える。鈍い音と共に空しい悲鳴を上げ、オオカミはもんどりうった。
二頭目はユーリ。低く地を這うように駆け、ユーリの太腿に食らいつく。
キバと剣が、激しい音を立てる。
「くうっ」
ユーリは渾身の力を込めて剣を払い、すかさず振り下ろした。噴き上がる鮮血が、ユーリの滑らかな頬と艶やかな黒髪を染める。オオカミはらんらんと光る目を見開いたまま、どうっと倒れ込んだ。
静寂を伴う、一呼吸の間。
オオカミの群れは再び低く唸り声を上げ、少しずつ左右に散らばった。半ばユーリ達を取り囲むように、半円を描く。ひたひたとその足で草を食みながら、じりじりとその円を狭めていく。
アタマはどいつだ。
テッドはユーリ達の後方から、にじり寄るオオカミ達に視線を走らせた。ふと、群れの後方に聳え立つ、一本の木に目が止まる。木の根元には、こんもりとした茂み。その茂みの奥で、何かがきらりと光った。一つ、二つ、殺気と狂気に満ち満ちた光。
あれか!
いっせいに飛びかかるオオカミの群れ。それに呼応して、ユーリは左に、ミクは右に、その中央を、テッドが駆け抜ける。
「くらえっ!」
鋭い閃光が二つの光の中心を貫いた。激しい衝撃音が森を揺るがし、凍りつくようにオオカミの群れの動きが止まる。だが――。
「そんな……バカな」
テッドが放った一撃は、確かに二つの光りの間を撃ち抜いた。しかし、光は消えるどころか、さらに怒りの炎を加えて輝きながら近付いてくる。そしてもう一つ、もう一対の光。
「ランビアン!」
ユーリは目を見張った。オオカミ達より、一回り以上も大きな体に二つの頭。その頭のうちの一つは、大量の血に塗れ、骨が剥き出しとなっている。少なくとも人間の体なら、間違いなく死に至らしめるであろう破壊力。その破壊力を持ってしても、完全に打ち砕くことのできなかった強靭な体が、そこにあった。
体毛はない。黒光りする体は、まるで鋼鉄のような質感だ。裂けた額にぶら下がっている肉片が、分厚い鉄板のような堅い動きで揺れている。
腹の底から脳髄へと、突き抜けるような咆哮が上がる。巨体が空に飛び立つかのように躍り、そのままテッド目掛けて真っ直ぐに突進する。
閃光が走る。
再び放たれたレイナル・ガンは、寸分違わず、またもやランビアンの眉間を撃ち抜いた。鋼鉄の保護のない額は瞬時に砕け、粉々に飛散する。一瞬、巨体がよろめく。だが、もう一つの頭が激しく咆え、さらにスピードを増して挑みかかる。
鋭い牙がテッドの肉体を抉るより早く、ユーリの剣が振り下ろされた。ランビアンでなければ間違いなくその首を叩き落していた一撃だった。しかし、鋼鉄の皮膚は傷一つなく、ユーリの剣は真っ二つに折れた。
折れた剣先が、空高く宙を舞う。
澄み渡る青い空。
白銀の刃。
その刃が、まさに天を突き刺そうとした瞬間、ランビアンは目標を変え身を翻した。と同時に、ユーリの体が沈む。
嫌な、音がした。
その音を裏付けるように、おびただしい量の血が散乱する。巨体に隠れて、テッドやミクの方向からユーリの姿は見えない。
ユーリ……。
ただ、止めどなく吹き出る赤い血を、二人は呆然と見つめた。
ユーリ……。
祈るような視線の向こうで、ランビアンの巨体が小さく震えた。そして大きくぐらりと揺れる。
凄まじい音を立て、ランビアンは倒れた。声にならない断末魔の叫びを上げるかのように、大きく開かれた口が、空を睨む。
その喉元には、ユーリの半剣が突き刺さっていた。
「ユーリ!」
テッドとミクはそう叫ぶと、仰向けに倒れたままのユーリの元に駆け寄った。上半身は血塗れだった。だが、怪我はない。大きく肩で息をしながら、虚ろに一点を見つめている。指先一つ、動かす力も残っていないようだ。
「ユーリ?」
テッドとミクは、ユーリの視界に入り込むように覗き込んだ。黒い大きな瞳が小刻み揺れている。揺れるたびに、なお一層煌く瞳がやっと落ち着いた時、ユーリの右手が静かに動いた。その手で、ランビアンの血がついた顔を拭う。しかし、その行為は逆効果であった。さらに血塗れとなった顔をわずかにしかめて、ユーリは小さく呟いた。
「気持ち……わるい……」
ようやく、テッドとミクの顔に安堵の笑みが浮かぶ。テッドはユーリの傍らにどかりと腰を下ろして言った。
「それにしても……馬鹿力はミクだけかと思ってたが、お前までこんな怪力だったとはな。レイナル・ガンでさえ歯が立たない化物の体を一突きとは――」
「違う……よ」 ユーリの息は、まだ軽く弾んでいる。
「そこだけ違ったんだ。光り……方が。向って来た時、そこ……だけ少しくすんで見えた。だから、あいつの下に潜り込んで、そして……」
テッドは、死してなおも堂々とした光沢を見せるランビアンの巨体に目をやった。半剣の突き刺さった喉元を見る。確かにその部分だけ、他とは違っていた。青みがかった灰色の長い毛が、びっしりと生えていたのだ。指先で触れると、まさしくその部分は毛皮の感触であった。
なるほど、これを瞬時に見極めたわけか。
テッドはさらに、メタリックな光沢を放つ部分に指を滑らせた。堅い感触と共に、わずかばかりだがざらっとした抵抗を感じる。よく見ると、それは鱗であった。一枚の鉄板のように見えた皮膚は、恐ろしく堅い小さな鱗の集まりだったのだ。
「なんとも――」 テッドは軽く首を振った。
「変った生き物だな」
「こちらの方は、オオカミで間違いないようですが」
ミクは、倒れているオオカミの上にパルコムを翳しながら言った。
「生物学的には、種のレベルの違いしかみられませんね。要するに、私達とカルタスの人間との違いと同じです」
テッドは無言でオオカミを見た。そして、もう一度ランビアンを見る。
どうにも不思議な光景だ。全く異なる進化を遂げた生態系が、混在しているかのようだ。だが、だが、それよりも――。
テッドはおもむろに立ち上がった。腰に手を当て、辺りを見渡す。
「こいつぁ一体、どういう仕組みなんだ?」
そこには……。
巨大な霧の壁があった。いや、壁というよりカーテンと表した方が的確かもしれない。空の彼方、肉眼では見えない高さから吊り下げられた霧のカーテン。そのカーテンは、この場所をぐるりと取り囲むように、大きな円形を形作っている。
「不思議な空間ですね。この場所だけ霧がない。あまり現実的な見解ではないですが、なにかこう、ここだけ結界が張り巡らされているような――」
「あっ!」
とその時、ユーリが弾かれたように上半身を起こした。
「どうした? ユーリ!」
「どうしました!」
「オオカミ……オオカミは?」
その言葉の意味を理解するのに、二人はしばしの時間を費やした。やがてミクが微笑みながら口を開いた。
「大丈夫ですよ。みな、もうどこかに散ってしまいました」
「何を言い出すかと思えば、お前なあ。もし、オオカミがまだ残ってたら――」
テッドはしゃがみ込み、人差し指で軽くユーリの額を弾いた。
「今ごろは、この骨の髄までガリガリやられてるぜ」
「あっ!」
「だからあ、オオカミはもういねえって――」
「テッド。ユーリが言ってるのはオオカミのことではないようです。あそこを見て下さい」
ミクにそう言われ、テッドは振り向いた。二人の視線の先を追う。木立の向こうに巨木の黒い影。いや、木ではない。自然のものとは、違う――。
「ありゃあ、何だ?」
「塔のようにも見えますが」
「行ってみよう」
すっとユーリが立ち上がった。その動きに伴って、清冷な風が吹く。
「あそこに――何かある」
テッドとミクの顔に、緊張の色が走る。互いに顔を見合わせ、瞬時にその目の奥にある意志を確認する。
「行こう」
「行きましょう」
二人は同時に、そう答えた。