蒼き騎士の伝説 第一巻                  
 
  第二章 起端(3)  
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      三  

 錆びついた重い青銅の扉をこじ開け、やっとの思いで塔の中に踏み入った瞬間、ユーリは小さく身震いをした。石造りのため、ひんやりとした空気が塔内に漂ってはいたのだが、ユーリが感じたのはそれとは違う質のものだった。
「なんだ、空っぽじゃねえか」
 テッドは開け放たれた扉から差込む光を頼りに、薄暗い塔内を見渡した。さほど広くはない。が、高さはある。見上げると、積み上げられた石の隙間からも、微かに光が漏れている。
「上には昇れねえな。階段がない。まあ、昇っても何にもないけど」
「実用性のある塔、というわけではなさそうですね」
 ミクが首を傾げる。
「何か、シンボリックな意味合いを持つものなのでしょうか」
 だが、その問いかけに返事はなかった。無言のままテッドは腕組みをし、ユーリは傍らの石壁に、そっと右手を置いた。
 冷たい……。
 ユーリの指先に、あらかじめ予想した感覚が過ぎる。と、不意に鋭い痛みを感じ、慌てて手を引く。指先に残るヒリヒリとした感触を確かめるかのように、ユーリは自分の手を見つめた。
 哀しみ、
 怒り、
 憎悪、憎悪、憎悪――。
「ユーリ?」
 ミクの声にユーリは顔を上げた。少し間を置いてから、口を開く。
「誰かが――ここにいる。感じるんだ」
「おい、ユーリ。あんまり気味の悪いこと言うなよ」 
 テッドは思わず自分の背後を振り返りながら言った。
「俺はそういう話は苦手なんだ」
「そんなんじゃなくて――本当に誰かいるんだよ」
「お前なあ」
「だとしたら」 ミクが言った。
「地下ですね」
「地下?」
 ユーリとテッドは同時に声を出した。
「どこかに地下へ続く入り口があるかもしれません」
「地下への入り口だと?」
 テッドは足元の土やら埃やらを軽く蹴散らした。
「そんなもん、どこにも――」
 テッドの動きが止まった。ゆっくりと顔を上げ、ユーリとミクを見つめる。
「あった……」
 テッドの足元にあったのは、円形の青銅板であった。直径二メートルほどの輪郭に沿って、何本もの杭が打ちつけられており、そこにかけられた鎖が、重なりながら板を覆っている。全てが古びて、酷い錆びの出た状態の中、鎖につけられた錠前だけが、やけに新しい様相を示していた。
「やはりありましたか」
 先ほどと、寸分違わぬ冷ややかな声でミクが言った。
「おそらく、この下に地下へ続く道があるのでしょう。まずは、この鎖を外さなければ」
「なんだかな」 テッドはあまり気のない声を出した。
「いかにも、開けてくれるなって感じなんだがな」
「まさかとは思いますが」
 ミクの瞳に、珍しく薄く笑みが浮かぶ。
「この中に幽霊でもいるんじゃないか――などと、恐がっているわけではないでしょうね」
「ふざけんなよ」
 むっとした表情のまま、テッドは錆びた鎖を手に取り、最も傷みの激しい辺りを狙って短剣の刃を立てた。
「なんたって、俺は医者なもんでね。まともな倫理感を持ってるんだ。こういう不法侵入は、よくねえだろうって、それだけ――」
 金属同士が擦れ合う嫌な音と共に、小さな破片が飛んだ。しかしそれは錆びた鎖ではなく、短剣の刃先が欠けたものであった。
「こいつは……。ただの鎖じゃねえぞ」
「おかしいですね」 
 パルコムを覗き込みながら、ミクが呟く。
「正真正銘の、錆びた鉄……なんですが」
「で、どうする? ミク閣下のお許しがあれば、一発ぶっ放すことができるんだがね」
 ミクの眉が、軽く引き上がる。
「レイナル・ガンで確実に破壊できるのなら、それもいいでしょう。ですが――」
「んなもん、やってみなくちゃ分からんだろう。この鎖の正体、パルコムじゃ、分析不能なんだろう?」
「それはそうですが――」
「とにかく一発、ぶち込んでみようぜ。でなけりゃ、どうしようもない」
 ユーリは二人のやりとりを聞きながら、青銅を覆ってる鎖に目をやった。注意深く視線を走らせる。いや、視覚だけではない、全ての感覚を、鎖に沿って走らせる。
「……ユーリ?」
 ミクの声に、テッドはユーリを振り返った。見ると、折れた剣の先を、青銅の中心を通る一本の鎖に突き当て、立っている。
「おい、ユーリ」
「試してみる」 ユーリは答えた。
「多分、ここだと思うんだ」
 そう言うと、ユーリはゆっくりと剣を沈めていった。ほとんど力は入れていないように見える。しかし剣先、といっても欠けた状態のものだが、それは確実に錆びた鎖に食い込んでいった。
 静かに、柔らかく、深く。
 沈む剣先が、まさにその底に達しようとした瞬間、ミクは鎖が揺らめく青白い光に包まれるのを見た。いや、見たというのは間違った表現かもしれない。はっきりとその光を認識したのは確かであったが、それが人の、普通の人間の、可視能力の範囲にある存在のものなのか、ミクは確証が持てなかった。
 直感、第六感――。
 多くの人間には見えないもの、感じられないものを知覚する力が、ミクにはあった。今の地球の科学力を持ってしても、これらの力の実証化はかなわなかったが、その存在と必要性は、一昔前とは異なり広く認められていた。特に、人類が頻繁に宇宙に出るようになってからは、主に危険、非常時対応能力として、それらの力は評価された。五感では得ることのできないものを敏感に感じて、危険を回避、あるいは危機的状況を打破する。未知なる宇宙に飛び出す者として、間違いなくプラスとなる能力だ。
 ミクには、その力があった。そして、ユーリにも。ただしユーリのそれは、ミクのレベルを遥かに超えたものであった。
「……くっ」
 ユーリの両腕に力が込められた。鎖を覆う光が炎のように揺らめき、燃えさかる。強く、激しく、青白い炎は瞬く間にユーリの全身を包み込む。
「はっ!」
 その声と共に、炎は無数の光の粒子と化した。あたかも、ガラスが粉々に砕けたかのように、青く煌く粒が空間を埋める。そして、わずかな時を置いて、光は闇に溶け入るように、一粒残らずその色と輝きをなくした。
 断ち切れた鎖が、大きな音を立てる。
 扉は、開いた。

 

 
 
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