蒼き騎士の伝説 第一巻                  
 
  第三章 仮面の王(1)  
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 <仮面の王>

      一  

 しんと静まり返った城の一室で、アルフリートは一人、執務に精を出していた。ほんの数日前、華々しい結婚式をあげたばかりのこの若き王にとって、既婚後初めての公務であった。机の上に積み上げられた書類の一枚一枚に目を通し、署名をする。極めて単調な作業であったが、アルフリートは丁寧にそれらをこなしていた。
 風――?
 ふと、アルフリートは顔を上げた。小さく、質素な空間が目の前に広がる。落ち着いた色彩が支配する中、唯一、机の上に飾られたフランフォスの花が、その部屋に華やいだ春の色を与えている。
 気のせいか。
 窓も扉も堅く閉ざされているのを確認すると、アルフリートは再び書類に視線を落とした。優美な仕草で左手を頬にあてがい、頬杖をつく。ろうそくの柔らかな光が、優しくその顔を照らす。
 美しき王、アルフリート。
 誰もがそう形容するほど、アルフリートは美貌に恵まれていた。そしてまた、この王を拝するキーナス国自身も、類まれな美を備えた国として、広く人々に認められていた。
 アルビアナ大陸のほぼ中央に位置するこの国は、国土こそ広くはないが土地は肥沃で、豊かな自然の恵みに満ちていた。北方には、大陸随一の高さを誇るパルディオンの山々がそびえ立ち、それが自然の城砦となっていた。頂きに純白のベールを被るその姿は、気高く誇り高い聖女を彷彿とさせた。それに連なるように、国の西方を小高い山々が縁取り、山間には、いくつもの小さな湖や森が、宝石のごとくちりばめられていた。実際、この地方では貴重な鉱石が数多く採掘されている。リルの鉱石が発掘される場所も、これらであった。
 一方、東方のトルキアーナ海に面する海岸線には、波の穏やかな自然の入り江を生かし、漁港、貿易港として栄える港町が点在していた。さらには、ハンプシャープの離宮にほど近いマルーレア海岸のように、目に眩しいくらいの白砂がどこまでも続く浜も存在し、キーナス国の美しさに一役買っていた。南方には深く、黒々とした巨大なドマーニの森が、隣国との国境付近まで広がっており、山や海とは違う恵みを、人々にもたらしていた。
 しかし、数多の国がそうであるように、キーナス国の自然の美しさと、その歴史とが、ぴったり符合することはなかった。それはこの国の創生の由から、運命づけられていたともいえよう。
 エルフィンの遺産。
 キーナスにはそう呼ばれるものが、二つあった。
 今では伝説の中でしか存在しないエルフイン。その最後のエルフィンが、ここキーナスの地で息を引き取ったという。その時、そのエルフィンを看取ったのが、近隣の村に住んでいた娘、シュレンカ。彼女は、エルフィンが亡くなった後も、毎日その地に花を捧げたという。銀白色に真っ白な衣を幾重にも重ねたような、フランフォスの花を。
 時は流れ、世代が変っても、その慣わしは続いた。村に人が溢れ町となり、やがてそれが一国を成す大きさに至るようになっても、その心は受け継がれた。伝説の地には、最後のエルフィンを祭る祠が建てられ、時代と共にそれは大きくなっていった。そしていつしか代々の王も、エルフィンと共にそこで眠るようになる。キーナス国の王家の墓。伝説の地は、そう名付けられた。
 しかしこの存在が、人々の心に暗雲を呼び込んだ。エルフィンにまつわる伝説は、世界各地、無数にあったが、その亡骸が眠っているという話はここにしかなかった。人の何十倍もの寿命を持ち、不思議な魔法を使うエルフィン。死してなお、何らかの力がその体に宿っているのではと考える者がいても、不思議はない。永遠の命、絶対的な力。その妄想に、その幻想に、人々は取り憑かれた。
 キーナス国の王家の墓。
 その言葉を口にするたび、暗く澱んだ塊を、心のうちに住まわせる者は多かった。
 そしてさらに、もう一つ。人の心を暗黒へと誘うものが、キーナスには存在した。旧世界を滅ぼしたといわれるガーダの作りし怪物。それが、エルティアランの地底に眠っているというのだ。その実体に関する描写は様々であったが、ただ一つ、いずれの話でも共通していたのが、その破壊力の凄まじさであった。それは、一瞬にして町や都市を滅ぼした。天を焦がす炎が、全てを平伏させる風が、何もかも灰にし塵に変えた。そしてこの話は、悪しき心を持つものだけでなく、凡庸な、善良な者達の心にも、黒い楔を打ち込んだ。世界を破滅させる力。それがそのまま、世界を征服する力になると、錯覚する者が跡を絶たなかった。

 
 
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