三
『エルフィンの紋章を取ってくるのだ』
『なぜだ? その紋章に何の意味がある?』
『きさまの知るところではない。ただ取ってくれば良い』
『断る』
『王印?』
『そうだ。王家の墓には、我が身の証となる王印が納められている』
『それを取りに行くってか? まだ無理だ』
『こうしている間にも、あの偽者が、ガーダが……。良からぬ策を張り巡らせているかもしれぬ。一刻も早く、我が国、キーナスをこの手に――』
『なんとか命は取り留めたが』
『良かった』
『――で、どうする?』
『怪我人を放っておくわけにはいかないでしょう。真の王であるかどうかは別として』
『でも、彼は――嘘を言ってないよ。僕はそう思う』
『じゃ、決まりだな』
『エルフィンの紋章を取ってくるのだ』
『彼は嘘を言ってないよ』
『キーナスを、この手に』
『エルフィンの紋章を取ってこい。取ってこい。取ってこい――』
「うわあぁ!」
アルフリートは寝台から飛び起きた。顔が火のように熱い。そっと手を滑らすと、鈍い痛みを伴ってねっとりとした感触が指先に残る。膿んでいるのだ。無残に焼かれた顔は、熱を帯びても十分にそれを放射することができなかった。ましてや日中は、銀の仮面に覆われている。塞ぎきっていない傷口が、次から次へと膿んでいく。いくらテッドが治療しても限界であった。
そしてそれは、体の傷でも同じことがいえた。本来なら、旅をするどころか歩くことさえままならない状態であった。気力だけが、アルフリートを支えていた。偽王の正体を暴き、キーナスを取り戻す。その一念だけで、彼はその身を動かしていた。
キーナスを、この手に――。
くっきりと闇を彩る白銀の月が、夜が明けるまでにはまだ間があることを静かに告げていた。とうとうと降り注ぐ淡い光の中、アルフリートは一人中庭に佇んだ。
ビルレームの屋敷は、さすがポルフィス一の商人のものだけあって、広大で立派なものだった。しかし、それは外観のみにいえることであり、元は豪奢であったかもしれぬ内観は、古さのみが目立つ状態で放置されていた。もちろんその中には、それなりに値が張るであろうと思われる調度品も置かれてはいたが。如何せん、部屋の広さとその数が釣り合っていない。どの部屋も、少し寂しげに見える。裕福とは言いきれない実情が、垣間見える。
それは、その日の食事にも現れていた。腕の良い料理人と、何より旅人をもてなそうという主の気持ちのおかげで、味は申し分なかったのだが。その材料は決して豊かなものではなかった。
ラグルの蛮行は、報告で受けていたものより深刻なようだ。
アルフリートは胸のうちで呟いた。
涼やかな風が、頬を撫でる。仮面を付けている昼間では味わえない、心地よい感覚。風はアルフリートを掠め、そのまま背後の木々の葉を揺らした。その音に誘われ、何気なく振り返る。
人――?
とっさにアルフリートは両腕で顔を隠した。今宵はワルレーンの月の日。二つの月がほぼ正円に光り輝く、最も明るい夜だ。
見られた。
アルフリートはそう確信した。しかし、その確信を裏付ける反応がない。鼓膜を突き刺す甲高い悲鳴がない。腕の間から覗き見えるその人物は、表情一つ変えず、真っ直ぐにこちらに向かってくる。長い髪に大きな瞳の、若い女性。
「あの……」
鈴を振ったような、軽やかさと可愛らしさを含んだ声が響いた。
「旅のお方……ですね」
そこでアルフリートは理解した。ゆっくりと両腕を下ろす。女性はアルフリートの胸元辺りを漠然と見つめている。
「そなた、目が――」
「はい」
女性は唇と頬に、笑みを湛えた。
「よく見えないのです。なので、失礼を致しました」
「いや、そんなことは」
アルフリートの言葉に、女性はまたにっこりと微笑んだ。
「寝付かれぬ時は、いつもこの庭に出るのです。なぜかここにいると落ち着くので」
「あなたは?」
「まあ、すみません。わたしったら」
ころんとした美しい声が、アルフリートに違う面影の人物を想起させた。
「わたしの名はトゥアラ。ビルレームの娘です」
「そうでしたか。この家の」
「でも、本当の娘ではありません」
アルフリートはトゥアラを見つめた。その顔に明るさが失われていないのを認めると、黙したまま言葉を待った。