蒼き騎士の伝説 第一巻                  
 
  第三章 仮面の王(3)  
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「もうすぐ、夜が明けますね」
「…………?」
「目が見えないのに、おかしなことを言うとお思いでしょう? 明るさだけは、なんとなく感じることができるのです。見える方には分からないような、微妙な違いまで」
 アルフリートは空を見上げた。トゥアラの言う違いは分からなかった。ただ、冷え冷えとした銀の月が、ほんの少し温かみを加えた光を放っているように感じた。
「それでは」 鈴の音が鳴る。
「わたし、部屋に戻ります。そろそろ父も、目を覚ます頃ですし。アレム様は?」
「私は、もう少しここに」
「そうですか。それでは」
 その声に合わせ、アルフリートは手を差し伸べた。その動きを風で察したトゥアラは、可憐に微笑んだ。
「どうぞご心配なく。ここはわたしの庭ですから。アレム様の方こそ、まだ闇は深いのですから足元にお気をつけあそばせ。そうだ」
 トゥアラはそう言うと、自分の胸元を探って、身につけていた服から細い布紐を引き剥がした。
「これは、我が家に伝わる風習です。旅立つ者の無事を祈って、身につけているものを手首に巻く。アレム様、よろしければ左手をお出しください」
 アルフリートは言われるまま、左手を前に出した。トゥアラの白い手が、アルフリートの手を探して空を漂う。二人の手が触れる。柔らかな感触が、アルフリートに伝わる。一方、トゥアラには別の感触が伝わっていた。しなやかな手。だが、手の甲と手首に、不自然なおうとつがある。これは何かの傷跡。それも、かなり深い傷跡……。
 トゥアラは両手でその手をそっと包み込んだ。そして、布紐を手首に結びつける。結び終わるともう一度、トゥアラはアルフリートの手を包んだ。
「旅のご無事をお祈り致します。どうぞ、どうぞ、ご無事で」
 暖かな感触がアルフリートの手から離れた。その感触をくれた人物が闇の向こうへ姿を隠すのを確認すると、アルフリートは手首に視線を落とした。
 ふと――。
 ある言葉が口をつく。あの塔の中で、旅の途中で、毎日毎日幾度となく、心に溢れてくる言葉。しかし、それを一度口にしてしまえば、自らの全てが崩れてしまう気がして、無理やり封じ込めていた言葉。
「……ウルリク」
 薄紅色の唇から発せられたその言葉は、自身の鼓膜に甘く響いた。その言葉がもたらした空気の震えが、優しく皮膚の中に染み渡るかのようだった。光を伴ったその言葉は、暗い心のうちを照らしながら、その最深部にまで突き進む。かたくな何かを包み込むようにして、溶かしていく。
 その時、アルフリートは気持ちの中に揺らぎがある事に、初めて気付いた。
 一時凌ぎにしか過ぎない。だが、一時凌ぎにはなる。
 そんな思いが心の底に浮かぶ。そしてそれは小さな水の泡のように、頼りなげに揺らめきながら上昇した。心の水面を目指して……。
「――っつぅ!」
 激しい痛みが、アルフリートを襲った。爛れた皮膚の下が、どくどくと脈打ちながら疼く。一つ疼く度に、胸の内に冷風が吹き荒ぶ。
「ガーダめ……」
 そう低く唸るように発せられた言葉が、たちまちアルフリートの心を氷結させた。リルの鉱石と同じ蒼い瞳に、強い負の光が満ちる。
「先を急がねば」
 一つの感情に支配された声で、アルフリートは呟いた。
「我が国を、キーナスを、この手に――」

 

 
 
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  第三章(3)・3