蒼き騎士の伝説 第一巻                  
 
  第六章 流血(2)  
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「私が……アルフリートだ」
「はっ!」
 ヌアテマの口から、大量の息が吐き出された。
「情けない。こんな気狂いに、むざむざ乗り込まれるとはな」
「私は――」
「アルフリートなら顔を知っている。仮面はその顔を隠すためか、そうでない顔を隠すためか」
「…………」
「もういいだろう。お前達と遊んでいる暇はない。殺りたければ殺れ。わしにはやらねばならないことがある」
 ヌアテマが動いた。ユーリの剣はそれを追わなかった。代わりにアルフリートの声が追う。
「待て」
 そう言うと、アルフリートは鈍い銀色の仮面に手を添えた。おもむろに、それを剥がす。爛れた赤黒い皮膚に覆われた顔が、露となる。ヌアテマの動きが止まる。
「はめられたのは、私も同じだ」 小さいが、気の満ちた声が響く。
「この争いは無意味だ。私が止める。お前達は手を出すな」
「止める?」 ヌアテマの目の底が、冷たく光る。
「その醜い顔を見せれば、軍隊が引き返すとでも言うのか」
「王たる証は、この顔だけではない。必ず止める。だから――」
「無理だ!」
 ジュカスが叫んだ。
「もう仲間の大半を引き連れて、タークゥムが山を下った」
「タークゥムが? 勝手な真似をしおって」
「まだ日が高い。風が変わるまで、まだ……そう言って」
「風……」
 ヌアテマの顔の厳しさが増す。
「軍隊はどこまで来ている。それほど迫っているのか?」
「おそらく今は、カブラルニ台辺り」
「なるほど。夜を徹して上ってきたというわけか。とすれば、タークゥムの判断は間違っていない。ジュカス、お前は残っているものをまとめて、キリートム山のリンデンの所まで退避させろ。わしは――」
「駄目だ、お頭。そこにも危険が迫っている。街道に出て行ったきり戻らない、ラムランド達を探しに行った仲間からの報告だ。その方向にも、軍隊が向かっている」
「何だと?」
 ヌアテマは左の掌と右の拳を打ち合わせた。
「ラグル全てを根絶やしにするつもりか。どれだけの兵が向かった? 五百か、千か?」
「報告によれば……およそ一万」
「馬鹿な。たかがリンデン一派に、一万?」
「……キリートム山。その方向には……エルティアランがある」
 自失した声で、アルフリートが呟いた。ヌアテマの顔が凍り付く。
「エルティアラン――だと?」
 ユーリに剣を突き立てられた時にも見せなかった表情が、浮かぶ。
「そんな大軍を、エルティアランに……」
 ヌアテマはぎりっと奥歯を噛んだ。そして鋭く言う。
「ジュカス。オラムはもう出たか?」
「いや、まだだ」
「そうか。では、ここへ呼べ。お前は先に命じた通り、事を成せ」
「ルス!」
「デルマン、バイファ!」
 ヌアテマは一段と声を張り上げた。
「お前達はわしについて来い。人間どもを迎え撃つ」
「……待て」
 無意識下で独り言つような、虚ろな声でアルフリートが言った。
「これは――無意味な」
「分かっている!」
 ヌアテマは、アルフリートを睨みつけながら怒声を放った。
「何度も言うな。誰の謀かは知らぬが、むざむざ踊らされてなるものか。人間どもがどうなろうと構わぬが、巻き添えはごめんだ。この戦い、わしが止める。タークゥムは、お前達には止められない。これはわしにしか出来ぬ。だから」
 ヌアテマはそこで、アルフリートの真正面に立ちはだかった。
「お前は、お前にしかできぬ事をやれ。もし本当に、お前がアルフリートならな」
 精彩を欠いたアルフリートの瞳が、俄にスパークした。瞬く間にそれは、強い輝きを放つ。
「ジュラ・マヌン・バルビィーオ」
 と、一際大きな体のラグルが部屋に入って来た。声も野太く、目つきも鋭い。
「シッ・ディファース!」
 入るや否や、斧を振り上げたラグルを制し、ヌアテマが言った。
「落ち着け。この人間どもは敵ではない。少なくとも、今はな」
 口の端をわずかに歪めながら、ヌアテマは続ける。
「こいつらに、この先の洞窟を案内してやれ。エルティアランへは、そこを抜けるのが近道となる」
「バルビィーオ」
「こいつらを送り届けたら、そのままキリートム山へ向かえ。わしらもそこへ、いったん退く。分かったな」
「ワルマ――」
「これは命令だ。理由は道々、こいつらに聞け。いいな、オラム」
 オラムと呼ばれたラグルが、やっと沈黙した。その姿を満足げに見やると、ヌアテマはアルフリートの方を向いた。
「しばらくの間、オラムをお前達に貸そう。わしの娘を」
「娘?」
 思ったままの言葉が、ユーリの口をついて出た。だが、その本意は、幸いにもヌアテマには伝わらなかったらしい。目を細め、笑みを浮かべてユーリを見る。
「オラムは使えるぞ。お前の腕といい勝負だ。わしの自慢の娘だからな」
「……おやじ」
 ヌアテマより低い声で、オラムが言った。不服そうに顔をしかめ、ユーリ達を一睨みすると、さらにどすの利いた声を出す。
「おやじの命令なら仕方ない。お前達、ついて来い」
 できればついて行きたくないんだが。
 そう胸の内で呟きながら、テッドは巨体の後を追った。ミク、ユーリとそれに続く。そして。
 アルフリートはヌアテマを見た。ヌアテマもアルフリートを見る。
 為すべき事を為さねばならぬ。今、すぐに――。
 互いの心が沈黙のうちに共鳴した時、アルフリートは踵を返し、ヌアテマは吠えた。
「ディ・リバ・デオーラ!」
 仲間と共に戦場へ向かうヌアテマの雄叫びをその背で聞きながら、アルフリートは駆けた。薄暗い洞窟の先にある、ユーリ達の姿を追う。
 為すべき事を、今――。

 

 
 
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