蒼き騎士の伝説 第一巻                  
 
  第六章 流血(3)  
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      三  

 リブラは軽く左手を上げた。隊の歩みが止まる。ファルドバス山の中腹、わずかばかり開けたカブラルニ台。目標とするラグルの村までは、まだ大分ある。
 すでに自分達が向かっていることは、ラグルに知られているだろう。おそらくは、この先の狭くうねった山道で、彼らの先陣と相対することになる。ラグル一人に、三人がかりが戦闘の定石。それには、広い平地が好ましい。なんとか村のふもとに食らいつきたかったが。そこなら、少なくともここの二倍の広さがある。
 あわよくばと思ったが、やはり無理か。
 となれば、最悪、山道を避けねばならない。が、かといって、この場に止まるのも、決して得策ではない。隊全体が上りきれずに下の細い道に溢れているし、何より向こうもわざわざここまで降りてはこないだろう。地の利のある相手に時間を与えれば、それだけこちらが不利になる。進むしかない。
 リブラの左手が下がった。先ほどより幾分歩みを緩やかにして、隊はさらに上へと動いた。


 山道は険しかった。ただ歩くだけでも厳しい上に、重い甲冑や大きな盾が、さらにリブラ隊を苦しめた。しかし、この装備を解くわけにはいかない。ラグルは近い。
 兵の一人が空を仰いだ。照りつける夏の太陽も、彼にとっては敵だった。眩しい光りを恨めしげに見つめる。男の瞳孔が、急に大きく開かれる。
 天から振り降りたその巨大な影を、兵士はかろうじて盾で受けた。そしてそのまま仰向けに倒れる。
「敵襲!」
 誰かれとなく上がった甲高い叫び声は、たちまち喧騒の波に呑み込まれていった。岩肌に現れた、幾つもの黒いこぶ。ラグルだ。それが雪崩れのように襲いかかる。凄まじい破壊力の一振りを食らわすと、また岩山を駆け上がり、そして再び駆け降りる。
 リブラの隊は混乱した。ラグルが斧を振り下ろす度に、血と肉がちぎれ飛んだ。
「下がれ! 固まりながら下がれ!」
 喉を引き裂かんばかりの大声で、リブラは叫んだ。叫びながら盾を構える。斧の激しい衝撃が、盾を通して左腕を痺れさせる。剣が翻る。ラグルの首を掻き切る。真っ赤な血を大量に吹き上げながら、ラグルはその場に崩れた。
「固まれ! 下がれ!」
 そう叫ぶ間に、リブラはさらに一人を沈めた。
 剣と斧がかち合い、火花が散る。怒号と悲鳴が入り混じる。血の色と匂いがそこここに溢れ、それが異様なまでに気持ちを高揚させる。恐怖と恍惚が錯綜し、極限まで研ぎ澄まされた感覚と、麻痺してしまった感覚とが、精神の均衡を粉々にする。
 それでも、隊は最初の混乱を乗り越えつつあった。列を組み、山の斜面づたいに傾れ込むラグルを盾で受ける。そのまま誘い込むように後ろに下がり、複数で囲みながら剣で対する。
 これでようやく五分と五分。だが。
 兵に檄を飛ばしながら、リブラは祈る。
 この状態がいつまで持つか。長引けば長引くほど、体力に勝るラグルが有利となる。知らせはまだか。まだか――。
 一人の兵士の目の前で、真っ二つに人間が割れた。腰が砕ける。剣を持つ手も、盾を持つ手もだらりと下げ、呆然と目に映るものを見る。
 大きく肩で息をするラグル。真っ赤な斧。その背には、灰色の岩肌。天に向かって聳え立つ。空が青い。雲一つない。そこに、白い……。
「……煙だ」
 兵士の口から乾いた声が漏れた。
「煙……だぞ」
「煙が上がった!」
 最初はさわさわと、やがてそれは歓喜のうねりとなって隊を包んだ。山の高台から幾筋もの煙が立ち昇っている。その数が、みるみるうちに増えていく。ふもとから吹き上げる風が、さらに強くそれをたなびかせる。
「砦は落ちた」
 凛としたリブラの声が、おびただしい血を吸った岩肌を震わす。艶やかな響きが、隊の隅々まで行き渡る。
「もはややつらに帰る場所はない」
 リブラは大きく右手を振り上げ、それを真っ直ぐに振り下ろした。
「進め!」
 勝敗は決した。

 

 
 
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