蒼き騎士の伝説 第一巻                  
 
  第六章 流血(3)  
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 ヌアテマは斧を振るった。草を払うように人を払う。
 別働隊がいたことに気付かなかったのは不覚だった。まさか、ふもとの道を登らず西に折れ、崖を這い上がって来るとは。それでも、アルフリート達との一件で出遅れたことが幸いした。一筋の煙をその目で捉えた時、彼はまだ村からそう遠くない位置にいたのだ。数十人程度の仲間と共に引き返す。もちろん、村は捨てるつもりであった。しかし、ここを今押さえられては退却に差障りがある。キリートム山へは、この村を超えて行かねばならない。
 ヌアテマの目に、二百ばかりの弓兵が映る。そのまっただ中に斬り込んで行く。脆いものだった。村に向けて火矢を放つことだけを目的とした人間など。崖を登るため、武器だけを持ち、他はろくな装備をしていない人間など。
「退却、退却!」
 あらん限りの声で叫ぶ兵士の目前でもう一人薙ぎ払うと、ヌアテマは吠えた。右腕に二本、左の太腿に一本。さらに鎧越しに背に一本。突き刺さる矢をものともせず、斧を振り上げる。
「退却――!」
 兵士の声はそのまま断末魔の叫びとなった。すでに弓兵の半数近くがただの肉の塊と化し、転がっていた。とうに戦意を失った残りの兵も、同じ運命を辿ることになるのは時間の問題だった。
 しかし、ヌアテマは吠えた。吠えて仲間を呼び戻す。憑かれたように、なおも殺戮を止めない者の肩をつかみ、噛みつかんばかりに吠えてそれを制する。
 この戦いは無意味だ。
 そう、アルフリートと名乗る男は言った。馬鹿げた話だ。戦いに意味など求めてどうする。ヌアテマにとって、それはどうでもいいことだった。ただ、意味はともかく、これが仕組まれたものであるということが許せなかった。どこかで謀略者が、安穏と高みの見物をしているのかと思うと、無性に腹立たしかった。
 散り散りに逃げ惑う弓兵を尻目に、ヌアテマは一つ大きく息を吸い込むと、山を駆け降りた。


 村から上った煙が、先陣で熾烈な戦闘を繰り広げていたタークゥム達を慌てさせた。結果、その事がヌアテマの意に添う形となる。タークゥムは、仲間に後退を命じた。村が奪われたことに恐れをなすもの、逆上するものが入り乱れ、それが少なからずの犠牲を出した。それでも大半は崖を上り、村へと向かう。人間にこの崖は上れない。道をつたって来るしかない。本隊が上り詰める前に、村を襲った人間どもを討つ。タークゥムは吠えた。と、その声に答える雄叫びが、すぐ上から響く。姿より先に、声でその相手を認識すると、タークゥムは大声を出した。
「バルビィーオ!」
 目の前に、ヌアテマが振り降りた。互いの無事を、肩を抱いて称え合う。だが、耳打ちするようにヌアテマが発した言葉に、タークゥムの顔が豹変した。歯を剥き、抗議するような鋭い目を向ける。だが、それよりも強い力のこもった目で見返され、彼は折れた。仲間に声をかけ、先頭をきって山を上る。視界の中央に村を、その端に弓兵を捉えながら、タークゥムはなおも上を目指す。山頂まで一気にかけ上がると、立ち止まり、振り返った。
 ちょうどその時、村のすぐ下の崖に張り付くようにして立ちながら、ヌアテマは頂上を見上げていた。頭上に大きくせり出した岩があって、先は見えない。しかしこの時、ヌアテマの目は真っ直ぐに山頂を射抜いていた。すでに彼の仲間はみな、その視線の先に達していた。
 ここまで来れば、もう――。
 ヌアテマは左手に力を込め、右足を強く蹴った。ばねのようにしなやかな筋肉が、体を上へと押し上げる。せり出した岩を軽々と超え、今度はその岩を足場に駆け上る。が……。
 胸を貫くような衝撃を背中から受け、ヌアテマは体勢を崩した。そのまま崖から転がり落ちる。一度、二度、三度。岩の出っ張りに強く叩きつけられ、大きく跳ね上がる。その度に鮮血が、印を付けるかのように岩肌を染める。
 ぐふっ……。
 ヌアテマの体がようやく止まった。うつ伏せに倒れたまま、血を吐く。息が詰まる。苦しげに、口が呼吸を求めて大きく開く。しかし、その務めを果たさぬまま、ヌアテマは絶えた。
 風が、変った。

 

 
 
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