蒼き騎士の伝説 第一巻                  
 
  第六章 流血(4)  
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 薄く垂れこめた雲の間から、月が淡く光る。わずかばかり、銀の粒子を含む闇に包まれながら、山を下りる。行くあてはない。仲間がキリートム山へ逃れたのは知っているが、そこに行くことはかなわぬだろう。もちろん、俺には何の落ち度もない。悪いのはあいつだ。ヌアテマの方……。
 ラムランドの歩みが早まる。何故だか分からない。憑かれた様に足を前に出す。
 裏切ったのはヌアテマだ。フィシュメル国王にまんまと言いくるめられて。親書を手にした時の、あのマヌケな面を見ろ。裏切り者め、裏切り者……。
 ラムランドは立ち止まった。
 親書……。俺はいつ、あいつが受け取った所を見たのだ?
 記憶が千切れる。断片的に浮かんでは消える。それを追いかけるかのように、ラムランドは歩みを早めた。
 仲間が死んだ。たくさんの仲間が。剣に突かれ、弓で射抜かれ、そして焼かれ……。
 焼かれ――?
 そうだ、燃えている。仲間が、町が。人間の町だ。ポルフィスの……町。町を襲え、そう命令した。ヌアテマが……。
 ヌアテマが? いつ、あいつがそんな命令を出した?
 ラムランドは駆け出した。ごつごつとした岩が右膝に当たる。血が吹き出る。だが、まるでそれに気付かないかのように、真っ直ぐに進む。
 そうだ。誰かがそう言ったのだ。親書のことも、町を襲うことも。誰かが俺に……。
 誰が――?
 口の端からだらりと透明な液体が溢れる。苦しげに胸を掻き毟る。それでも走り続ける。転がり落ちるような速さで、突き進む。
 全てはフィシュメル国の差し金。ヌアテマが裏切った。そしてこれが証拠の親書。見よ、ここに。これをお前に渡そう……。
 お前に、渡す――?
 ちゃんと覚えたか? この親書を持ちて、言われた通りに……。
 ラムランドの体が大きく傾いた。そのまま膝をつき、わなわなと震える。
「お前は誰だ? 誰だ? 俺に命令するのは」
 ラムランド!
 叫んだのは、すぐ上の兄だった。しかし、自分が振り返った時、兄は体中から血を吹き出して倒れた。まだ街道にも達していない、そう、ちょうどこの辺りで。倒れたのは兄だけではない。その時一緒だった四人ともが、一瞬にして血にまみれて伏した。そして自分も。そう、俺も、殺られたのだ。俺も……。
「ぐわっ」
 ラムランドの口から悲鳴が上がった。全身を突き刺すような痛みが走る。突然刻まれた無数の傷。そこから潮を吹くように血が溢れる。
 そうだ。あの時俺は、こうして倒れて……。空から。そう、空から、町に落とされた。そしてそのまま、人間と共に、町ごと焼かれた。だが、俺だけ、俺だけ再び蘇った。お前にはやってもらうことがある。そう言って、あの親書を渡されたのだ……。
 ラムランドの体から、尋常ならざる血液が流れ続ける。体が萎えるようにしぼむ。肉の腐った匂いが周囲に立ち込める。虚ろな光しか持たぬ目は、もはや過去の残像しか見ていなかった。
 白い紙。そう、これが親書。鷲づかみにしている手。緑がかった褐色の、まるで蛇の鱗のよう。この手が、俺達を皆殺しにした。ポルフィスの町を焼いた。一瞬で、その掌を翻しただけで。錆び色の衣から覗く、あの掌が。赤い不気味な目をした、あいつの手が……。
 ラムランドの背が反り返った。体が二つに折れる。喉の奥から、微かに空気の音が漏れ聞こえる。
「……おま……えは……お……まえは……」
 皮膚が溶ける。肉が崩れる。真っ白な骨が露わとなる。
 そこにはもう、魂の宿る器はなかった。何日も前に息絶え、腐敗した生き物の残骸が、ほんのりと蒼い月に、ただ照らされていた。

 

 
 
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  第六章(4)・3