蒼き騎士の伝説 第一巻                  
 
  第七章 エルティアラン(2)  
                第七章・3へ
 
 

 王の使者が現れたのは、ヴェーンにほど近いトルトマの町に着いた日の夜だった。風が強く、切れ切れの雲の合間から、月がしきりに見え隠れしていた。使者は二人。騎士と従者。ティアモスに書簡を渡すと、すぐさま来た道を駆けて行った。キーナスにおいて公文書のみに使われる特別な紙に、紛れもない王の文字と印。そこには、できるだけ先を急ぐようにと綴られた後、次の一文が連ねられていた。

 この紋章を持ちて、ディルフェルの壁の前に立て。
 ただし、誰にもそのことを悟られてはならぬ。

 ティアモスは懐に手を入れた。そしてその手に当たったものを、そっと取り出す。暗緑色の小さな円盤。表面に細やかな模様。書簡と共に届けられた小箱の中に、初めてそれを見出した時から、ティアモスの心の平穏が消えた。漠然とした恐怖が波のように押し寄せ、常に心が乱れる。
 この紋章を持ちて、ディルフェルの壁の前に立て。
 立てばどうなる? 何が起こる?
 ティアモスは手の中にあるものを、強く握り締めた。
 考え過ぎだ。でなければ、考えが足りないのだ。
 ここ数日、呪文のように唱え続けてきた言葉をまた唱え、ティアモスはそれを懐に押し戻した。天幕の立ち並ぶ丘の上から遺跡を見つめる。昨日まで西北に構えていた調査拠点が、マスクモールの指揮の元、南へと移されて行く。今日中に、この作業は完了するであろう。そうすれば、ディルフェルの壁の前から、人はいなくなる。そうなれば……。
「閣下」
 フレディックは眼下にティアモスの姿を見つけ、心の内で呟くような小さな声を出した。心なしか、将軍は肩を落としているように見える。フレディックの表情が曇る。
 あの日からだ。王の使者が現れた、あの日から――。
 使者を案内したのはフレディックだった。慣例通り、従者は別の部屋で待たせ、騎士の剣を預かり、その上でティアモスの部屋の前まで連れ立った。騎士は銀の甲冑を纏っており、顔は……。
 フレディックはそこで首を捻った。思い出せない。多分、ごくありふれた特徴のない顔であったのだろうが。そういえば従者も、顔を覚えていない。もっともこちらの方はほんの少し会っただけだし、頭からすっぽりとフードを被っていたから仕方がない。ただ、その古びた錆色の衣の色と、去り行く時、まるで闇の中に溶け入るかのように、忽然と姿が見えなくなってしまったことだけは、はっきりと覚えている。そしてその時、妙な胸騒ぎがしたことも。
「閣下」
 再びフレディックが呟いた時、ティアモスの姿は視界から消えていた。
 部屋に戻られたか……。
 空を見上げる。恐ろしいほど美しい赤。とろりと天から溶け落ちてきそうな、艶やかな色。
 まるで……血のようだ。
 フレディックの心に、不穏な風が吹き抜けていった。

 

 
 
  表紙に戻る         前へ 次へ    
  第七章(2)・2