蒼き騎士の伝説 第一巻                  
 
  第七章 エルティアラン(3)  
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 ロンバードが立っていた。ほっと胸を撫で下ろし、視線をその先へと進める。
 ちょうどロンバードに相対するように、剣を構えている者がいる。その後ろに三人。いずれも兵士ではない。旅人のような服装。長い髪を束ね無精髭を生やした男に、整った顔立ちの細身の男、いや違う、女だ。そしてもう一人。少年のような面影を残した小柄な青年。優しげに揺れるランプの淡い光を受け、漆黒の瞳が美しく煌いている。
 フレディックの目が来た道を戻る。ロンバードと対峙している男は黒ずくめで、その顔が鈍い銀色の仮面で覆われている。異様な風体だ。だが、そこから覗き見える瞳は、強い光を放つものの、濁りのない、純粋な結晶を思わせる色がある。凛とした瞳。構える剣も揺らぎなく、一分の隙も見られない。そしてそれは、ロンバードにもいえた。極限に近い静。瞬時に動に転じる静である。いついかなる攻撃を受けても、ロンバードの剣は主を守り、敵を討つだろう。しかし不思議なことに、両者の間に殺気はなかった。
 一体、彼らは?
 そのフレディックの疑問を、ロンバードの口から零れ出た言葉が解決する。
「……陛――下?」
「ロンバード。そなたも、このエルティアランに?」
 ロンバードは大きく胸の奥まで息を吸い込んだ。仮面でくぐもってはいるが、それは紛れもなく王の声だった。
 部屋を飛び出すと同時に、ロンバードは剣を振るった。素早く重い頭上からの一撃。相手は抜きざまの剣で、それを受けた。受けながら捻じり込むようにしてロンバードの剣を払う。その瞬間、ロンバードは剣を引いた。相手の様相が、兵士ではないことに気付いたからだけではない。その技に覚えがあった。自らが得意とする技。そしてその技を教えた者は、この世にただ一人。
「……陛下」
「ガーダが動いている。ディルフェルの壁は無事か?」
 アルフリートのその言葉で、ロンバードの胸につかえていた全てが氷解した。安らかな温もりを、心の奥底から感じる。が、それを十分に味わう間もなく、事態の深刻さが津波のように押し寄せる。
「いいえ、陛下――いいえ」
 蒼い瞳がきっと光る。足早にロンバードの脇をすり抜け、ディルフェルの壁へと向かう。
「なんと……」
 跡形もなく消えた壁。その奥にある不思議な小部屋。だがそれよりもアルフリートを絶句させたのは、無残なティアモスの姿であった。
「……ガーダめ」
 低く唸るように呟き、ティアモスの側へと歩む。だが、三歩も行かぬうちに、アルフリートは崩れた。地に伏す寸前で、ロンバードが支える。
「陛下!」
「言わんこっちゃない」
 駆けよりざまに、テッドが言った。
「三日間、ろくに治療もさせないで、夜通し駆けてくるから――」
 仮面の下で、荒く不規則な呼吸音がする。テッドは慎重に仮面を外した。ロンバードとフレディックの息を吸い込む音が、悲鳴のような高い音を出す。濁った黄土色の膿みが、仮面にもべっとりと付いている。触れずとも、爛れた顔が異常なまでの熱を帯びていることが分かる。乱れた呼吸が、徐々に細く、弱くなっていく。
「まずいな。どこかで休ませたいが」
 そう呟くと、テッドはロンバードに向かって言った。
「一つ質問だが。上の砦にいる兵士達に、城にいるのは偽者で、こっちが本当の王様だといって、すんなり受け入れられると思うか? もちろん、俺達が何か言っても無駄だろうから、お前さんに口添えしてもらうとして――。そうそう、王家の墓にあった王印とやらも持っているんだが」
 沈痛な表情のまま、ロンバードは首を振った。
「その王印は、城に戻って初めて誠の印であるかどうかが分かるもの。ここでは、御身の証を立てる事は叶わない。それに今の私は、この事態について申し開きをしなければならない身。一体、どれほどの事を信じてもらえるか。何より陛下が――陛下ご自身が、このような状況では……」
「……だろうな」
 テッドは一つ、頭を掻いた。
「じゃ、ここはひとまず逃げるとするか。厄介なことになる前に」
「では、私が陛下を」
 そう言うと、フレディックはアルフリートを抱えた。
「急いで下さい」
 入り口の所に立っていたミクの鋭い声が飛ぶ。
「人が来ます。兵士が――十数人」
「これはこれは、お早いお着きで」
 テッドは肩を竦めると、いつの間にやらリルの台座の側で佇んでいるユーリに向かって言った。
「何ぼけっとしてる。行くぞ」
 言いながら、ユーリの腕をつかむ。
「……ユーリ……?」
 両の頬が濡れていた。その上を、なおも絶え間なく涙が転がる。テッドを見つめる漆黒の瞳が、何故かそこを通りぬけ、遥か彼方を見通すかのような、透明で危うい煌きを放っている。震える唇が微かに動き、音を模ろうとする。
「ユーリ?」
「……あ……さま……」
「テッド!」
 ミクの声と共にフランフォスの花が舞った。いや、それは錯覚だった。倒れ伏すユーリの姿を追う目に、床に散乱していた花が飛び込んで来たのだ。花がユーリの輪郭を縁取る。いまだ命の輝きを残す白い花びらが、光を帯びているかのように淡く煌く。
「テッド!」
 再び飛んで来たミクの声に、テッドは頭より早く体を反応させた。ユーリを肩に担ぎ、部屋を飛び出す。左方で大きな爆発音。ミクが放ったレイナル・ガンが壁を崩す。土煙の向こうで、兵士が怒声を放つ。振り向きもせず、そのまま前方に抜ける。
「アルフリート達は?」
「もう、階段へ向かいました」
 方向を変え、回り込むように走りながら、後を追ってくる兵士達の足音を振り切る。ロンバード達と合流し、階段を一気に上がる。ここに他の兵士が待ち伏せしていなかったのは、幸運だった。相手はロンバード一人、しかも、立ち向かってくるとは夢にも考えていなかったらしい。
 昇りきった階段を破壊し、外に出る。澱んだ地下層のそれとは異なる、新鮮な匂いの空気が鼻腔を突く。丘の上に聳える砦が明るい。一つ、また一つと、砦の灯りが増えていく。兵士達の声、鎧の音、さらには馬の嘶き。少しずつ強さを増すそれらの音を、すぐ背の後ろで感じながら、彼らは駆けた。
 厚い雲が天を覆う。光のない夜空が地上を包む。
 この夜、エルティアランを後にした者達は、闇の祝福のもと、その地を逃れた。

 

 
 
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