蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第九章 シャンティアムの谷(2)  
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      二  

 間近にレンツァ公の館を臨んで、ミクは改めて感嘆の溜息をついた。
 堅固な城を思わせる船形の屋根。そそり立つような高い乾舷。船首部分には角張った檣楼。ちょうどバイキング時代の流れを汲むコグ船のような形だ。マストの代わりは、背後の大木。その枝葉が屋根に覆い被さるように伸び、いっぱいに風を孕んだ帆をイメージさせている。水に浮かべれば、すぐにでも滑り出しそうだ。
 実際、この屋根は船としての機能も備えていた。横板は質のいいマホガニーで、板と板の端が丁寧に重ね合わされており、見事な一枚板の船底は、腐蝕に備えて乳白色の塗料が塗られている。形だけを模倣したのではない、本物の船。キュルバナン族の誇りと技術の高さを、その屋根は物語っていた。
 しかし、それに比べて下部は質素なものだった。堅く閉ざされた窓と扉があるだけの、小さな箱といった風情の家。使われている木材も不揃いで、いかにも間に合せで作ったようで心許ない。事実、長さにして三十メートル、幅は七メートルあろうかという巨大な屋根を、これだけで支えるには至らず、数本の太い柱が周りに張り巡らせてある。船の部分を見る限り、作り手の技術に問題はない。つまりこれは、単純な思い入れの違いであろう。しかしそれを、よくレンツァ公は良しとしたものだ。住むに困るほどのボロ家というわけではないが、どう見ても快適そうには思えない。
 やはり、レンツァ公は少々偏屈なところがあるのかもしれない。
 一抹の不安と共に、ミクは扉の前に立った。継ぎ接ぎだらけの貧弱な板。思わず傍らのロンバードと視線を交わす。
 慎重に、ロンバードの手が扉を叩く。その乾いた軽い音に、声を重ねる。
「我が名はベーグ・ロンバード。陛下より早急の命を受けて、ここに参りました」
 沈黙。しかし、わざわざ耳をそばだてるまでもなく、中からごとりと音が聞こえる。だが、扉が開く気配はない。十分に間を置いてから、ロンバードは先ほどより幾分強く扉を叩いた。
「事はキーナスの、いえ、アルビアナ大陸全体に及ぶ一大事です。不躾な訪問であることは重々承知しておりますが、どうかお目通りを」
 返事はない。代わりに中のごとごとが大きくなる。
「シオ殿、どうか私の話を――」
「留守だ」
 妙な声だった。小さな貝殻を擦り合わせたような、薄く高い音だった。
「その声は、キュルバナン族の……。これは、厄介なことになりそうだ」 
 ロンバードは眉間に皺を寄せて小さく呟いた。そしておもむろに扉に語りかける。
「ではレンツァ公は、今こちらにいらっしゃらないのだな」
「いいや、いる」
「しかし、先ほどは留守だと。いや、御出でになるならそれでいい。とにかくレンツァ公に取り次いで下され。急ぎの用だと言って」
「それはできない」
「何故、できぬのです」
「留守だからだ」
 ロンバードは大きく息を吐いた。その眉間の皺の意味が、ようやくミクにも分かってきた。意識的に抑えた声でロンバードが言う。
「御出でになるのに留守とは……どういうことか?」
「簡単なことだ。いない時は留守。いる時は留守だと言えと言われてる。だから留守だ。そんなことも分からぬとは、お前はバカだな」
 からからと、けたたましくカスタネットを打ち鳴らしたような笑い声が、扉を通して聞こえてくる。ロンバードの溜息が、次なる言葉を模索し深くなる。取りあえず、その間を埋めようとミクは扉に声をかけた。
「キュルバナン族の方。私は――あっ」
 いきなり大きな二つの目で見返され、ミクは思わず後ろに一歩引いた。扉の中央、下方よりのところに、小さな隠し窓が付いていたのだ。そこから二つの目がじっとミクを見つめている。
「お前、女だな」
「そう、そうですけど」
 ミクはそこで一呼吸置くと、普段通りの冷ややかな声を放った。
「それが、何か?」
「困った」
「困……る?」
「困った、困った、困った」
 一言発するたびに、くりっと左右に目が動く。性格はともかく、仕草は可愛らしい。腰を屈め、幾分柔らかめの声でミクが尋ねた。

 
 
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  第九章(2)・1