白磁の器の中には、濃い紅茶のような液体が入っていた。その真紅の色は鮮やかで、カップの底が実際より遠く感じるほどだ。そこから立ち昇る香りも、まさしく紅茶。ほんのりと薔薇の蕾を思わせる匂いも、合わせて香る。
ミクはその香りごとケルパミーのお茶を口に含んだ。紅茶に比べると、かなりぬるめの感触。だがこれは、ティトの失敗というわけではなさそうだ。人肌に近いこの温度は、お茶を喉の奥まで一気に運ばせる力を持っていた。そのことで、香りが口全体に広がるのだ。もちろん、この飲み方は味にも効果があった。これより熱過ぎても、冷た過ぎても、お茶の持つほのかな甘みを生かすことはできないだろう。
地球において、紅茶に限らず、様々なお茶を嗜んできた。が、それらに似ていながら、それらを超えるケルパミーのお茶に、ミクはすっかり参ってしまった。一口目に続き、二口目を飲み干した後で、それが声となって出る。
「……美味しい」
「うむ。今日の出来はまあまあのようだな。色、香り、そして」
白いカップが、シオの唇に吸い寄せられる。
「うん、合格だ。ところでティト、八人目の女――じゃない、あの彫刻、どこに片付けたか」
「十一人目の――」
「お前ねえ……」
嘆くシオを尻目に、再びティトがミクの前に立つ。
「お茶のお代わり、いかがです?」
「分かったよ、ティト。どこにあるかなどと聞いた私が悪かった。頼むから、素直に椅子を出してくれ」
「出せばいいんですね。出せば」
やれやれという風に肩を竦めると、ティトは一際物がごった返している部屋の一角に足を踏み入れた。慣れた手つきで目の前の障害物、おそらく全てレンツァ公の手による作品であろうが、それらを脇に積み上げながら突き進む。そしてほどなく、重ねて置かれた二脚の小さな椅子を見つけ出した。
なるほど、その右側には三人目の女と思しき絵が無造作に置かれている。どうやら油絵のようだ。三十号サイズくらいの大きなキャンバスに、ふくよかな貴婦人が艶然と微笑んでいる。何より目をひくのが、どこか生々しい色のドレス。鮮血を想起させてもおかしくない色だ。地球にはビジョン・ブラッドという最高級のルビーがあるが、あの色に近い。意外にティトは、芸術品に対して的確な審美眼と表現力を備えているのかもしれない。この色を示すのに毒々しいものを例えるのは、実に的を射ている。
となれば、その絵の真ん前にあった八人目の女はどう表するのか。高さ八十センチほどの真っ白な彫像。一枚布を巻いたようなシンプルな服を纏い、両手に花束を抱えている。三人目の女より、年齢はかなり下のようだ。丸っぽい顔の輪郭と、この彫像全体の見事なまでの滑らかさが、その印象に一役買っている。大理石でできているように見えるが、その割には石の持つ冷たさがない。技術のなせる技か、それとも特殊な素材なのか。
「これでようやく話ができますな」
すぐ近くで発せられたロンバードの声に、ミクは思考を中断した。ティトの手によって配された椅子は、互いに程良い距離を保ち、話を交えるのにベストな空間を作り出していた。その空間に後押しされて、堰を切ったようにロンバードが話し出す。城でのこと、ガーダのこと、エルティアランで起きたこと。長く複雑な出来事を、澱みなく一気に語る。
「シャンティアムの谷に入る直前、リブラ将軍率いる一万二千の軍が、スナンの村を後にしたとの噂を聞き申した。さらにブルクウェルからの援軍が、ヴェーンに達したとも。まだ正式には、フィシュメル国に対して宣戦布告がなされてはおりません。しかしそれも時間の問題でしょう。この上は一刻も早く陛下の元へ。そして陛下のお力になって下され」
「ふむ、やっとロンバード殿が、何故そのようななりをされているのかが分かりました。確かに大変な事態だ」
身じろぎもせず、ロンバードの話に耳を傾けていたシオが言った。
「そして実に面白い。特にガーダのくだりが。偽の王というのも、なかなか楽しいな」
虚を突かれたかのような表情で、ロンバードはシオを見つめた。
「……それは、私のことが信じられぬと、そういう……ことなのでしょうか」
「ロンバード殿が信頼に値する人物であることは、よく承知しております。ですが、お話自体は。信じろと言う方に、少々無理があるのではないかな」
「しかしシオ殿。事実、私は」
「それに、例え真実であったとしても、それならそれで別の問題がある」
「問題――」 ロンバードは詰め寄った。
「それは如何なる?」
「この不思議な話に、何ゆえ自分が必要なのか。そう考えると、私は思ってしまうのです。できることなら部外者でいたい。遠い絵空事の話であって欲しい」
そこでシオはゆっくりと足を組んだ。唇に微笑が浮かぶ。
「ロンバード殿。私は自分の力を過信しているのでしょうか?」
ロンバードは黙した。ただシオを見つめる。そして一言、搾り出す。
「いいえ、公。いいえ……」