蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十章 獅子の行方(1)  
         
 
 

「陛下は今も、公のお気持ちをお忘れになってはおりません」
「そうですか、それは良かった」
 シオは再び悠然と微笑んだ。が、そこに気持ちはない。形だけの笑みだ。瞳の輝きが石のように冷えていく。
「では、王は私と茶飲み話をなさりたいのかな? それとも、久しぶりにファジャでも興じるおつもりか」
「重ねて申し上げますが」
 強い響きでロンバードが続ける。
「陛下は戦いに勝利するために、シオ殿を呼び寄せようとなさっているわけではありません。戦いを止めようと、いや、止めることが叶わずとも犠牲を最小限に抑えるよう、そのために力を借りたいと」
「なるほど、殊勝なお考えですね。いや、夢想家の戯言――と言った方がいいかな」
「……シオ殿」
「それほどこの地に平和を望むなら、この争いは良い機会かもしれない。いっそこのままフィシュメルに赴き、キーナスを叩き潰すというのはいかがかな? 案外その方が、犠牲は少なくなるかもしれない」
 ご冗談を――と、ロンバードは言いたかった。しかし言えなかった。シオの瞳の中に、戯れとは思えない真摯な光を見出したからだ。代わりにミクが切り返す。
「たとえそうだとしても、それは一時的なことでしょう。どちらの側を抑え込むにせよ、力ずくでは歪みが残ります。長い目で見れば、かえって犠牲は大きくなるのでは?」
「ほう……」
 シオの目が悪戯っぽく笑う。
「一つ気になっていたのですが、ご婦人はどちらのお国の方かな? とても美しい言葉を話される。この地の者なれば、多少の崩れがあって当然であるのに」
「それは、よそ者は黙っていろという意味なのでしょうか?」
「いえいえ決してそのような。ただお聞きしたかったのですよ。互いに血を流していがみ合う者達を、手を触れることなくいかにして諌めれば良いのか。あなたのお国は、それを成し遂げられたのでしょう? それとも単に、理想論をおっしゃられたのかな?」
 ミクは表情を強張らせた。だが、このまま引き下がる気持ちはない。冴えた眼差しを、ミクはシオに投げつけた。
「人がこれから為そうとすること全てが、過去の反芻でしかないとは思いません。いまだ為し得ない目標を掲げ、それを達成する。人には十分その力があると信じています」
「夢想でもなく、理想でもなく、目標と来ましたか。ふむ、随分と現実味を帯びてきましたね。なかなか面白い」
 晴れやかなまでの笑み。しかし、そこに相変わらず気持ちが入っていないことは、探らずとも見て取れた。予想通りの言葉が続く。
「だが、語句をすげ替えたところで物事の本質は変わらない。そして、私の気持ちも」
 そこでシオはロンバードの方に向き直った。
「とにかく、この件はお断り致します。そう、陛下にお伝え下さい」
「そうは参りません」
 ロンバードが椅子から立ち上がった。
「このまま貴殿をお連れすることなく、戻るわけには参りません」
「困りましたね」
 優雅な仕草で、シオは左手の人差し指を細い顎に宛がった。
「私は、行きたくない」
 表情も声も柔らかく穏やかだった。にも関わらず、鈍い光を放つ剣を喉元に突き立てられたかのような感覚を、ロンバードは覚えた。額にじんわりと汗が染み出す。
 もう、後は――。
 ロンバードは意を決し、最後の札を切った。
「シオ殿、どうか陛下の元へお出で下さい。そして、スティラの約を果たして下さい」
 その瞬間、ミクは小さく身震いをした。急激に、辺りの空気が凍り付いたように感じる。それが、目の前のレンツァ公から受ける刺激によるものであることは間違いない。表面上は、眉一つ動かすことなく柔和な微笑を湛えてはいるが。目でも耳でも、その他五感では捉えられない大きな乱れを、ミクは感じていた。シオの唇が、ゆっくりと開く。
「スティラの――約とな?」
 その声に、わずかばかりの震えが含まれているのを、ミクとロンバードは聞き逃さなかった。
「スティラの約と、そう、仰せられたか」
 はっきりと、シオの心の内に何かが起こっていることが見て取れる。その変化を確かなものにするべく、ロンバードが重く答えた。
「はい」
 軽く音を立てて、シオは息を吸い込んだ。目を閉じ、深々と椅子に体を沈める。両手を組み、右の人差し指だけを二回動かす。そして、止まる。
 ミクとロンバードは顔を見合わせた。難しい間であった。レンツァ公が先に口を開くまで待つべきか、それともこちらから声をかけるべきか。かけるとすれば、何と言うか。目に見えないくらいの細い、頼りない命綱をどう手繰り寄せればいいのか。
 悪戯に時が刻まれる。気持だけが急く。ミクは一から思考を立て直そうとした。そこへ、声が飛び込んで来る。

 
 
  表紙に戻る         前へ 次へ  
  第十章(1)・5