蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十章 獅子の行方(3)  
              第十章・2へ  
 
 

 

      三  

 小鳥が囀る音がする。
 最初ミクはそう思った。しかしその音を左脳で分析し終えた瞬間、弾けるように椅子から立ち上がった。
「もう、すぐそこまで来てるよ」
「全部で何人だ?」
「ちょうど片手と同じ五人。でも、川を下った茂みにはもっといるよ。五十、六十、もうちょっと。丘の上の林にも。三十、四十、もう少し」
「とにかく旦那に知らせてくる。タナ、ありがとう」
「うん」
 それは会話だった。だが、聞き慣れたキーナスの言葉ではない。カルタスの言語として学んだ六種類のうちの一つ。子音に破裂音を多く含む言語。話しているのはティトと、おそらくは彼の仲間、同じ種族の者だろう。人の声とは違う質の、軽く高い音色だ。
 ミクはテーブルに置かれたランプを手に取ると、急いで部屋を出た。転がるように天井から下りてきたティトと、鉢合わせとなる。
「一体、何があったのです?」
「ひぇっ!」
 気の毒なくらいティトは驚き、くりんとした目をさらに丸くした。
「お前、なんで……おい ら達の言葉を……」
 しまった。
 ミクは心の中で舌打ちをした。どうやらこの言語はキュルバナン族が内々で使う言葉らしい。人間がこの言葉を操ることなど、まずないのであろう。これが原因で、ティトが変に心を閉ざしてしまわなければよいが。そしてレンツァ公に、それを悟られなければよいが。そうでなくとも彼は、自分に対して少なからずの警戒心を持っているように思えてならない。さて、どう繕おう――。
「おっと、こうしちゃいられねえ」
 ミクが言い訳を考えている間に、ティトが動いた。ぽんぽんと二回拳で自分の頭を叩くと、再び転がり落ちるように階下へ下る。後を追う。ティトに続いてミクも、船首部分の真下にある部屋の前へと出る。
「旦那ぁ!」
 小鳥の言葉ではなく人の言葉でティトは叫んだ。
「旦那、大変です。起きて下さい! ここを開けて下さい!」
 どんどんと両手で扉を叩く。尋常ではない慌てように、ミクはもう一度、今度はキーナスの言葉で尋ねた。
「ティト、何があったのです? 教えて下さい」
 小さな丸っこい手を扉に押し付けたまま、探るような目でティトはミクを見上げた。小首を傾げ、考え込むように俯く。しかしすぐに顔を上げる。結論へ至る経緯は分からなかったが、心配した事態は避けられたようだ。ミクの問いに、素直に答える。
「あいつらが、来た」
「あいつら? あいつらとは?」
「蒼き鎧の騎士だ」
 まさか、追手――?
 と思う側から、一つの疑問が立ち上る。自分達はともかく、何故ティトがこんなに慌てているのか? その答えは、ティトが続けた言葉の中にあった。
「旦那の言いつけなんだ。もし、蒼き鎧の騎士がこの谷に近付いたなら、急いで知らせるようにと」
「それは……古くからの決まりだったのですか? ここに住む頃からの」
「違う」
 ティトは大きく首を振った。
「二の満月から七つ前の日に、旦那がそう言ったんだ。だからおいらは、イフスの村まで行っておいらの友達に頼んで。ずっと見張りをしてもらっていた」
「そのようなことを、シオ殿が……」
 そう言ったのは、従者の衣の下に剣を携えたロンバードだった。ただならぬ物音に目を覚まし、ミクと同じく飛び起きたのだ。
「二の満月から七つ前の日を、キーナスの暦で考えると――おお、ちょうどウルリク様がハンプシャープの離宮に下がられた次の日でありますな」
 ロンバードとミクは視線を合わせ、同時に頷いた。やはりレンツァ公というのはかなりの曲者のようだ。このような場所に引き篭り、世捨て人を装いながら、都の情勢をいち速く把握していたのだ。そして何らかの判断の元、ティトにこのような命を下した。問題は、その判断が何であるかだが……。
「旦那ぁ、起きて下さいってばあ」
 扉を叩き続けるティトの目の縁に、光るものが溜まる。
 いくら何でも反応が遅すぎる。何かあったのか?
「ティト、そこをどいて」
 そう言うとミクは、扉の前に立った。使われている木材は、質も造りもいい。迷わず、より破壊力のある方に決める。ドレスを軽くつまみ、裾をたくし上げる。
「はっ!」
 くるりと半身を翻し、見事な一蹴りが扉にヒットした。造作もなく、扉が吹き飛ぶ。あっけに取られるティトを残して、中へ入る。ミクの部屋と同じく、木目の美しさを生かした小部屋。しかし主の好みか、ファブリックは全て白と淡いラベンダー色で揃えられている。それが小窓から零れる光とあいまって、幻想的な空間を作っていた。
 その空間の中央に、シオは横たわっていた。寝台に近付く。枕の上に投げ出された、抜けるように白い腕を取る。大理石で作ったヴィーナス像のような顔の前に、手を翳す。
 脈も呼吸もちゃんとある。ただ、眠っている……だけ?

 
 
  表紙に戻る         前へ 次へ  
  第十章(3)・1