「旦那あぁ!」
すぐ側の茂みが甲高い声を出す。そこからティトが飛び出した。
「なるほど、そうでしたか」
ようやく合点のいったミクが、大きく頷いた。
「あらかじめティトに、レンツァ公が指示なさっていたのですね」
「ええ」
無事、シオを受け止めたロンバードが言った。
「私はただ、それに従っただけです。全てはティトが。もちろんあの矢も」
「あの矢も彼が? こんな小さな体であそこまで?」
「キュルバナンの民は、みな弓の名手だ」
膝頭にしがみついて泣いているティトの頭を優しく撫でながら、シオが言った。
「腕前もさることながら、弓そのものの技術に長けている。飛距離、精度とも、キーナスのものより遥かに上だ。構造上、続けて引くことができないので争いには不向きだが。もっとも、そんなものをキュルバナンの民は必要としないがな」
「つまり、その腕を信頼した上で、彼に全てを」
シオは頷き、ミクの方を見た。
「そうだ。それともう一つ。彼らの方が我らより優れている能力、記憶力。私が出す注文は、しばしば細かいのが欠点でね。忠実に遂行してもらうには、彼のような賢い者でなければ」
「キュルバナンは忘れない」
先ほどまで泣きじゃくっていたティトが、誇らしげに顔を上げた。
「一度言われたことは忘れない。一度あったことは忘れない。旦那はおいらを助けてくれた。人のいる山に迷い込んで、鹿狩り用の罠で怪我をしたところを……。おいらはそれを忘れない。おいらの仲間も忘れない」
「そう――そうだったな」
シオはその場にしゃがみ込むと、ティトのふわふわとした髪を引き寄せた。
「それこそが、キュルバナンの民の最も誇るべき美徳であったな。義を重んじる、その心が」
「ギ?」
丸っこい目をくりんと輝かせて、ティトが不思議そうにシオを見る。
「ギって、なんだ?」
「知らずともよい。お前達には無用な言葉だ。人と違って、意識せずとも流れる血のごとく、備わっているのだから」
たおやかな笑みが、シオの顔に溢れる。一方ティトは、まだ小首を傾げたままだ。そんなティトの姿に表情を和らげながら、ミクが言葉を放った。
「では公は、初めから脱出するつもりでいらしたわけですね。それならそうと、前もっておっしゃって下さればいいものを」
「それは少し違いますぞ、ミク殿」
ロンバードが答える。
「合図がなければ、我々はそのまま帰る手筈になっていたのです。ゆえに、レンツァ公が脱出の決心をなされたのは、王と、あの偽者と、会われてからということに」
「姿はまさしく、私の知る王であった」
言葉の際に、無なる感情を含ませてシオが言った。
「表情も、その話し方も、間違いなく私の記憶にある王であった。その王が、スティラの約を果たせと言った」
「スティラの……約を?」
「そなたたちのような曖昧な話ではなく、具体的に、事細かく、約を交した時のことを語った」
「すると」
ミクが尋ねる。
「その話に何かおかしな所があったと、そういうことなのですね」
「いいや」
小さくシオは首を振った。
「王が口にした約は、紛れもない本物であった。確かに私と王とで交した約だった」
ミクとロンバードは、互いに顔を見合わせた。おもむろに、ロンバードが口を開く。
「では――では、なぜ?」
「ガーダの魔術とやらは、大したものだ」
唇に冷淡な微笑を添えて、シオは続けた。