蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十三章 ビルムンタルの沼(2)  
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      二  

 乾いた音が幾重にも重なり、さざなみのように周囲に広がる。テッドは大きく足を踏み出した姿勢のまま止まった。これで三度目。見上げずとも、オラムが睨みつけているのを覚る。と同時に、緊張に顔を強張らせているのも。
 風の音。さわさわと、葦のような葉が擦れる音。時折聞こえる、何かが水面で跳ねたかのような音。十二分に間を置いてから、顔を上げる。くいっとオラムの顎が動き、ほっと胸を撫で下ろし、体を起そうとしたその瞬間、彼女の太い腕がテッドを制した。
 風の音。さわさわと、葦のような葉が擦れる音。水音は、しない。そしてもう一つ、ほんの微かだが、湿った鈍い音がする。何かを引きずるような音。前方、いや、後ろに回った。まだ遠い。が、近付いてくる。右、後ろ、そして左。じわじわと円を描くように移動しながら、その間を狭めてくる。
 オラムが斧を握り直した。腰を低くし、左膝をそっと水中に沈める。その姿勢のまま、水面を睨みつける。
 前、左、また後ろか。
 次第にはっきりとしていくぬめった音を正確に捉えんと、オラムの目が鋭く光る。呼吸を止める。テッドもそれに倣い、時を待つ。
 宙に、オラムが踊り上がった。一点を目指し、高く掲げた斧を振り下ろす。肉を裂くように、沼が真っ二つに切断される。斧の左右の水面が盛り上がり、たちまちのうちに水の壁となる。泥の混じった、鈍い灰色の水壁。そこに勢い良く、鮮やかな真紅の大河が流れゆく。
「うおおぉぉ!」
 渾身の力を振り絞って、オラムは斧を返した。水中から引きずり出されたものに、テッドは目を見張った。巨大な白蛇。いや、はたして蛇なのだろうか。形こそそうだが、その大きさはもはや蛇の領域を越えている。オラムの斧によって無残に引き裂かれた頭は、テッドの肩幅を超える厚みがある。まだなお命の火を誇示している胴体が、十メートル、二十メートル先の水面から顔を出し、のたうっている。
 テッドは構えていた銃を下ろした。オラムの斧はなおも進撃を続け、その胴体をも切り裂かんと無慈悲な音を立て続けている。ジアヌの体はまだ激しく水面を叩いているが、それも時間の問題だろう。全身に血を浴びながら、凄まじい形相で吠えるオラムから、視線を外す。途切れることなく広がる波紋の後を、無意識に追う。
 ん――?
 外に向かって走る波紋の上を滑るように、直線的な筋が現れる。オラムのちょうど背後から、真っ直ぐに、矢のように進む線。穏やかに、その線が割れる。白い鱗がぬっと出る。
「後ろだ! オラム!」
 テッドは銃を撃った。ぐいっとかま首をもたげたその先を、微かに抉る。激しい水音を立て、首は水中に潜った。
「くそっ、そっちが頭だったか」
 斧を引き抜きながら、オラムが沼に向かって毒づいた。駆け寄るテッドの姿に、さらに苛立つ。
「何をしている! 仕損じた。お前はとっとと先に行け!」
「やつは深手を負っている。一緒に倒そう。しかしやられたな。尾は頭の擬態というわけか。にしても――」
「お前は全く分かっていない」
 ギリギリと歯を鳴らしながらオラムが怒鳴った。
「やつの恐ろしさを、何も」
「恐ろしさって?」
「来るぞ! 今度やつが顔を出したら、お前は走れ! 逃げるんだ!」
 でも――。

 
 
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  第十三章(2)・1