蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十三章 ビルムンタルの沼(3)  
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      三  

 凡庸な景色が一変した。オラムに確かめるまでもなく、テッドはそこが目的の場所であることを確信した。どこもかしこもくすんだ色の中、そこだけスポットライトが浴びせられたかのように鮮やかだ。空を仰ぐ。雲はまだ厚い。視線を戻す。あの輝きは内から溢れているのか。そう思わせるほど、小島を覆う緑は艶やかだった。
 沼に浮かぶその島の中央には、大木があった。マングローブのように地面から高くはみ出している根が、小島全体を鷲づかみにしている。形が板状のため、うねうねとそれらが伸びている様は、まるで反物を無造作に転がし広げたかのようだ。
 板根は上へ昇るに従って、互いに捻じれながら一つとなり、太い幹となっていた。土茶色の下部に対して、幹の肌は蝋をかけたかのように白い。ざらりとした樹皮の模様は見受けられるが、ほんのりと光を帯びているので、むしろ滑らかな印象を受ける。
 だが、そのことが、この木から現実感を遠ざけていた。木には見えない。そこに命があるように思えない。見事に張った枝々に生い茂る、丸く厚みのある葉の青さが、空々しく思えるほどに。
 色の持つ美しさより収まりの悪さだけを感じ、テッドは強い違和感を覚えた。
「何とか日暮れまでに着いたな。一日遅れだが」
 オラムの声に、ようやくテッドは不思議な大木から視線を外した。そして短く答える。
「ああ」
 ジアヌの出す幻覚物質にやられた二人は、丸一日、その場に倒れ込んでいた。先に気がついたのは、オラムの方だった。彼女の方が、より多くの害をこうむったはずだが、代謝能力はテッドより勝っていたようだ。まだ夢の中をさまよっていたテッドを叱咤し、引きずるようにしてオラムはここまで彼を運んだ。
「行くぞ」
 本来の敏捷さを持って進むオラムの後を追う。まだ少し、ふらつく。つるつると滑る板根を、懸命に踏み締める。白い木の幹が、すぐ近くに迫る。
 ひょっとしたら、自分はまだ幻覚を見ているのではないか。
 大きな木の真下に立ちながら、テッドはそう思った。
 幹の中は空洞だった。そこに別の存在が聳えていた。命はない。人造物。灰色の石組みの、高い塔。ディード村の近くにあった、アルフリートが幽閉されていた、あの塔に似ている。高さはここからでははっきり分からない。別物のように、猛々しい生命力を示す枝葉が、上空を覆っているのだ。捻じれた板根をそっと探る。ぱりんと軽い音を発して、それは儚げに割れた。裏へ回り込む。その指先で、次々に破壊の音が響く。
 テッドの足が止まった。そこに張り付いている板根を剥がす。石とは違う質感が覗く。その、鈍く光る青銅の扉を見た時、ついにテッドは夢から覚めた。
 似てるなんてもんじゃねえ。そっくり同じだ。
 一歩引く。それに応じてオラムが前へ出る。彼女の逞しい両腕の筋肉が、見る間に盛り上がる。激しい抵抗を音で示しながら、扉が開く。
 わずかばかり、ためらいの時を費やし、テッドは中へ入った。予期した通りの光景が広がる。何もない空間。石を積み上げて作った壁。そして……。
「おかしいな」 オラムが首を傾げる。
「誰もいない。確かに昔、おやじはここで見たと言ったのだが」
 おもむろに、テッドの顔が上がる。
「地下だ」
「地下?」
「ああ、ここだ」
 テッドは片足で、床を払った。石組みの隙間から生え伸びている枯枝が、乾いた音と塵とを巻き上げる。煤けた床の一部が、異なる色を示す。
「扉……か」
 オラムが近付く。
「よく見つけたな」
「良かった。鎖はついてねえ」
「ん?」
「いや、何でもない。それより開けられるか? かなり錆びついているみたいだが」
「ふん」
 オラムは鼻を鳴らし、胸を張った。
「一体、誰に聞いている?」

 
 
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  第十三章(3)・1