蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十四章 流浪の民(2)  
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      二  

 リーマは隊から少し離れて歩いていた。
 馬車から降りた瞬間こそ、大気の優しい揺らぎに幸福を感じたが、すぐにそれを上回る不快さの方が気になった。隊は極度の密集状態をとっていて、馬車と馬車の間、馬と家畜の間、いずれの場所も余裕がなかった。歩みの早さも相俟って、危険すら覚える。そのためリーマは、隊の横に並ぶような形で歩くことにした。むずがる赤ん坊をあやす。そのたびに立ち止まる。そうして、徐々に遅れていったのだ。
 随分先を行っていた荷馬車から一人、男が降りる。まっしぐらにこちらに駆けてきたその男を、リーマは体よく追い返した。心配そうに何度も振り返るのを、さらに手で払う。ようやく諦めて、それでも隊列の最後尾をのそのそ歩く姿に、リーマは溜息をついた。
 タクトの気持ちは知っていた。彼の良いところも分かっていた。嘘がなく、よく働く。穏やかで、優しい。夫として、これほど申し分のない男が他にいるだろうか。
 だが結婚となると、リーマはどうしても踏み切れなかった。何かが足りないのだ。タクトでは駄目なのだ。心の全てを占めてしまうような、強い想いを抱けない。
 こんなこと、誰かに打ち明けたら、思いっきり笑い飛ばされるか、こんこんと諭されるかのどちらかだろう。自分でも、随分と子供じみていると思う。キャノマンの女としての務めもろくに果たさず、自分勝手だと思う。それでもリーマは、その気持ちを、無下に手折ってしまうことができなかった。
「だってあたしは……生きてるんだから」
 腕の中で、ようやくうとうとと眠り始めた我が子に向かって呟く。無邪気な寝顔に、カラディアの面影が重なる。
 風が、強く吹いた。赤ん坊を包んでいた布が煽られ、顔に被さる。慌ててそれを直す。自然と足が止まる。
 日が翳る。わずかばかり、暑さから解放される。先ほどまで、草原に模様を刻んでいたリーマの影が消えていた。そしてその代りに……。
 代りに――?
「リーマ!」
 悲鳴とも怒号ともとれるタクトの声が耳を貫く。その時リーマは、空を仰いでいた。彼女の立つその場所に、くっきりと大きな影を落としているものを見つめる。
 軋む馬車の車輪の音。
 馬の嘶き。
 喚き叫ぶ人々。
 弾かれたように、リーマは身を翻した。その胸にしっかりと赤ん坊を抱き、草むらに体を沈める。が、意志に反して、リーマの体は地から引き剥がされた。渦巻く風が、強い力で押し上げる。伏した姿勢から、横向きに煽られる。
「……ひっ」
 喉の奥で、空気が小さな悲鳴を上げる。自分の黒髪が一筋、はらりと目の前を過った。仰向けになる。そのまま一気に落下する。背中をしたたかに打ちつけて、息が止まる。激しい痛み、じんじんとした痺れ、それらが遅れてリーマを襲う。
「うっ、うっ――」
 それでもリーマは懸命に動いた。左に体を返す。右頬を掠めた鋭い鉤爪の残像が、さらにリーマを奮い立たせる。
 胸に抱いた赤ん坊を、茂みの奥に押しやる。立ち上がり、両手をかかげ、走りながら天を睨む。悠然と上空を旋回する、巨大な鳥に向かって吠える。
「こっちよ! こっち。さあ、おいで!」
 リーマは駆けた。遠く、少しでも遠く。
 服が足に纏わりつき、気持ちほど速く走れない。転びそうになり、よろめく。地に片手をつく。
「リーマ!」
 荒く息をつきながら、リーマは声のする方へ顔を向けた。隊列から離れ、一人向かって来る人影をぼんやりと見つめる。
「走れ、リーマ! 逃げるんだ」
 馬鹿な人……。
 震えるタクトの声を聞きながら、リーマは虚ろに思った。
 本気で逃げきれると、思っているんだろうか。
 影を感じる。真上にいる。見なくても分かる。緩やかに旋回の幅を狭め、狙いを定める。片側だけで、自分の身の丈二人分はある翼を、大きく広げる。そして、そのまま落ちるように滑空する。三つの鉤爪のついた足で獲物を捉え、鋭い嘴でまだ暖かい肉をついばむ。
「リーマ!」

 
 
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  第十四章(2)・1