蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十四章 流浪の民(4)  
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      四  

 その夜、一人馬車から降りたユーリは、草原に立った。頬を掠める夜風が心地よい。目を瞑る。気の流れを捉えんと、試みる。
 集中させた意識。そこに形を与える。選んだのは、ごく微小の粒子、その集合体。心の目で、それらをはっきりと知覚する。
 ユーリは大きく息を吸い込んだ。今度はそれを動かす。優しく手で触れるような気持ちで、押し出す。心の壁、その最も外側、ナノクラスの厚さを残すところまで、粒子が沈む。
 だめだ。
 押し出す力の分だけ壁から抵抗を受け、ユーリは小さく首を振った。
 これでは力が強過ぎる。
 ユーリはそこで、意識の形を変えた。粒子が弾け、羽毛へと変化する。柔らかな息を、そこに吹きかける。そう、イメージする。
 羽毛の毛先が、震えながら壁に着地する。長い時間をかけて、溶け入るようにそれが呑み込まれるのを待つ。一本の羽毛が、心の壁の最後の抵抗を退け、外に出る。
 解放。
 ユーリの意識は、肉体を飛び出した。気が風に乗る。草を払い、梢を揺らし、山肌を駆け上り、天を目指す。星と月とが、純然たる耀きでユーリを迎える。意識が清められていく。包むように、染み入るように、光が自分の意識の中に流れ込んでくるのを、ユーリは感じた。
 このような経験は、これが初めてというわけではない。何度かある。地球においては漠然と、カルタスにおいては、かなりはっきりと。しかしいずれも、自分の支配下におくことは叶わなかった。何がしかの影響を受け、例えば危機的な状況の時、意識の一部が自分の与り知らぬところで引きずり出される、そんな感覚。
 それが、あの王家の墓で、意識の全てが肉体から切り離されたあの時、ユーリは自らの意志のもとに、それらが存在するのを知った。全力で念じ、放たれた意識を元の体に納める。その行為が、逆の可能性をユーリに気付かせた。
 さらに意識を遠くに飛ばす。別の存在を感じる。たくさんある。曖昧で無秩序なものから、強く目的を持ったものまで、意識で溢れかえる海をただ泳ぐ。それだけでも、ユーリはある種のためらいを持っていた。全霊で、他の魂を感じながら、触れ合いながら、迷っていた。
 人は、どこまで力を持つことが、許されるのだろう。
 触手のように伸ばした意識が、あるものを捉える。草原に咲く、一輪の花。その形の中にあるものがいかにも優しげで、ついそこに触れてしまいたくなる。
 人は、どこまで力を使うことが、許されるのだろう。
 形あるものに宿る意識。空間を漂う散り散りの意識と違い、ユーリにはそれが侵してはならない聖域のように思えた。生きているものはもちろん、たとえそれが物であっても、その行為は許されないような気がした。
 仮に、誰かを守るためだとしても……。
 そんな倫理的な感情に加え、恐怖もあった。形を持つものの意識は強い。逆に自分の意識が、取り込まれてしまう恐れもある。下手をすれば、戻ってこれなくなる。
 ユーリの心が、不安定に乱れた。目に、昼間の残像が蘇る。耳に、巨鳥の叫び声が響く。実際の音ではない。魂が上げた悲鳴。裂かれた肉体から血が溢れるように、飛び出た意識。その意識と自らの意識が交じり合い、抱き合い、泣き崩れて……。
 風の向きが変わる。ユーリはその流れに合わせ、意識を呼び戻した。
 まだこの力に自信が持てない。何よりその価値を、見極めることができない。何のために、誰のためになら、他の領域を侵してもよいのか。
 ユーリの周りで意識の羽毛が舞う。イメージを、また変える。大きな翼の形を与える。ゆっくりとユーリはそれをたたんだ。全てが、体に収まる。閉じていた目を開ける。
「わっ」
 小さな叫び声を上げて、ユーリは後ろに飛び退いた。触れるか触れないか、そんな間近に、リーマの顔があったからだ。

 
 
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  第十四章(4)・1