蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十五章 白き牢獄(2)  
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 もともと、ハンプシャープの離宮は開かれた作りとなっている。中庭には部屋から自由に出入りができるし、海に面した裏庭にも、通路を挟んで容易く抜けることができる。さすがに、その先の崖を飛び降り海から逃れることは叶わないが、左右に回り込んで町を離れることは十分に可能だ。さらに、本殿と繋がっている左右の北殿、南殿も、当然のごとく脱出経路となり得るわけで、倍の兵力を持ってしても、キーナス側は決して有利ではなかった。
 そこでコルトは、まずその脱出口を狭める策を講じた。宮殿の裏庭に、万が一にも不逞の輩が忍び込まぬようにと、高い柵が立てられた。さらに北殿、南殿の一階部分、本殿に一番近い部屋を、改築という名目で通路、階段ごと塞いだ。これで、本殿から外に出るには、直接中庭に出るか、あるいは北殿、南殿の二階部分を通り、一階に下りて同じく中庭に出るか、そのどちらかとなった。
 中庭に出た以上、タイロマ門を通らなければ町の外には逃れられない。コルトは兵の半数を使ってこの門を固め、残りは二つに分けて、北殿、南殿の二階奥の部屋、つまりは本殿に通じる位置に詰所を設け配した。
 彼がこのような回りくどいやり方を取ったのには、二つの理由があった。一つは、あまりにも直接的な方法、それこそ本殿全ての出入り口を潰すなり、あからさまに見張りを立てるなりすれば、当然反発を生む。そのまま激しい衝突になり兼ねない。コルトに下された命は、もちろん表向きではあるが、ハンプシャープの離宮におわす国妃を守ることである。決して追いつめてはいけない。その辺りの加減を、コルトは十分わきまえていた。事を必要以上に荒立てぬよう、彼なりに配慮した。
 そしてもう一つ。単純に、気持ちの問題があった。初めて国妃ウルリク、その御前に立った時、コルトの心は激しく波立った。その光り輝くさまに圧倒され、地に頭を擦りつけんばかりに平伏した。単に、身分の違いにおののいたのではない。国王アルフリートに対してさえ、深く畏敬の念を覚えても、その場で自分自身がばらばらに砕けてしまうのではないかと思うほど、乱れることはなかった。彼は、一目で心の全てを奪われてしまったのだ。気高く麗しい、国妃ウルリクに。
「待つしか……ないか」
 フレディックの呟きを、ユーリはそのまま受けて声にした。が、言葉とは裏腹に、頭は納得していない。待ち続けて良い結果が出るとは、とても思えない。ぐずぐずしているうちに、自分達の正体が暴かれる危険性もある。
 ユーリには、まだフレディックに話していない策が、もう一つあった。キーナス兵とフィシュメル兵との間に、わざと諍いを起こさせる。その混乱の隙に、侵入を計るのだ。だがこれは、下手をすると予想外の規模に争いが発展し、思いがけない事態を引き起こす可能性もある。万が一にもウルリクに危害が及べば、取り返しのつかないこととなる。作戦としては、リスクが大きい。それ以前に、気持ちが乗らない。思いついてはみたものの、行動に踏み切れない引っ掛かりをユーリは感じていた。
 でも、このまま他に手立てがないとなると。三日……うん、後、三日だ。
 ユーリは自分の胸の内だけで、期限を決めた。待つのは三日。その間に、もう一度警備に隙がないかどうか、洗い直そう。他に良い方法がないか、再考しよう。そして、どうしてもそれらが上手くいかなかった時は……。
 ユーリは中庭に面した窓に近付いた。そこから本殿のバルコニーを、斜め横から眺めることができる。広いバルコニーに人影はない。そこに通じる扉は堅く閉ざされている。一度だけ、その扉がわずかに開くところを見た。白地に金の唐草模様が刻まれた窓枠に、ほっそりとした白い指が一瞬だけかかるのを、その目に映した。それが、この美しい牢獄の中に囚われている者の、ユーリが知る全てだった。
 ユーリは部屋の窓を大きく開いた。息を吸い込む。そこに含まれる潮の匂いが、少しだけ心を癒す。
「ちょっと、宮殿を一回りしてくる」
 ユーリは振り返りながら、フレディックに言った。
「ただ待っていても、仕方ないからね」
「そうですね。それなら私は、町の方に行ってみます。全く当てはありませんが。もしかしたら、何か糸口となるものが見つかるかもしれない」
「うん」
 ユーリは頷き、微笑んだ。漆黒の瞳が、本来の輝きを宿す。同様に、フレディックの目にも、先ほどまでの翳りが失せる。
 二人の若者は、まだ見えぬ希望の光を心の内で堅く信じながら、一歩を踏み出した。

 

 
 
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