蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十六章 潜入(2)  
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 おかしいな。目立つ色だからすぐ分かると思ったんだが。まさか、後ろの方にいるなんてことは。
 タクトは薄い闇から濃い闇へと視線を伸ばした。右奥で、止まる。
 ……いた。
 タクトはムラティフを振り返った。
「いたぞ、リーマ」
「えっ、どこだ?」
「あそこ」
 タクトは顎で一点を指した。立ち上がり、顔を突き出し、目を細めてムラティフがその方向を見つめる。
「あっ、あいつ、またあの……」
 ムラティフは、口から小さな溜息を零した。タクトを見る。少し間を置き、話しかける。
「なあ……タクト。いいのか? リーマのやつ……放っておいて。やっぱり、まずいだろう」
 タクトの返事はない。ムラティフの言葉は続く。
「あいつ、本気であの騎士様に」
 シトームの弦が、丸い響きの音を奏でた。
「まあ確かに、リーマに決まった男はいない。誰かを好きになっても、問題はない」
 シトームの弦が、滑らかに音階を刻む。
「でも、いくらなんでも身分てものが。いや、リーマだってそのくらい分かっているだろうけど」
 シトームの弦が、鮮やかに分散和音をかき鳴らす。
「でも、もしあの騎士様が気紛れに……いや、それもないか。誠実そうなお方だもんな。目を見りゃ分かる……て、あれ? 何だかよく分からなくなってきたぞ」
 シトームの弦が、素早い楽句を繰り返す。
「要するにだ。俺が言いたいのは、タクト、お前の――」
 シトームの弦が、急に音を出すのを止めた。短くはない沈黙。ムラティフの表情が曇る。
「……タクト、お前……」
 高い震音が、シトームの弦から放たれた。哀しいまでに優しい音が、粒となって空中に零れる。
「お前なあ……」
 ムラティフはやれやれという風に肩を竦め、椅子に座った。
 もどかしく思う。タクトがもう少しはっきりした態度を示せば、リーマだって答えるはずだ。もっとも彼女の方は、そんなこと口にも出さないし、態度でも示さないし、下手すりゃ嫌っているようにすら見えるけど。でも、舞台に立って、二人を見ているとそう感じる。お互い、気持ちはある。ただリーマは、その気持ちに自身で気付いていない。というより、その気持ちが見えていない。初めて恋をした時の、カラディアを好きになった時の、その時とは違う質の想いが自分の中にあることを、分かっていない……。
「お待たせ」
 頬を少し上気させ、リーマが舞台に駆け上がった。
「タクト、そこのところ」
 リーマの声に答える代わりに、タクトは一つの楽句を奏する。
「そう、そこ。もう少し速く。で、タタタン、タン、ト。ここでちょっと間を開けて欲しいの」
 タクトは頷き、楽器をかき鳴らした。それに合わせ、リーマが足先だけを動かし確認する。板張りの床が、軽やかに音を刻む。そこに絡みつくようにタクトのシトームが重なる。
 リーマの足が、ほんの少しだけ引きずるように動いた。ぴたりとシトームの音が止む。呼吸を合わせたかのように、両者の音が同時に鳴る。先ほどと同じところを、微妙な変化をつけて繰り返す。時折目で合図を送り合うが、それ以外は全て爪先と楽器とで対話する。そして理想の形を作っていく。
 あらかた固まったのを見計らって、ムラティフは自分の音を重ねた。ドマノもそれに加わる。
「うん。今のが一番いいわね」 リーマが言った。
「これで行きましょう」
 三つの楽器が軽やかに音を響かせ、おうと答える。満足げに笑みを浮かべ、リーマがさらに続けた。
「今日は頑張らなくっちゃね。なんたって、国妃様の御前だもの。それに」
 リーマはくるりと身を翻し、遠い闇に向かってひらひらと右手を振った。
「あの騎士様も、見て下さってるんだから」
「お前なあ」
 いいかげんにしろよ、あの騎士様だって、迷惑だろうが。
 ムラティフは、そう小言を言うつもりだったが、そうしなかった。
 タクトのやつ……。
 ムラティフの傍らで、隊一番の、いや、キャノマンの民一番のシトーム弾きは、楽器を抱え幸せそうに微笑んでいた。隊一番の、いや、キャノマンの民一番の踊り子の、楽しげな後姿を見て笑っていた。
 なんか、いろいろ心配するのが、バカらしくなってくらあ。
 ムラティフはそう心の内で呟くと、もう一度大きく肩を竦めた。

 

 
 
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