蒼き騎士の伝説 第二巻 | ||||||||||
第十六章 潜入(3) | ||||||||||
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……雨だ。
それは自答であり他答であった。いずれも声としての形を為さず、心の内に響いたものだった。
近くに、一人いる。
ユーリは壁に身を預けたまま、目を閉じた。意識の先端を伸ばす。宮殿の床を、壁を、ゆっくりと伝いながら広げる。テラスのすぐ脇、小さなガラス窓の前に気配が一つ。国妃ウルリクの部屋の扉前に二つ。廊下の突き当たり、左右それぞれに三つ。こちらは、常に動いている。これで全部、いや、もう一つ、左から右へ、廊下を歩く者がいる。
すでに、ユーリの五感は閉じていた。全てのエネルギーを、残されたただ一つに注ぎ、機を捉えんと集中する。窓際の兵士に、動きはない。彼の意識は、そこから見える景色に奪われている。廊下を進む者は、今、向きを変えた。こっちを見ている。少し遠い。一瞬で倒すのは難しい。
扉の男達は、小さな動きを繰り返している。宮殿の見取り図によると、入り口は少し窪んだ形になっていた。恐らく、時折そこから前に出て、廊下を見渡す動きをしているのだろう。ただ逆に、この窪みにすっぽり収まっている時は問題ない。気をつけなければいけないのは、やはり両端の兵士だ。階段の方を見まわっている時は、廊下は死角となる。だが、六人とも全員がその状態となるのは難しい。しかも、他の者とのタイミングも合わせるとなると。
ユーリは待った。意識を細く、長く、宮殿の隅々にまで広げる。巨大な蜘蛛の巣を張り巡らせるかのように、イメージする。
極細の意識の糸に、緊張が漲る。いかなる微細な変化も逃さんと、息を詰める。
まだだ。まだ……。
ユーリの胸が、穏やかに波打つ。肺に残された空気を、じわじわと押し出すように吐く。
よし!
ユーリは体を屈めた。中に飛び込む。と同時に、目の前にある兵士の足を払う。
「……くぅ」
兵士の口から、軽く呻き声が漏れる。バランスを失い、前のめりに倒れるところを、そのまま背負い込むようにテラスへと出す。兵士の重みが自身の体に被さる前に、ユーリは身を翻した。素早く後ろに回る。両手を組み、それを後頭部めがけて振り下ろす。
兵士は倒れた。大きな音が響く。その音を、激しい雨がしっとりと包む。一つ、息をつく。心の中で、次のタイミングまでのカウントを始める。数えながら兵士の剣を奪い、その鞘だけを手にする。
三……ニ……一……。
ユーリは駆けた。国妃の部屋の扉前。その窪みに身を滑らせる。まず、正面の兵士。走り込んだ勢いのまま、鳩尾を鞘で一突きにする。白目をむき、苦しげに体を折る兵士を、無理からに肩で押し返す。そして強く地を蹴り、後ろに飛ぶ。
もう一方の鞘の先端が、背後の兵士の喉を突いた。堪らず身を反る兵士の腹に、さらにもう一撃を加える。
二人の兵士は、窪みの縁に背を預けながら、座り込むようにして倒れた。
耳を澄ます。低く唸る雷鳴だけが、遠くで響く。しかし……。
中の気配は、全部で五つ。
無限に時があるわけではない。すぐに誰かが異常に気付くだろう。迷ったり、とまどったり、何か策を講じたりする時間はない。
ユーリは手に持っていた鞘を、そっとその場に置いた。両手を扉にかける。そしてそれを、一気に押し広げた。