蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第十八章 それぞれの道(1)  
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 <それぞれの道>

      一  

 すでに視界は狭められていた。
 西の森の端に沈み行く太陽の残光が、仄かに行く手を照らす。月の助けは望めない。夜空を彩る美しき銀の姉妹は、今宵、黒い衣を纏い、糸のような弧を残すのみだ。しかしそれも、ほんのわずかな時しかもたない。ほどなく太陽の後を追いかけ姿を隠し、空は星明りだけの闇となる。その状態で、見知らぬ土地を進むのは難しい。それまでに、少しでも前へ進まなければならない。だが……。
 くたびれた外套を翻し、木立の中を駆け抜ける。いずれの馬も、足が重い。引き連れた空馬ですら、喘ぐように首を振っている。
「もう少しの辛抱です、ティト」
 片手で器用に手綱をさばきながら、フレディックは胸の中のものに囁いた。
 ティトが同行することを、フレディックは出発のその時に知った。どうしても付いて行くとティトがせがみ、それを公が承知した。公が認めたことに対して、あれこれ不満を言うつもりはない。だが、やはり安易であったと思う。泣こうが喚こうが、無理からに追いかけて来ようが、それを振り切る方がティトのためであったと、強く思う。
 ただ懸命にしがみつく、小さな民。意識が朦朧としているようだ。昨日より今日、今朝より今と、疲れきった体が大きく揺れている。その変化を、文字通り肌で感じ、フレディックは唇をきつく結んだ。
 先を急ぐ旅であることは、百も承知している。だが、今日こそは言わなければならない。今日こそは……。
「――どう」
 先頭を行くシオの馬が止まった。ロンバードとフレディックも、それに合わせて手綱を引く。早く大きく息を連ねる、六頭の馬。立ち止まることで、その乱れを耳でも感じる。自身も苦しさを覚える。
「今日はここまでか」
 軽く馬の首を労わるように撫でながら、シオが呟いた。そしてフレディックに近付く。馬上から右手を伸ばし、少し体を屈め、そっとティトの柔らかな髪に触れる。
「大丈夫か? ティト」
 ああ、これでまた、何も言えなくなった……。
 フレディックは心の中で呟いた。その手の、その声の、なんと優しく哀しげなことか。自分の何倍もの強さで、レンツァ公はティトのことを心配している。そして悔いている。このような選択を、してしまったことを。
「だい……じょうぶだ……旦那」
 消え入るような声で、ティトが言った。
「ちょっと……頭が痛いけど……ちょっと、胸がむかむかするけど……ちょっと……いろんなものが、ぐるぐる、ぐるぐる……回ってる……けど……。おいらは……大丈夫……だ」
 シオの顔がわずかに緩む。
「それは、頼もしいな」
「でも……でも、馬は嫌いだ……」
「すぐに、休ませます」
 フレディックはそう言うと、馬から降りるべく、ティトをしっかりと抱え直した。と、その動きが、妨げられる。大きく体を揺らす馬を、慌てて宥める。しかし、それはフレディックの馬だけではなかった。怯え、苛立ち、しきりに前足で土を食み、馬達は迫る危険を主に訴えた。
「どうやら、噂のルーフェ達のお出ましのようだな」
「恐らくは」
 シオの呟きにロンバードが答えた。
「この場所では、我らの方が不利です。少し戻ることになりますが、ここは見遠しの良い川辺に出るのが得策かと」
「止むをえないな」
 闇と木々の輪郭が、すっかり朧となった空間を見据えながらシオが唸った。
「すまない、ティト。もう少しだけ、頑張ってくれ」
 まだ息の荒い馬に、無理な命が下される。尽きたはずの力を振り絞って、馬がそれに応える。
 視界が悪い。思うほどの速さが望めない。障害物の存在を、その寸前でしか確認できない。大木を目にするたび立ち止まり、大きく方向を変える走り方が、馬達に残された最後の力を奪っていく。
「来た!」
 ロンバードが鋭い声を出した。
「左にいます。みな、右へ!」
 大きく横に振れる。ロンバードの指示通り右に進路を変えながら、フレディックはちらりと左方を見やった。

 
 
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  第十八章(1)・1