蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第十八章 それぞれの道(2)  
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「今すぐというわけにはいかぬが、後日、改めてラグルの戦士に相応しい埋葬をさせてもらう」
「それには及ばぬ」
 オラムは立ち上がった。
「お前が玉座に戻る時、それはこの私がここに帰る時だ。我ら一族の遺体は、我らの手で葬る。……言っておくが」
 オラムはアルフリートを見下ろしながら続けた。
「別に、何も含むところはない。単純に、自分達の手で仲間を土に帰したいだけだ」
 声とその目の色に、偽りは感じられない。アルフリートは微笑だけでそれに答えた。
「さて」
 野太い声が豪快に響く。
「そろそろ行くか。すまなかったな。急ぎの旅であるのに、ファルドバス山に寄りたいと言って」
「構わぬ。そなた達の助けがなければ、これほど早くはここに来られなかった。残りも、この調子で頼む」
「うむ。それではタークゥム達を呼び――」
 急にオラムが言葉を切った。そして低く唸る。
「悪いな。もう少し待っててくれ。どうやら、身のほど知らずの者どもが、この辺りをうろついているようだ」
 アルフリートは、オラムが見据えている先に視線を転じた。山の斜面、ごつごつとした岩肌。そこに、黒い影。
「……グルフィス……か?」
 どこの森から流れてきたのか。いや、森の民である彼らが、山を居とするはずはない。とすれば狙いは、この地に残されたものか。
 影が走る。全部で三つ。その大きさだけを考えれば、ラグルに引けを取らない。戦闘技術は、オラム達の方が遥かに上だろう。だが、奴らの武器は侮れない。鋭く削られたこん棒の先には、猛毒が塗られている。掠っただけで、致命傷となる。アルフリートの手が、剣の柄にかかる。
「それには及ばぬ」
 左腕を斜め下に翳し、オラムが制した。
「こいつらの相手は、私だけで十分だ」
 腰の斧を右手で持つ。それを軽々と振り上げる。
「ここは、我らの土地だ。自分の国は、自分で守る!」
 そう言いきる前に、オラムは前へ飛び出した。斧を振り下ろす。まず一つ。返す軌跡でもう一つ。その間隙を縫って、鋭い切っ先を持つ三つ目のこん棒が、オラムの鼻先に迫る。が、風を切る斧が、それ以上の接近を許さなかった。瞬く間に三つの命を消し去った斧が、持ち主の肩の動きに合わせて大きく揺れる。
 くっ。
 穏やかになりかけたオラムの眼光が、ぎりりと光った。
 おのれ、もう一つ――。
 背後の気配に振り向く。斧が少しだけそれに遅れる。オラムの顔に、鮮血が散った。
 苦痛に満ちた声を上げて、グルフィスは後退りした。片腕を奪った仇を睨みつける。その目に、銀の刃が輝く。
 アルフリートの剣が、また翻る。その煌きに、グルフィスは長く恨めしげな声を浴びせ、踵を返した。
 毛むくじゃらの背が、山肌の向こうに消える。アルフリートの剣が、元の場所に納まる。
「余計なことを、などと言うなよ」
 オラムを振り返りながら、アルフリートが言った。
「ここのところ、借りを作ってばかりだからな。少し、返させてもらった」
「ふん」
 軽くオラムが鼻を鳴らす。
「そういうことなら、礼を言うのは止めておこう。タークゥム、ジュカス!」
 物音に気付き、駆けつけた二人にオラムが命を下す。
「この死体を、我らの地の境界線まで運んで、そこに埋めろ」
「埋める?」
「確かグルフィスは、そういう慣わしだ」
 タークゥムとジュカスは、互いに顔を見合わせた。
 崖から打ち捨てておけば良いものを。こんな墓荒しどもを、わざわざ埋めてやる必要がどこにある?
「そしてその上に」
 オラムの声が続く。
「このこん棒を突き刺しておけ。いいな」
 なるほど、見せしめか。
 ようやく彼らは納得し、指示通り、即座に動いた。
「随分と、半端なことをするのだな」
 オラムを見上げ、アルフリートが呟く。
「見せしめにしたいのなら、死体を放置する方が効果的だ。実際、今までラグルはそうしてきたではないか。それを、どうして?」
「人間の真似をしてみただけだ」
「人間の?」
「そうだ。しかし、半端というなら、お前も一緒だ」
 オラムが切り返す。
「首を落とさず、奴の腕だけを払ったのはなぜだ? 戦争でラグルと、あるいは同じ人間同士、命を貪り合うくせに。グルフィス一匹を仕留めるのに、何ゆえ躊躇する?」
「確かに……矛盾しているな」
 自嘲するような笑みをアルフリートは浮かべた。
 悔いて、許されるものなら、いくらでも悔いる。
 アルフリートは山肌を見下ろした。その先に眠る、ポルフィスの町へと視線を運ぶ。無意識に、左の手首に巻かれた細い布紐を摩る。
 惨劇の全てを知ったのは、キリートム山に逃れた後だった。知ったところで、嘆いたところで、何も変らない。仮にあの時、町に止まっていたとしても、やはり結果は同じであっただろう。
 どこをどう間違えたのか。何からやり直せばいいのか。
 延々と繰り返されてきた争いの歴史が圧倒し、その糸口すら見つけることができない。ただ、一つだけ真実がそこに残っている。ポルフィスの民、この山に散ったラグル。失われた命は、もう二度と戻らない……。
 アルフリートは、深い溜息をついた。そしてもう一度呟く。
「確かに、矛盾している」
「そうだ、お前達の方が、遥かに半端だ」
 間髪入れず、そう返してきたオラムに、アルフリートは少しだけ眉をひそめた。
「そうと分かっているなら……」
 オラムを見やる。
「なぜ、我らの真似を?」
「さあ」
 ぶんと風を鳴らし、腰に斧を納めながらオラムは唸った。
「どうしてなのか、よく分からん。強いて言えば、分からんから試してみた。そういうとこだな」
「試してみた……か」
 アルフリートの口元が、少しだけほころぶ。瞳の蒼が、凝縮した光を湛える。
「さあ、もう行くぞ」
 オラムが言った。
「随分と時間を無駄にした。先を急ごう。すぐにタークゥム達も追いつく」
 言葉の終りと同時に、身を翻す。その後を、アルフリートも追う。
 細く、長く伸びた二人の影が、すっかりと闇に溶け合うまで、彼らの歩みが緩むことはなかった。

 

 
 
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