三
部屋に入るなり、シオはすぐ側の長椅子に体を投げ出した。案内の兵士が、扉を丁重に閉めるのを見届けてから、ロンバードが大きく肩を揺らす。
アドラナス城の内装は、その外装に相応しく壮麗なものだった。暫しのご休息をと通されたこの部屋も、ゆったりとした空間に、豪奢な調度品が並んでいる。
しかし、シオはそれらに目もくれず、長い吐息に乗せて呟いた。
「あれやこれやと嘘を並べ立てる方が楽だな。真実を伝えるより、騙す方が容易い」
「……公」
「往々にして真実は、受け入れ難かったり好ましくなかったりしますからね」
シオの体が小さく丸められる。
「そして人は、そういうものを、認めたがらない」
ゆっくりと瞼を閉じる。その端麗な顔に、疲労の色が濃く浮き出る。
「ティトは、今……どの辺りだろうな……」
言葉はそのまま、微かな寝息となった。
この方も、人の子なのだ――。
長椅子の隅の方に、猫が蹲るかのような姿で眠っているシオを見ながら、ロンバードは思った。
傍らの椅子に腰を下ろす。剣を手に取り、床に立てる。
与えられた時は、ごくわずか。午後には前線に向けて、アドラナス城を発たねばならない。また、急ぎの旅となる。そしてその先には、数多の命を肩に背負い、身と心を削り殺ぐ日々が待っている。
これで終ったわけではない。全ては今、始まったのだ。苦難の道は、今……。
ロンバードはそこで目を閉じた。光が遮断され、自分の呼吸音が徐々に遠のき、掌の感触が薄れていく。
すやすやと眠る優美な銀猫を守るように、ロンバードはそのままの姿勢で深い眠りに落ちた。
黄金に輝くエルベロ草の穂が、なだらかな斜面を覆い尽くす丘を、フレディックの馬は突き進んでいた。目指す場所は、近い。一方、約束の日には、まだ十分時がある。
フレディックは馬の歩みを緩め、いったん止めた。そして、懐を気遣う。
「大丈夫ですか? ティト」
「何度も聞くな。もう慣れた。馬はやっぱり、好きじゃないけど」
真ん丸く頬を膨らますティトに、苦笑する。レンツァ公と離れて以来、ずっとこの膨れっ面は直らない。今でこの調子なら、目的地へ着いたらどうなるか。いかにしてティトの機嫌を取ったら良いのか。いろいろと思いを巡らせ、自らに課せられた責の重さを意識から追い出す。
フレディックに与えられた任務は、決して難しいものではなかった。レンツァ公、アルフリート王、そしてユーリ達の為そうとしていることの方が、遥かに困難を極める。だが、それら全ての労苦と等しく、万が一にも自分が目的を達し損ねた場合、即、作戦の失敗に繋がる。重圧は大きい。課題が容易ければ容易いほど、かえってそれを強く感じる。
風に洗われる金の穂の波に抱かれ、一瞬、途方に暮れてしまいそうになる。右なのか、左なのか、進む道すら見失いそうになる。
「おいらは、馬が嫌いだ」
はっきりと、抗議の意思を乗せたティトの声が、フレディックの胸を打った。懐を顧みて、また苦笑する。
早く、ティトからこの苦しみを取り除いてやらなくては。そして、再びレンツァ公の元へ帰してやらなければ。今は、そのことだけを考えよう。
「もう少しの辛抱です、ティト」
囁くようにそう言うと、フレディックは顔を上げた。空と同じ色の瞳に、輝く草原が映る。その先に、黒々とした森を捉える。
進むべき道をしっかりと見据え、フレディックはゆっくりと馬を進めた。