蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十章 サルヴァーンの攻防(3)  
             
 
 

 

 眼下に散乱する生々しい争乱の後が、朝日に照らされる。城壁の上に立つアルフリートの瞳が、きつく絞られる。その横顔に、ドレファス将軍が重い声をかけた。
「我が軍の死者はありませんでした。しかし、オルモントール軍に、予想以上の犠牲を強いてしまいました。申し訳ありません」
「いや」
 王が首を振る。
「もとより、全く手を汚さずして為し得るとは思っていない」
 そう紡いだ言葉が、むしろ自身に向けられていることを察して、ドレファス将軍は沈黙した。
 一瞬なのだ、壊すのは――。
 苦しい想いが痛みとなって、将軍の胸を覆う。
 恐らくはこれで、ケムプの町を封鎖せねばならぬだろう。長きに渡る対立の歴史を経て、やっと結んだオルモントールとの細い糸。四代前の王が、市という形で始めた交易を、苦労して町にまで発展させたのは、ほんの二年前のことだ。この成功を契機として、さらにアルフリート王は、新たな門を開こうと考えていた。過去、賢王アーロンのみが為し得た偉業、三国和平への道を、真剣に模索していた。
 しかし今、その道は閉ざされた。王自らの手で、封じられた。より大きな災いを避けるためとはいえ、小さな火種を、自ら作った。
 王の無念は、いかばかりのものであるか。
 吹き荒ぶ風が思うまま、王の髪を弄ぶ。細身の体が、そのまま煽られ倒れるのではないかと、錯覚を覚える。
 ドレファスは、胸の空洞に向かって、一つ深い息を吐いた。
 だが……。
 鋭く目を細める。
 いつまでも、溜息をついているわけにはいかない。火種を、火種のうちに消さなければならない。
 ドレファスの肩が、大きく聳やかされた。
「まずは、これで一手」
 意識的に張り上げたその声に、憂いを湛えた王の顔が向けられる。
「すぐに次の手を打たなければなりません。エルティアランの呪縛を、早く解かねば」
「……うむ」
 王の瞳が、とりとめもなく揺れた。だが、それはわずかであった。強い意志の力で、瞳に光を戻す。清冽な輝きが、芯から溢れる。
「手筈は、どこまで進んでいる?」
「それに関しましては、私から」
 将軍の傍らで、影のように控えていたホムが声を出す。
「作戦のために捉えた捕虜ですが、すでに噂の方は吹き込んであります。エルティアランには、何もなかったのだと。キーナスは、伝説という鎧を失ったのだと。それゆえ王は、ラグルと手を組み、攻め込まれる前にアルビアナの征服を謀ったのだと」
「理由として、不足はないな」
 自嘲気味な笑みが、アルフリートの口端に浮かぶ。それを認めた上で、なおもホムが続ける。
「別の捕虜にも、噂を仕込んでおきました。敵の目を欺くため、カナドール、ノランの騎士団を下がらせ、実は密かに北からコーマ、イルベッシュ騎士団を呼び寄せてあるのだと。すでに両騎士団ともブルクウェルにて待機しており、いつでも南下を始められる状況であるとも」
「うむ」
 アルフリートが頷く。
「後は、彼らを放す頃合いを、間違えぬことだな」
「はい。そしてその時に、最後の一手も打たねばなりません」
 ホムの言葉に、アルフリートは軽く唇を噛んだ。
 仕掛けた罠には自信がある。だが、万が一ということも考えられる。二手、三手。その先の対策は考えてあるが、いずれも大きな犠牲を伴う。キーナスも、そしてオルモントールも、深く傷付くことになる。その傷を癒すのに、一体どれだけの時が必要となるのか……。
「……アルフリート様」
 ドレファス将軍の声に、アルフリートは一瞬、少年の頃まで時を遡った。語尾を少し上げるような言い様は、昔よく耳にした響きだ。そういう時は必ず、諭すなり、戒めるなりの言葉が続いた。
 アルフリートの蒼い瞳の中で、将軍が苦笑する。
「思いつめる性質であられるのは、昔とちっとも変わりませぬな。しかも、それがお顔に出てしまわれる」
 アルフリートの頬が、少しだけ赤らむ。
「しかし、王たるもの、場合によっては不正直であることも必要です。特に家臣を前にした時は、不遜なくらいでちょうどいい」
「うちの甥っ子の場合は、逆にそれがきつ過ぎて、扱いずらいですがね」
 笑顔でホムが続く。思わず、アルフリートの唇にも微笑が浮かぶ。
「そなたたちにかかると、私はまだまだ子供扱いだな。だが、心配はいらない。ブルクウェルに戻ったら、それなりに大人を装うことにしよう。それはそうと――」
 王の目が、また少し遠くなる。
「三人の葬儀は、もう済んだのか?」
「はい、三日前に。それぞれの村に返し、滞りなく行われました」
 柔らかな声で、ドレファス将軍が答える。
「安らかに送るべき魂を無理に押し止め、あまつさえその身に不用な傷をつけ済まぬとの陛下のお言葉。伝えましたところ、かえって遺族は恐縮しておりましたとのことです」
「……そうか」
 それだけを声にして、再び少年の顔に戻る王を、将軍と副官はじっと見つめた。
 この王を、この王であるからこそ、何としても、あるべき場所に戻さなくてはならない。キーナス国のために、キーナスの民のために、果てはフィシュメル、オルモントールのために。
 主君の澄んだ瞳を見据えながら、ドレファスとホムは、互いに無言でそう誓いを立てた。

 

 
 
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