蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十一章 氷壁の乙女(3)  
             
 
 

 明るく開けた空間の先に、道はなかった。大きな空洞は、天に聳えるだけではなく、地にも深く埋まっていた。そっと下を見る。足が竦む。百メートル近くはあると思われる高さもさることながら、すとんと薪を割ったかのような岩壁の断面が、恐怖をそそる。
 自然にできたものとは思えぬ光景。だが、人の手によるものかと問われても、首を捻らざるを得ない。これだけの広さを、これだけの高さを、まるで鏡でも磨き上げるように掘るためには、相当な技術を要する。そして何より、その意味がなければならない。この場所を、これほどまでにする理由がなければ……。
「何だ? ここは」
 疑問がそのまま声となって、テッドの口をついて出た。訝しげに、切り立つ岩壁から、最も不可思議な存在へと視線を移す。
 空洞の中央には、柱があった。深い地と、それより高い天とを結ぶ岩の柱。周りの壁と違って、ごつごつとしている。大きな岩の形が、そのまま柱の輪郭を模っている。思えばこれも不自然だ。水にしろ風にしろ、その侵食を受け削られた結果としては、あまりにも表面が不揃いである。かといって、鍾乳石のような感じでもない。下から上へ、ただ単純に岩を積み上げたと見るのが、一番正しいようにも思うが。崩れることなくこの高さまでとなると、やはりそれも非現実的であった。
 何かこう、中心に一つ軸があって、それに全てが吸い寄せられているみたいだ。
 テッドはそう考え、そのあり得ない説に、自ら首を傾げた。
「で、どうする?」
 思考を浅く戻す。直面する問題だけに、終始する。
「と言っても、とりあえず、あの柱まで行ってみるしかないだろうが」
「そうですね。あそこなら、登ることも可能でしょうから」
「登る?」
「ええ。見たところ、この空洞の出入り口らしきものは、ここと、それから――」
 すっと、ミクの右腕が上がる。柱の輪郭を辿るように、登る指先を目で追う。
「あれだけです」
「う〜ん」
 かなり顎を引き上げた状態で、テッドは唸った。
「大分あるぞ」
「あれくらいなら、まだ増しです」
 ミクの声が、冷ややかに続く。
「もし、あの窪みから外へ出られぬようであれば、さらに柱を登ることになるでしょう。光が射し込んでいるところまで」
「もっと上ってか」
 テッドは、さらに顎を上げた。
 滑らかな岩壁も、前衛的なオブジェを思わせる柱も、彼らはライトを使うことなく見ることができた。それほど、その空洞には光が溢れていた。遥か遠い天井から降り注ぐ、幾筋もの光。仰ぎ見る範囲では、そこに空を見出すことはできない。光の通り道となっている、天井部分の岩と岩の隙間が、果たして自分達をも通すことができるのか。行ってみなければ分からないが、紛れもなくその先が、外であることは確かだ。
「とにかく、行ってみるか」
 そう決断すると、テッドはレイナル・ガンを構えた。ワイヤーロープを解き放つ。狙い通り、真正面にある大きな岩の一つを貫く。深く刺さると同時に、先端の鉤ががっちりと岩を捉える。補助のフックを使って、銃身側も背後の岩に固定したところで、テッドが言った。
「やっぱり、こっち側に少し不安があるな。フックが弾け飛ぶと厄介だ。まず、重いやつから行ってもらうか。おい、レンダム」
「ちょ、ちょっと待て」
 指名されたレンダムが、首を横に振る。それを見て、テッドが軽く笑った。
「大丈夫だ。頼りなく見えるが、お前さんの体重くらい、その荷物ごと、軽く支えることができる。途中で切れたりなんかしないよ」
「そうじゃなくて。わしが言いたいのは、せっかくのお宝を、置いていく気かということだ」
「お宝?」
「見ろ」
 そう言うとレンダムは、つるりとした岩壁を撫でた。
「リルの鉱石だ。ここ一帯、全部。この場所に来るまで、暗くて分からなかったが。おそらくは、この山全体がそうなんだろう。これだけのものは、グルビア山脈のどの山を探しても見つからんぞ。凄い、まったく凄い」
 次第に熱を帯びていくレンダムの声に、どこまでも冷えきった声でミクが言う。
「ですが、今の私達には必要のないものです。何よりここは、スルフィーオ族の地。間違っても、一欠けらだけなどという気は、起こさないで下さい」
「そうそう、本業は全てが終ってからにしてくれ。時間がないんだ、さあ」
 レンダムは、なおも名残惜しそうに岩壁をさすった。しかし、無言の圧力をかけて見つめる三人の視線に、しぶしぶロープに手をかける。
 レンダムの決意に合わせ、ユーリ達は、横穴に渡したロープを手前に引くような形で持った。ぐっとその手に力が加わる。だがそれは、予想より軽いものであった。器用に手と足を使いながらロープを渡るレンダムの動きに、ほとんどぶれがない。重量以上の負荷をかけることなく、あっという間にレンダムは柱の向こうへ渡った。
「次は俺か。あっ、ユーリ、お前の銃を貸せ。今度は逆からロープを渡す」
「うん」
 テッドはユーリから銃を受け取ると、それをしっかりと懐にしまった。ロープに手を伸ばす。横穴の縁に立ち、ちらりと下方を見る。すっと背筋を下から上へ、寒気が走る。テッドは、手の中にあるロープに気持ちを集中させた。
 右手、左手。大きく前に押し出しながら進む。最初のうちはそうでもなかったが、中ほどくらいからロープの細さが応えてくる。分厚い皮手袋を通してなお、食い込んでくる。動きに無駄が生じ、その分ロープが左右に大きく揺れる。思わず、気の遠くなるような深い底が、頭を過る。
 テッドはいったん動きを止め、ロープの揺れが収まるの待った。その上で、今度は小さく手を前に進める。胸の鼓動と同じくらいの、速いピッチで突き進む。
 なんとかレンダムの待つ柱に辿りついたテッドは、軽く掌を握って、開いた。顔を顰め、ユーリ達を振り返る。

 
 
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