蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十二章 魔術(1)  
             
 
 

 

 リブラは、このヒュールの砦を決戦の場と読んでいた。作戦としては、西の砦をまず落とし、東の砦に抗しながら、ノラン、カナドールの両騎士団を待つつもりであった。しかし、意外にも、敵はあっさりと駒一つを譲り渡した。お陰で、かえって難しい判断を迫られることとなった。
 最初の攻略目標に、リブラが西の砦を選んだ理由は、その規模にあった。せいぜい六、七千の軍が入れるか否かの東側に比べ、西の砦は二万余の兵を入れることが可能だ。この兵力の差は、そのまま砦の力の差となる。無論、その分攻略は難しい。だが、奪ってしまえばこれほど頼りになるものはない。フィシュメル軍の大半は、王都カロイドレーンを固めている。この戦争が、長期化することは目に見えている。二つの砦のうちの一つを落とした時点で、確かにそこへの道は通じるが。対面に敵を残した状態で、しかも、王都攻略の拠点とするには不十分な砦に構えて、進軍することは無謀でしかない。
 東の砦から溢れた兵を、城壁の上から見下ろしながら、リブラは唸った。
「なるほど……そういうわけか」
 その低く、それでいて艶やかな呟きを、穏やかにカファードが受ける。
「フィシュメル側の援軍、その先陣は、およそ五千。おそらく三日後には、ここへ達するでしょう。援軍の本隊、二万ほどの大軍は、いまだ王都にほど近いミラッツェ辺りに構えているようですが。今日、明日にでも動くようなことがあれば」
「我らの援軍より早く着くな」
 吐き捨てるように、リブラが言った。
 そうなれば、この東の砦ではとても持ちこたえられない。それまでに、西の砦を攻略できれば話は別だが。しかし、それには敵の先陣が邪魔だ。
 今、西の砦に立てこもる敵は六千ほど。数ではこちらが勝っている。配下のロイモンド騎士団に加え、今は亡きティアモス将軍下のアムネリウス騎士団を合わせ、一万余の兵力がある。だが、守りに入った相手を一日、二日で倒すことは難しい。全軍をもって総攻撃をかけたとしても、かなりの時間を必要とするだろう。その間に、ここへ辿り着いた敵の先陣に、背後を突かれでもしたら。下手をすると、壊滅の恐れすらある。
 現時点で西の砦への攻撃は、不可能だ。かと言って、このままここに止まっても、最悪の状況を先延ばしにする意味しか持たない。道は一つ。いったん国境まで退き、カナドール、ノランの騎士団と合流した上で、改めてこの地に挑む。だが、それではせっかく時の利を受け、ここを落とした意味がない。
 いや……道はもう一つ。
 リブラの目が、左へ泳ぐ。細い街道に沿って、南の彼方へと視線を送る。
 先陣の、出鼻をくじく。
 本隊に対し、彼らは今、不用意に前へ出過ぎている。いや、先陣の方は、むしろこれで正解だ。ぐずぐずしていると、我らに西の砦を落とされてしまう。急がずにはおれまい。問題は、本隊の遅さだ。この事態に、ミラッツェに止まる意味などないことから、何らかの予期せぬことが起きた、としか考えられぬが。
 あるいは……。
 すっきりとしたリブラの額に、長い栗色の髪が一筋落ちる。
 罠か……。
 意図は読めぬが、その可能性もある。だが仮に、何がしかの策によって遅れているのだとしても、この距離は自分達の味方となる。西の砦の動きを、常に背後で注視しなければならない難しさはあるが、やるだけの価値はある。もし、砦から兵が出てきたなら、それを叩けば良い。出てこなければ、そのまま先陣を叩く。本隊との距離に注意し、引く頃合さえ見誤らなければ、我が軍が窮地に陥るようなことはないだろう。ならば――。
 やるしかない。
 リブラは、しなやかな動きでカファードを振り返った。朗々と歌うように、豊かな声が響く。
「全軍に伝えよ。ポルフィスの無念をはらす時が来たと。我らの道は、前進であると」
「はっ」
 鋭く、切れの良いカファードの声に、リブラは大きく頷いた。それが、苦渋の胸の内を察した上でのことであるのを、心強く思った。

 

 
 
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  第二十二章(1)・2