蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十二章 魔術(2)  
             
 
 

「その……仕事はぁ……もう……終わった」
 唇を噛むフレディックの前で、ジャナ族のドッカはそう言い放った。気のない表情で、フレディックが示した金貨に一瞥をくれると、もう一度言う。
「終わっ……た……」
 フレディックの表情が翳る。
 ジャナ族の力を借りること。それが、こういう危険を伴うことを、フレディックは知っていた。彼に交渉役を命じたシオも、もちろんそうだ。ゆえに、フレディックは仕事の依頼に際し、ある指示を受けていた。堰の端を折り返すこと。つまり、余分な作業をあらかじめ加えることで、その仕事に必要な日数に余裕を持たせたのだ。
 順調に行けば、今より五日前に、堰は完成するはずであった。レンツァ公の計算によれば、ちょうどキーナス軍が砦を離れ、中州に向かう中間地点の頃となる。川の水が増し、中州を渡れぬことが分かれば、彼らは諦めて砦に戻るだろう。時間稼ぎという点では、中州ぎりぎりまで引き寄せる方が良いのだが。そこまでの正確性を、ジャナ族に求めることには無理があった。
 だが、五日の猶予があれば、十分可能な策となる。ジャナ族の、仕事そのものに対する忠実さは、確かであった。一日、二日の遅れがあったとしても、それが三日と狂うことはない。それなのに……。
 フレディックは、暗い川面に視線を移した。まだらに並んだ大きな岩の間から、水がとうとうと流れている。
 不運だった。としか、言い様がない。割り当てられた十人のうち、いくらも進まない内に、一人が腹を壊し森に戻ってしまった。岩の切り出し作業中に、さらに一人が怪我をし脱落した。それをここへ運ぶ途中で、もう一人。理由は何であったか。とにかく森に帰ってしまった。
 いい加減なわけではない。こんなことは滅多にないことだ。もし、そういう性質の種族であれば、彼らに助力は求めない。何百、何千もの命に関わる作戦の中に、組み込むような真似はしない。
 それでも、何とか今日中には、事を達成しそうだった。それが昨日になって、もう一人が右足を痛めてしまった。慣れない作業であることは確かだ。岩を切り出し運ぶこと自体に、経験がないわけではないだろう。だが、堰とするため、極端に大きな岩を用いる作業が、彼らを苦しめた。彼らの計算を、誤らせた。
 だが仮に、今日完成したとしても、手遅れであったのではないか。約束の日は、五日前だ。すでにキーナス軍とフィシュメル軍は、対峙した後かもしれない。
 フレディックの眉間に、深く皺が刻まれる。
 失敗したのだ、自分は。ジャナ族に仕事を依頼する。たったこれだけの簡単な役目を、果たすことができなかったのだ。恐らくレンツァ公は、とっくに川を堰き止めることは見限り、きっと別の策を立て、見事キーナス軍を退けているであろう。もう、終わったのだ。彼らの言う通り、もう……。
「お〜い……お〜い……小さい……のぉ……」
 間延びした別の声が、背後で響く。振り向くフレディックの目に、ジャナ族の民が、川辺に向かって明かりを掲げている姿が映る。
「ティト?」
 不安が、そうフレディックに呟かせる。
「ティトに、何か――」
「あの……子がぁ……飛び……込んだ……」
「なっ?」
「こんなぁ……小さなぁ……石を……持って……そのまま……川に……」
 激しく舌打ちをすると、フレディックはのそのそと喋るジャナ族の方へ駆けた。
「ティト」
 あの小さな民が川に落ちたというのに、呑気に構えるジャナ族に怒りを覚える。その気持ちが、ティトを呼ぶ声を強める。
「ティト!」
 切り出した岩が出番もなく、空しげに並ぶ川辺をすり抜ける。ジャナ族の掲げる明かりが虚ろに照らす川面を、睨むように見る。まばらに並ぶ岩以外、何も見えない。怒りが消え、恐怖が声を押し出す。
「ティトー!」
 土手を滑る。決して浅くはない川に、そのまま飛び込もうとした瞬間、フレディックは大きな岩の一つがゆらりと動くのを見た。

 
 
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  第二十二章(2)・2