蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十三章 孤高なる一族(2)  
               
 
 

 もちろん、そのことに気付いたのは、ユーリだけであった。いや、ミクも、微かに細い眉をしかめたところを見ると、何らかの抵抗を感じたのかもしれない。だが、その時それに対応する力を持っていたのは、ユーリ一人であった。
 素早く意識を広げる。何の断りもなく入りこんで来ようとするスルフィーオ族に、壁を作る。だが、彼らの意識は柔らかく、液体のように壁に染み入り、先へと進む。とても全てを防ぎきれない。とっさにユーリは、意識を一つに集中させた。最も弱いと思われる心を、守らんとした。
 今、彼女に触れてはならない。
 エルフィンの娘の意識を自分の意識で包み込みながら、ユーリは懸命に訴えた。
 たとえ悪意でないとしても、今、彼女の中に入りこむことは――。
『分かった』
 はっきりと、ユーリの心の内に言葉が響いた。
『その者には、触れない』
 紛れもなく、それは声だった。一つの声。だが、意識は八つ。居並ぶスルフィーオ族全ての意思が束ねられ、さらに厳かな響きを生む。
『約束する。彼女には、決して触れない』
 声に嘘はない。いや、意識の声に、嘘などない。相手も、そして自分も。
 ユーリは、警戒の念を緩やかに解いた。エルフィンの娘の心から、意識を離す。瞬間、彼女の魂がほんの少し、すがるように震えたが、ユーリはその震えを今一度優しく包み、そっと離れた。
 意識を自分の内に納める。その動きに、スルフィーオ族の意識が合わさる。
 もう、抗う気持ちはなかった。穏やかに侵入してくる彼らを、むしろ招く気持ちで迎える。心の外輪が触れ、瞬く間に溶け、互いに交わり一つとなる。少しずつ侵食され、少しずつ核に近付く。心地よい眠りに誘われるように、感覚が遠のく。
 一人、ユーリは幻想の中に立った。彼の周りで、あらゆる時が流れていく。それは経験として知る、自分自身の過去であり、知識として知る人類の歴史でもあった。
 こんなことまで覚えていたのか――と、驚くようなものまでが映し出される。鮮やかに、くっきりと、断片的ではあったが、順を追って世界は流れていった。
 が、その合間。切れ切れの過去の隙間を埋めるようにある世界は、ユーリの知らぬものであった。最初、それが何であるか、ユーリは分からなかった。しかし直に、その世界の主が誰であるかを理解する。今、自分と意識を共にしている者。スルフィーオ族の誰か、いや、全て。彼らの心の内にある過去が、目の前にある。キーナスの、カルタスの、偽らざる過去が。
 ユーリは、その隙間に心を合わせた。吸い込まれるように、そこへ落ちる。見知らぬ時の中に佇む。
 だが、不思議なことに、ユーリはその光景に懐かしさを覚えていた。しかしやがて、それは自分の心が感じたものではなく、スルフィーオ族が抱く想いであることに気付く。二つの頂きを有するセルトーバ山の頂上から、広大な草原に建つ白亜の城を望んだ瞬間、激しく乱れた気によって、それを知った。
 景色は美しかった。しかし心は、その美に感嘆するより強く、恐怖に震えた。
 一体?
 駆け抜ける風の音と、清清しい草の匂いの中に、その身を沈める。
 何が?
 疑問の時間は、さほど長くはなかった。頬を撫でる風が、黒髪を軽くなぶる。煽られるように、顔を上に向ける。雲一つない蒼空の彼方で、きらりと星が一つ輝く。
 ――あっ。
 強烈な光が、ユーリの目を焼いた。堅く瞼を閉ざし、さらに両腕で保護する。しかし、意識の目は、空から降り落ちる光を捉え続けた。
 一瞬、音が消える。そして、激しい打撃。大地が、大気が、その光に打たれ砕け散る。粉々となり、塵となり、蒸気となった後で爆音が轟く。炎が地上を舐めるのは、それからさらに間を置いてからだ。
 しかし、大地はそれすらも、充分に許されなかった。打撃はその芯を貫いていた。灼熱の血を流し、裂ける地面。そこかしこに溢れる断末魔は、炎の谷に深く落ち、跡形もなく消え去る。やがて周囲から迫り来る海が、その残り屑を呑んで行く。
 時が、流れる。
 穏やかな青い海原が、何事もなかったかのように、優しげに微笑む。その景色とは裏腹に、心は乾いていく。ユーリはそれを、何度も経験した。
 ある時大地は山であり、ある時大地は砂であった。森であれ、湖であれ、そこには多くの命があった。立派な街も、たくさんあった。それらが無残に叩き潰される様が繰り返される。あの光によって。そしてもう一つ、影によって。
 破壊は二つあった。ただしこの影というのは、ユーリ自身が抱いたイメージだ。大地を死に導く力は、あの光と何ら変わらない。強烈な閃光が起こるのも同じだ。だが、きらりと天の星が落ちてくるような最初のものとは違い、大地を這うように伝う後者の光は、渦巻く暗い波動を伴うのだ。しかもその直後、辺りはこれ以上にない闇となる。その暗闇に引きずられ、ばらばらにされる感覚を持つ。体だけではなく、心そのものが砕かれるように感じる。
「――ユーリ」

 
 
  表紙に戻る         前へ 次へ  
  第二十三章(2)・2