蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十四章 決戦(3)  
           
 
 

 

「いる」
 ブルードラゴンの背から降り立った瞬間、ユーリが呟いた。
「どっちだ?」
 テッドが聞く。
「こっち」
 言葉と同時に走り出す。ぴったりと、その後ろにミクとテッドが付ける。
 階段を下りる。回廊を進む。いくつかの扉の前を経て、急停止する。
 ごくりとテッドが唾を呑み込む間もなく、ユーリはその扉を押し広げた。豪奢とまではいかないが、それなりの調度品が並ぶ部屋。人影は、ない。入り口付近で身構えたまま、素早くそれを確かめたテッドとミクを尻目に、ユーリは迷うことなく中へと進んだ。そして、左側にある扉の前に立つ。二人を振り返る。
「行くよ」
 ユーリはそう言うと、大きく息を吸い込んだ。一瞬、止める。扉を押す。
 大きな空間が、視界に広がる。そこは、謁見の間であった。だが、ここにも人影はない。誰もいない。兵士達はもちろん、玉座も空だ。薄暗い部屋に、ぽっかりと浮かぶように見える王の椅子。そこに向かって、なおも銃を構えながら、テッドが言った。
「誰も、いないぞ」
「――気配が、消えた」
 闇の一角を見据えたまま、ユーリが答える。
「でも、偽王はそこに」
 テッドの銃が、ユーリの言葉の先を追う。玉座の方向、そこから左に視線をずらす。部屋の片隅、一番奥の暗がりに目を凝らす。闇が、動く。
 似ている、とは思わなかった。むしろ、似ても似つかないと思った。なるほど、もしその男がぴんと背筋を伸ばし、あの冷々とした輝きを瞳に宿し、覇気と誇りに満ちた声を出したならば、きっと生き写しであると感じただろう。だが、目の前に蹲る男は、主に見捨てられ、支えるべきものを何も持たぬ、狂気と恐怖にただ囚われた男だった。アルフリートの姿とは、ほど遠かった。
「ベ……ベキーリゥ……」
 掠れた声で、偽王が呟く。
「ベキーリゥ……さ、様……」
 しきりに両手の指を絡め、それを口元に持っていく。左右に泳ぐ目が、自らの中に残る断片を捕えんと足掻く。
「下がれ、下がれ!」
 空を掻き分けながら、甲高い声を出す。
「約を……忠義を……」
 声が、また細ぼる。
「……私を……ベキー……た、助け……」
 テッドはゆっくりと銃を下ろした。そして、首を振る。
「こいつは……もう」
 ユーリは軽く唇を噛み、頷いた。
 男はもう、壊れていた。無理矢理刷り込まれた他人の記憶が、彼の意識に二重、三重の構造を作った。それが似通ったものであれば、少しは違ったかもしれない。しかし、本来の性質とは全く異なる思考を、彼の精神が相容れることはなかった。時が立つにつれ、互いの意識の輪郭が薄れていく。侵食し、食らい合い、あたかも泥炭でできた城のように、その境界線は崩れた。恐らくは――。
 ユーリは目を閉じた。
 大分、以前に……。
「誰か、来ます!」
 ミクの声に、足音が重なる。瞬時に緊張を戻し、テッドは入ってきた扉を見やった。現れたのは、二つの影。いずれも馴染み深い姿であることを認め、ほっと息をつく。
「これは……」
 薄闇に蹲る男を見て、アルフリートが低く呟いた。凛とした気の衣を纏う真の王の横で、オラムが唸る。
「どういうことだ? これがお前の偽者か? まったく、似ていないではないか」
 深い吐息が、アルフリートの口から漏れる。剣の柄にかけていた手を下ろす。張り詰めていた気持ちが行き場を失い、そこに飛散する。想いは、オラムも同様であった。
 それをテッドが代弁する。
「これで――一件落着か? なんか、拍子抜けだな」
「そうですね」
 ミクが頷く。
「肝心の黒幕が、この場にいないのでは」
「無念だ」
 握り締めていた斧を軽く払い、オラムが言った。
「この手で、息の根を止めるつもりであったのに」
「それにしても、なぜ、逃げたのでしょう。私達相手に臆するとは、到底思えませんし」
「逃げた?」
 ミクの言葉に、アルフリートが反応する。
「逃げたということは、そなたたちがここに来た時、奴は」
「いえ、部屋に入った時にはもう。ただ、城に降り立った時には、気配を」
「気配?」
「ユーリが」
 そう言いながら、ミクはユーリを見た。アルフリートもそれに倣う。その場の者、全ての視線がユーリに注がれる。
 ユーリは、双眼を閉じたまま立っていた。誰もが緊張の糸を緩める中、彼の周りだけが、きりりとした空気で満たされている。全員に、その気が伝わる。無意識に、それぞれが己の武器を、手で確認する。

 
 
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  第二十四章(3)・2