蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十五章 導(3)  
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 足が……。
 立っているだけなら、衣に隠れて分からない。だが歩くと、右の下肢部に不自然な空間があることに気付く。一歩、前に出すたびに、纏わりつきながら足の形を写す左側と違って、右は風にカーテンが煽られるように、自由な動きで揺れている。
 その裾から、杖と同じ材質の、細く堅い木の棒が覗いて、隠れた。
「あっ」
 声より早く、ユーリは手を差し延べた。床に散乱した本が、サナの足元を掬ったのだ。傾いたサナの体を起こす。しかしユーリの手は、そのまま少女を支え続けた。サナの顔が強張る。
「もう結構よ」
 振り払うように、サナはユーリの手を退けた。声の調子が荒い。ただしそれは、単に感情だけではなく、歩くという行為の困難さが、彼女の息を弾ませたものだった。
 気遣うように、ユーリが言う。
「でも……あの、支えがあった方が、歩きやすいから」
 その言葉に、はっきりとサナが、不快な表情を示した。ユーリに対し、真っ直ぐに体を向け、背を伸ばす。
「確かにそうね。この杖よりも、あなたの方が便利そうだわ。でも、一体いつまで、わたしの杖でいてくれるの? あの扉を出るまで? 船に乗り込むまで? それとも、旅の間くらいは、面倒見てやろうと考えているわけ?」
「それは……」
「気分に任せて手を貸して、飽きたらそれを放す。そちらはそれでいいでしょうけど、こっちはそうはいかないわ。その場限りの気持ちで、気安く人に――」
 手を貸したりなんてしないで。
 と、サナは言うつもりであった。だが、吐き出すべき息を、サナは逆に呑み込んでしまった。不意に、体が宙に浮いてしまったために。
「な、何をしてるの? 下ろ――」
「あー、うだうだ言うな。この部屋から出るまでだ。大人しくしていろ」
「テッド!」
「サナ――様」
 軽々とサナを抱きかかえ、少なからずの本をその足で踏み締めながら、テッドは扉へ向かった。
「……下ろして」
 数歩進んだところで、サナがもう一度抗議する。意識的に抑揚を押さえ、押し殺すように言う。
「誰の助けもいらない。一人で、歩けます」
「こっちの都合だ。そっちじゃない。別に助けてるわけじゃない。それなら、いいんだろう?」
 そう言い放つと、テッドは少し体を捻った。肩と背で、扉を押しながら開ける。
「一つ、お前さんに言っておくことがある」
 サナを廊下にそっと降ろしながら、テッドは言った。
「エルフィンの伝説、破壊神、そして塔。それらの真実に迫るだけが、俺達の目的じゃない。これから起こること、恐らくはこの星全ての者に襲いかかるであろう悲劇。それを止めるのが目的だ。そしてそれは、もうすでに始まっている。この瞬間にも動いている」
「それは……わたしだって分かっているわ。だから――」
「ああ、そうだな」
 ぽりぽりと右手で頭をかきながら、テッドは続けた。
「そうでなくちゃ、俺達が来るまでに、これほど資料を揃えてはいないだろう。船のことにしてもそうだ。だったら、話は早い。妙な意地を張るのは無しで行こうぜ。足がどうとか、そんなのは関係ない。子供だとか、女だとか、それもだ。誰かの力が他より劣っているなら、みんながそいつに手を貸す。足が遅いなら背負うし、力が弱いなら、そいつの荷を持つ。当たり前だろう、それが」
「ええ、そうですね」
 テッドの背後から、ミクが声を放った。
「そして、礼節に欠ける輩があれば、その者に代わって無礼をわびる」
「……ん?」
 しかしミクは、訝しげな声を出したテッドを無視して、サナの方を向いた。
「サナ・ピュルマ殿。どうぞこの者をお許し下さい。身分もわきまえず、非礼の数々、謹んでお詫び申し上げます。しかるべき罰を与えられても致し方ないところですが、私どもにとっては、このような者でも必要な人材です。今、失うわけにはいかないのです」
「……って、お前さんねえ」
 不満げに腕を組み唸るテッドに、少女の強張った顔が少しだけ緩む。
「お見事、と言いたいところだけど」
 再び冷静な声を取り戻してサナが言った。
「その手はここでしか通用しないわ。もし、ユジュールのシュイーラ国辺りで同じような振舞いをすれば、テオドール・アンダーソン、あなたの首と胴体は、とっくの昔に離れた状態でそこに転がっているでしょうね。言い訳や弁解など聞く前に。とにかく命が惜しければ、以後、言動には十分、気をつけることね。わたしにではないわよ。あっちに行ったらの話」
 軽く、言葉の端に刺を含ませてそう言うと、サナは踵を返した。杖が三度、床を叩いたところで止まる。
「ああ、忘れていた」
 振り返る。少し、首を傾げるようにして、テッドを見る。
「このまま立ち去るようでは、わたしの首も危ないわね。ありがとう、礼を言います。お荷物なわたしを、ここまで運んで下さって」
「って……そんな言い方をされても、ちっとも嬉しくないんだが」
「テッド!」
「首の換えが、十はいるわね。それとも、百かしら」
 サナが笑う。そこにもう、刺はない。初めて、少女らしい笑みを見せた後、サナは改まるように姿勢を正した。
「ごめんなさい、わたしの悪い癖なの。初対面の相手には、どうしても気負うところがあって。旅が始まれば、あなた達には何かと助けてもらうことになると思うけど。その時は、よろしくお願いするわ」
 そう言うと、少女は再び背を向け歩き出した。助手の紳士が、その二歩ほど後ろを付いていく。長い廊下の先を曲がり、二人の姿が見えなくなったところで、ユーリが一言呟いた。
「いい感じの、子だね」
「そうか?」
 すかさずテッドが答える。
「なんだか、微妙に誰かに似てないか?」
「似てる?」
「そう、口調は少々違うが、考え方というか、物の言いようというか。こう、癇に障るくらい、理屈が通ってるところとか」
「それって――」
 ユーリはそう言うと、傍らを振り返った。同じ動作のテッドと視線が合う。その先に、顔を向けるべきか否か。迷ったところに、ミクの声がかかる。
「テッド、ユーリ」
 首の後ろをつかまれでもしたかのように、ユーリ達は肩をすぼめ、ミクを見た。冴えたグリーンの瞳が、冷たく二人を刺す。
「前々から思っていましたが、テッドはもちろんのこと、ユーリも、もう少し丁寧な言葉遣いができないといけませんね。今回の船旅は、その辺りをしっかりと勉強する、いい機会となりそうです」
 そこで、ミクはいったん言葉を切った。唇の端が、面白そうに上がる。
「せいぜい落ち零れないよう、二人とも頑張って下さい」
 弾けるような笑い声が、廊下の奥から響いてきた。随分と楽しい時間を過ごすことができた様子のティト達を見やりながら、ユーリとテッドは、長く重い溜息をついた。

 

 
 
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