蒼き騎士の伝説 第四巻                  
 
  序章 波涛を越えて  
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 ユーリは、マストの根元にあるピンレール、コの字型の木柵に、背中を預ける形で座っていた。風を抱いた帆の作る影が、ユーリの顔に優しく落ちている。漆黒の髪と長い睫を艶やかに染めながら、気持ち良さそうな眠りを提供している。
 この恩恵は、彼の膝上に身を預ける者にも、同様に降り注いでいた。パペ族よりもさらに小さなキュルバナンの民。柔らかそうなアッシュブラウンの髪の少年、ティトだ。丸っこい掌で、ユーリの膝頭をつかみ、幸せそうな吐息に肩を揺らしている。それは、ユーリの右肩を枕にする金髪の少女、サナも同様で、三人の姿は、仲の良い動物の兄弟が、身を寄せ合って眠っている様を連想させた。
 ミクはもう一度大きく微笑むと、今しばらく彼らが夢の中で遊ぶことを許し、その場を去ろうと踵を返した。ところが逆に、彼らの元に駆け寄るものがある。あっと思って振り返った時、それはユーリに向かって声を張り上げた。
「にゃあ〜」
 ユーリの睫が小さく震える。
「にゃあ〜」
 軽く拳を握るように、丸めた左手でユーリは目を擦った。瞼を閉じたまま、その手を声の方に伸ばす。
「みゃあ」
 甘えた声を出し、猫はユーリの手に顔を擦りつけた。ユーリの目が、ゆっくりと開かれる。漆黒の瞳が、光を吸って輝く。
 と、ユーリの体が大きく後ろに仰け反った。その影響を、サナとティトがまともに受ける。
「う〜ん」
「ふえ」
 若干の抗議を含む声を出し、二人が眠りから覚める。そして――。
「きゃあ!」
「うわっ!」
 少女がユーリにしがみ付き、少年がその身の丈の半分ほどまで飛び上がる。
「ね、ねずみ!」
「そうだ、ねずみだ。ねずみは嫌いだ。こういうデカイねずみは、特に嫌いだ」
「しかも、まだ生きてるし」
「生きたねずみも、死んだねずみも、嫌いだ」
「どうして、こんなものを持ってくるの?」
 猫に向かって、サナが憤然と抗議する。その姿に、ミクは笑いを押えきれないまま、近付いた。
「そんなことを言っては可哀想です。むしろ、誉めてあげなくては」
「あっ……ミク」
 小さな二人より衝撃が大きかったのか、完全に体を強張らせていたユーリが、ようやく緊張を解く。
「誉めて――あげる?」
「ええ」
 風に払われた髪を撫で付けながら、ミクはユーリの側にしゃがみ込んだ。
「多分この猫は、あなた達を親だと思っているのでしょう。なので、自分が見事に狩りができることを、こうやって見せに来たのです。ですからちゃんと、評価してあげなくては」
「あれ? 俺が聞いたのは、逆だったけどな」
「あっ、テッド」
「病院の方は、どうしたのです?」
「午前の診療は終わり。今は休憩」
 そう言うと、テッドは猫の頭を軽く撫でた。
「こいつは、お前達のことを自分の子供だと思ってるんだ」
「子供?」
 そう問いかけてきた三対の目に、テッドは苦笑した。二人はいいとして、一人はいくらなんでもでか過ぎる。笑いを噛み殺しながら、続ける。
「つまり、どうやって狩りをしたらいいか、教えようとしているわけだな。まっ、せいぜい頑張って、たくさんねずみを捕まえてこい」
 ティトの頬が膨らみ、サナの眉が吊り上る。そしてユーリの口元がほんの少しだけ尖りかけたその時、天上から高らかな声が響いた。
「陸だ! 陸が見えるぞ。西方に、ユジュール大陸」
 甲板が沸き立つ。しっかりと、自分達の位置に確信を持っていたユーリ達ですら、その知らせは心を躍らせた。
 舷縁に駆け寄る。四方八方、海しかなかった水平線の上に、はっきりとした形を見出す。
「アラドマルナの海岸だ」
 すぐ側に立つ水夫が、ユーリを見上げながら言った。
「このまま、もう後三日、陸沿いに進み、カシュカルの港に船を付ける」
 水夫の指差す彼方を、ユーリは見つめた。瞳の中で、煌く波涛が影を刻む。徐々に迫り来る陸地に合わせるかのように、ユーリはその表情を、厳しく変えていった。

 

 
 
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