蒼き騎士の伝説 第四巻                  
 
  第一章 砂の街(2)  
               
 
 

「少しはよくなると、思ったんだよ」
 酔いも手伝ってか、その目を血走らせながらモルスが言う。
「新しい領主の血の半分は、俺達と同じソンの血だ。あいつは妾の子だからな。正妻との間に子供ができなかったんで、随分ごたごたしたんだが。あいつに決まって、俺達は大喜びしたのによ」
 腹立たしげに、拳で床を叩く。
「それが……これじゃあ、前と同じだ。いや、前より悪い。どんどん締め付けが厳しくなってきている。あの番犬どもののさばり具合はどうだ。前はあそこまで酷くはなかった。最近、言葉巧みに領主に取り入った、占師のせいだと言う者もいるが。どっちだろうと、俺達には関係ない。はっきりしているのは、今の領主になって、ますます状況が悪くなったということだ」
 モルスの黒い目に、憎悪の影が揺らめく。仲間だと信じていただけに、恨みが深いのだろう。仕組みとしては、同胞の少数部族を支配者にするやり方と似ている。
 モルスの話によると、領主はまだ十五歳であるとのことだった。他にも妾の子はたくさんいたようだし、彼が選ばれた裏に、何らかの作為があったとしても不思議はない。側近の占師というのも、案外、誰かの息がかかった者なのかもしれない。同じ血を持ちながら、人々を苦しめる。同胞でありながら、仲間を虐げる。怒りを膨らませ、憎しみを募らせ、一体その者は、何をしようとしているのか。
 ユーリ達の表情が、モルス以上に険しさを増す。それが逆に、彼の憤怒を沈めた。気まずそうに頭をかきながら、モルスはびっしりと髭の生えた口端を吊り上げた。
「悪かった。客人に言っても仕方ないことだな。とにかくそういうわけなので、あんた達があいつらの鼻を明かしてくれて、本当にすっとしたんだ。俺達にとってはロナ族より、あの領主より、あんた達の方が良き友であり隣人だ。髪の色が違おうが、目の色が違おうが、髭も生やさぬ生白い男であろうが、生意気に男と並んで座り、やたらと口を挟む女であろうが――」
「それが」
 からかうような視線を投げかけたモルスに、サナは前のめりになっていた体を元に戻しながら呟いた。
「良き友、隣人に言うせりふ?」
「はははっ、確かにな。客人には客人の慣わしがあろう。元気のいい女も悪くない。とにかく、こんな素晴らしい友を授けてくれたソレノアの神に、感謝せねば」
 その目に和やかな色を湛えながら、モルスは右手を胸元に当てた。人差し指と中指だけを伸ばし、少し斜めに構えて小さく会釈する。
「今夜は、ゆっくりしていってくれ。いや、今日だけとは言わず、何日でも。弟を助けてくれたお礼だ」
「弟?」
 サナの目が、丸く膨らむ。セネを見据え、さらに奥の部屋から顔だけを覗かせている少年を見やりながら、尋ねる。
「じゃあ、ひょっとして向こうの二人も弟?」
「ああ。で、こっちの三人も弟」
 モスルはそう言うと、部屋の隅であぐらをかいている髭面の男達を顎で指した。
 黒い髭に隠れてはいるが、よく見れば、確かに顔はモルスよりも若い。酔いが回ったのか、そのうちの一人は半分瞼が閉じている。残る二人も、さすがにもう酒は入らぬようだ。一応は姿勢を正して座しているものの、その目はとろんと溶けている。
 ユーリは、一人最後まで酒を呷り続けている、頼もしい長男を見据えた。そして、澄んだ声を放つ。
「ありがとう。じゃあ、一晩だけ」
 酒を飲む手を止め、モルスが尋ねる。
「一晩だけ? 急ぎの用でもあるのか?」
「ソーマの目まで、行かなくちゃいけないんだ」
 モルスの目が、大きく見開かれる。その驚愕を声にする。
「ソーマの目だと? あんなところに、何しに行くんだ? いや、それ以前に、ひょっとしてお前達だけで砂漠を超える気なのか?」
「そのつもりで、私達はこの街に来ました」
 ユーリの後ろに控えていたミクが、そう答える。
「デグランを手に入れるために、領主の許可をと。しかし、あの市場で、あの騒ぎとなって」
「ふん」
 モルスが笑う。
「そりゃそうだろうな。あんた達は今や立派なお尋ね者だ――で、要するに、俺にその責任を取れと?」
「私は、別に」
「当然だ」
 ぴしゃりとモルスが言い放つ。
「こちとら、あんた達に感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはないからな」
「感謝?」
「ああ」
 訝しげな視線を向けたサナに、モルスは大きく頷いた。
「デグランを何頭仕入れようと、よそ者だけで砂漠を渡ることなど無理だ。俺に会っていなきゃ、そうだな、七日後くらいには、みな砂漠で干からびていただろうよ」
 モルスはそう言うと、酒瓶を背後に押しやった。素早く後ろに控えていた黒衣の女性が、それを片付ける。
「よし」
 モルスが両手を打ち合わせる。
「じゃあ、取引といこうか」

 
 
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