蒼き騎士の伝説 第四巻                  
 
  第三章 誇りの在り処(1)  
           
 
 

 そのミクの言に、男の表情が変わった。用心深く、探るような目を向ける。
「賃金はいらない、だと?」
「はい、その代わり、案内して欲しいところがあるのです」
「案内?」
「ソーマの目に」
「な、なんだと?」
 目と口とを大きく開けて、男が呻いた。はっきりとその顔に、驚愕だけではなく恐怖の色が浮かぶのを見て、ミクは軽く眉を寄せた。
 ソーマの目という言葉の由来は、サナから聞いた。イソラ砂漠のほぼ中央、風もないのに砂が渦巻くところが、それだ。踏み入った者はおらず、もちろんそこから帰ってきた者もいない。渦の中心には黒い塔が建っており、その様が、ソン族の信仰の中にある、闇と恐怖をもたらす神――普段は砂の中に身を沈め、時折黒い目だけを覗かせて、人を闇の世界へと誘う――という、ソーマを彷彿させることから、そう呼ばれるようになったと。
 そのような神がそこにあるとは、もちろん信じていない。ただ、予測不能な砂嵐が起る特異な場所、危険な場所である可能性は高い。だが、その認識を、彼らにも要求するのは無理な話だ。科学というものがまだ充分ではないこの世界で、恐怖は生きる智恵の一つである。その智恵を、否定することはできない。
「もちろん、あなた方にそこまで行って頂くつもりはありません」
 顔を強張らせたままのシャグ族に、ミクは言った。
「近くまで。遠く、塔が見えるところまでで、結構――」
「断る」
 長い腕を振り上げ、男が踵を返した。なおもミクが食い下がる。
「待って下さい。あなた方に危険が及ぶようなことは、決してないように」
「そんなことは、どうでもいい。それ以前の問題だ」
「それ、以前?」
 シャグ族の男は体を返し、見下すかのような視線をミク達に注いだ。そして両の口端を、引き攣るように歪める。
「護衛に雇えなどというから、少しは腕があるのかと期待したが。ソーマの目に行きたいなどと、戯け者でも口にしないようなことを言い腐るとはな。そんな馬鹿者どもの話を、まともに聞けるか。やはり見てくれ通りだな。どいつもこいつも、使えない者ばかりだ」
「シャグ族ともあろう者が」
 ミクの眉が、意図的に引き上げられる。
「見た目だけで判断するのですか? その者の能力を、外見だけで」
「頭の中身も、ちゃんと考えに入れたはずだがな。まあ、いいだろう。そこまで言うなら、お前達の腕を試してやろう。ただし」
 すっとユーリに向って長い手を伸ばし、男が言う。
「剣士はいらんぞ。欲しいのは弓使いだ」
「弓?」
 瞳を膨らませたユーリの横で、ミクが問う。
「なぜ、弓なのですか?」
「ふん。盗賊相手なら、剣でも何とかなるだろうが。セガピム相手に接近戦では勝ち目がない。奴らに近付かれた時点で、もう終わりだからな。まさか、そんなことも知らないで、護衛させろなどと言ったわけではなかろうに」
 高い声で、男が笑った。その声を受け、周囲からも蔑むような笑いが起る。それが一周、二周と渦を巻いたところで、テッドが呟いた。
「要するにだ」
 右手で、顎を撫でる。
「飛び道具ならいいってことだろ? なら話は早い。とっとと始めようぜ。その腕試しとやらを。お前らが見たこともない技、見せてやるから」
「テッド」
「任せとけ」
 ミクを制して、テッドが一歩前に出る。その動きに合わせ、シャグ族の男が顎をしゃくった。ばらばらと周りにいた者達が慌しく駆ける。ほどなく、広場の北端に、細長いベンチのような木台が置かれ、そこに高さ二十センチほどの、筒状のものが八つ、並べられた。
 先ほどの男が、勝ち誇ったような声を出す。
「この的を全部射抜いてもらおう。あそこから」
 かさぶたに覆われた手が、広場の南端、五十メートルほど先に立つ人物を指す。
「ただし、使う矢は八本までだ」
「どうでもいいが」
 右に左に、軽く首を回しながら、テッドが声を出す。
「ちょっと並べ方を変えたいんだが。八発も無駄ダマ打ちたくないんでな」
「並べ方を変える?」
「そう、縦に」
「何だと?」
「その代わり、弾は――じゃねえ、矢は一本限りってことで」
「な、何?」
「でもまあ、それじゃあ少し派手さに欠けるよな。そうだ、ユーリ」
「ん?」
「ちょいとあの台の側まで行ってくれ」
「テッド!」
 ミクの声に、戒めの響きが加わる。
「ウィリアム・テルでも気取るつもりですか?」
「そうじゃなくて。止まってる的を撃っても、面白くねえってことだよ」
 軽く左手を振りながら、テッドは南寄りに立つ男に近付いた。よおと声をかけ、北を向く。納得しかねる表情で、それでも一応台の向きを変えるシャグ族達を見やりながら、銃を取り出す。
「よーし、ユーリ。その一番手前の赤いやつを持って、少し離れたところから、思いっきり高く放り投げてくれ。ただし、位置を真っ直ぐに合わせろよ。まあ、的がでかいから、ちょっとくらいずれても問題ないが」
 ユーリは、台の上の的を一つ、手に取った。厚手の布を、ぐるぐると筒状に丸めたもの。そこかしこが綻び、矢に貫かれたであろう穴が空いている。布自体に、さほど古さは感じない。まだ新しい、ぼろぼろの的。要するにこれは、日頃から頻繁に、シャグ族が弓の練習に励んでいる証だ。
 それだけ、相手が手強いということか。
 心の中でそう呟くと、ユーリは北側の壁に視線を向けた。レイナル・ガンであれば、八つの的を打ち砕くだけでは止まらず、その先にあるものも破壊するだろう。ぞろぞろと集まる見物人達が、町の崩れた壁を超えて、後ろに回り込もうとするのを手で制する。充分に安全と思える位置に、彼らが移動するのを確かめてから、改めて台を見る。慎重に、そこに残る色違いの布筒の位置を確認し、台から離れる。
 左を見る。テッドはすでに膝をつき、狙いを定めている。傍らのミクが、こちらを向き、一つ頷く。ユーリの手が、赤い的を解放する。
 高く上がった筒が、弧を描き、落ちる。落ちきる寸前で、目に光が焼き付く。色が、周囲に弾ける。赤、そして続けざまに緑、黄色が飛ぶ。こうなれば、もはや最後まで見る必要はない。一直線に並べられた的を、次々に花と散らす白い光線は、止めに町の崩れかけた外壁をも吹き飛ばし、砂の彼方へと消え去った。

 
 
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