空間に、緊張が走る。ガジャの喉が、もう一度鳴る。左腕をロープに絡めるようにして体を固定させながら、ガジャは右手を伸ばした。その手が微かに震えているのを見て、自嘲する。
心の中で気合の声を鋭く発しながら、ガジャはその手を進めた。堅くひんやりとした感触に、自身の手をぶつける。
息を吸う。そして吐く。
その間、何も起こらなかった。が、もう一度深く息を吸おうとしたその時、石が強烈な光を発した。目が眩む。思わず後ろに仰け反る。体勢が崩れ、ほとんど落ちるようにロープを下る。下にいたテッドが、身を呈して受け止めてくれなければ、床に叩きつけられ、骨の一本くらい折っていたかもしれない。
抱えられながら、起き上がる。テッドの顔を一度見て、それから周囲を見渡す。もう、あの光はない。呻くように、問う。
「上手くいったのか?」
「汝、我の鍵にあらず」
「正しき者を示せ」
「第一の……」
ユーリとミクに続いて呟いたテッドが、小さく頭を横に振る。
「悪い。俺はそこまでだ。ガジャの落ちる姿が目に入ったもんで」
「仕方ありません。この場合、その判断が最良です。残る文章は――サナ、読み取ることができましたか?」
「第一の鍵とは、ちょうど。……そう、あの壁にはあったわ」
「ちょうど?」
ミクが首を捻る。
「おかしいですね。文章が途切れている」
「――対する者を示せ」
口角をわずかに引き上げ、サナが誇らしげに言う。
「残りは、そう床に」
「見事ですね、サナ。でも、そうなると」
ミクの声に従い、みなの視線が一方向を見る。きょとんとした顔の、ティトを見つめる。
「第一の鍵、すなわちキュルバナンの民に対する者」
「対するってのは、対立している、そういう意味か?」
「ティト」
ミクがティトの前に跪く。
「あなた方と対立している、敵対している種族はありますか?」
「テキ……タイ?」
眉を寄せ、首を傾げるティトに、ユーリが微笑みかける。
「そうだな、つまり。あんまり好きじゃないというか、そういう」
「嫌いな奴のことか?」
くいっと顎を上げながらティトが言う。
「おいらは、デカイ奴が嫌いだぞ」
ユーリ達が顔を見合わせる。一呼吸置き、同時に叫ぶ。
「ジャナ族!」
「……なるほどな。だとしたら、あの高さも納得だ。実際に見たことはないが、話によると、相当な大きさらしいからな。あれくらい、ひょいと手を伸ばせば届くだろう」
そう言って、一つだけ色の違う石を見上げるテッドの横で、ガジャが恨めしげな声を出す。
「あんなところに手の届く奴がいるのか? お前達の国には」
「まあね」
「そんな凄い奴がいるなら、最初から連れてくればいいだろう。あの巨大な虫との戦いにも、きっと役立ったろうに」
「それは、どうかしら」
サナが苦笑する。
「彼らに戦いは不向きだわ。何より、あの大きな体で砂漠を旅することなど。いえ、砂漠よりまず、海ね。とにかく、大変な課題だわ。あの巨人達を運ぶとなると、最大級のものを十隻用意しなけらばならないから」
「十隻?」
ユーリの問いに、サナが肩を竦める。
「彼らは常に、十人で行動するの。仕事を受ける時はいつもね。それに、この仕事というのも、問題なのよね。彼らを納得させる、上手い理由を考えなくてはいけないわ」
「とにかく、これで」
今一度、赤みの強い石をペンライトで照らしながら、ミクが言った。
「一応の一歩ですね。課題は残されていますが、鍵が何であるかを知ることができました。そして、第二の鍵を開いたその先に、さらなる道があることも」
「うん、そうだね」
ユーリが頷く。
「この向こうに、何かがあるのは確かだ。感じる。前と同じ、アルフリート王が幽閉されていた時と同じ」
「ユーリ?」
ユーリの顔から表情が失せる。唇が虚ろに言葉を紡ぐ。
「哀しみ、怒り、憎悪、憎悪、憎悪――」
「おい、ユーリ」
「大丈夫だよ、テッド」
心配そうな瞳に、ユーリが微笑を返す。
「大丈夫、意識は薄い。と言うより、壁が厚くて、遠い感じかな。引きずられるようなことはないから」
「それにしても、この塔は一体、どういうつもりで建てられたのでしょう。対立する者同士を鍵とし、その奥に渦巻く憎悪の思念を抱いた空間が広がっている。まるで、底知れぬ暗黒の闇のような――」
「塔……ってか」
ミクの言葉を、テッドがそう受け継いだ。誰もがそこで押し黙る。あるはずのない風が、ひょいと襟首を撫でたかのように感じ、首を竦める。
かさぶたのついた手でそれを振り払いながら、ガジャは意識的に声を張り上げた。
「さあ、早く戻ろう。上に、砂の世界に。ここにはもう、用はないんだろう?」
みなが頷く。目を覆う、耳を塞ぐ、砂嵐さえ恋しく思いながら、一行はその塔を後にした。