蒼き騎士の伝説 第四巻                  
 
  第五章 沈黙の大地(2)  
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「なんだか、羨んでいるような言い方ね。綺麗な花嫁を見て、わたしも早くあんな結婚式をあげたいって、そう願う少女のように」
「サナは、そう思わなかったのですか?」
「わたしは――」
 振り向いたミクの視線を避けるように、サナは顔を背けた。足元を見る。軽く、眉を寄せる。
「――別に」
 と、そこまで言って、驚く。大きく目を見開き、ミクの方を見る。
「ミクは……そう、思ったわけ?」
「そんなに、驚くようなことですか?」
 サナの青い瞳の中で、ミクは面白そうに笑った。
「もちろん、私は少女ではありませんから。ただ漠然と、愛する人もいないうちから、夢見るようなことはないですけど」
「そうよね」
 と、頷きかけて、また驚く。
「ということは、好きな人がいるってこと?」
「そんなに、不思議そうに言わないで下さ――」
「それは、どっち?」
 聞いて、サナは顔を赤らめた。しまったと思った時には、もう疑問が口をついていた。そのまま俯きかけ、止まる。視界でふわりとミクの姿が揺れ、耳元を彼女の赤い髪が掠めた。
 吐息が、言葉を紡ぐ。
 サナは、顔を上げた。
「ですから」
 柔らかく、ミクが微笑む。
「心配はいりません」
 サナの頬に、炎の熱が灯る。慌てて篝火の方を向くと、サナは深く顔を膝に潜りこませた。その状態のまま、くぐもった声を放つ。
「でも……大変ね。彼、そういうことには、何だか鈍そう」
「それはあなたも同じです。そういうことに限らず、全般的に彼は鈍感ですから」
「ふっ」
 思わず喉の奥から息が零れる。押えきれずに、笑い声となる。夜の闇に、軽やかな音が吸い込まれる。炎と共に、天に上る。
 耳で、そして目で、それを追いながらサナは言った。
「でも、わたしは――」
「気にすることはありません」
 空に輝く銀の星のような、澄んだ声でミクが囁く。
「言ったでしょう? 彼は鈍感ですから。あなたが気にしているようなことを、気にしたりはしません。そういう人間では、ありません」
「……ミク」
「おい、お前さん達、まだ起きてたのか?」
 炎の陰から不意に出てきた人影に、二人は一瞬固まった。心臓が、驚きできりっと痛む。そして、次の瞬間、弾ける。
「ふふっ」
「ふっ、ははっ!」
「な、なんだよ。何がおかしい。一体、何の話をしてたんだ?」
「何でもありません。テッドには関係ないことです」
「そうそう、これは」
 軽くサナは腰をずらし、ミクの方に体を傾けた。
「女同士の話だから」
「なんだ? それ」
「それより」
 口元に笑みを残したまま、ミクが尋ねる。
「あなたの方こそ、まだ休んでなかったのですか? 羽目を外すのも、ほどほどにしないと」
「羽目を外しているのは、俺じゃなく、ガジャ達の方だ」
「ガジャ達、ですか?」
 そう訝る声を上げたミクの横に、テッドがどかりと腰を下ろす。
「あいつらが、あんなに酒癖が悪いとは思わなかったぜ。とにかく話がしつこくて」
「話って、なんの?」
 ミク越しに、顔だけをひょいと覗かせて、サナが言った。テッドも首を傾げ、サナを見る。
「女房のこと、子供のこと、愚痴やら自慢やら、同じ話をくどくどと。じゃあ、そろそろと腰を上げる度に引き止められて。ようやく隙を見つけて」
「ここに来た、というわけですね。で」
 冴えた調子でミクが言う。
「ユーリは?」
「ん? あいつは、まだ」
「つまり」
 ミクの声が冷える。
「彼を囮にして、自分だけ逃げてきた、というわけですね」
「お前さん……ねえ」
「仕方ありませんね」
 さらりと髪を揺らし、ミクは立ち上がった。
「では、私が助けに行ってきます。あなた達も、適当なところで切り上げて、ちゃんと休んで下さい」
 軽く微笑を残した顔でそう言うと、ミクはその場を立ち去った。
 再び、周りの音が鮮明となる。風の音。すやすやと眠る人々の吐息。恋人達の、甘い囁き。
「いい結婚式だったな」
 炎を見つめながら、テッドが言った。その声に、サナはほんの少し間を置いてから、答えた。
「ええ」
 赤い炎に視線を定める。
「とても素敵な、結婚式だった」
 篝火の炎が弾ける。華やかに煌き、空に舞う。闇の中で、名残惜しげに揺らめきながら、天に溶ける。
「さあて」
 大きく伸びをし、テッドが立ち上がった。
「そろそろ寝るか。戻ってきた女王陛下に、どやしつけられる前に」
「そうね」
 頷き、立ち上がろうとしたサナの前に、影が過ぎる。差し延べられたテッドの手。あまりにも自然で、あまりにも当たり前のように存在する手。
 サナは、その手を取った。迷うことも、悩むことも、嘆くこともなく、その手を支えに立つ。
 炎がまた高く、火の粉を吹き上げた。その光が、サナの頬を赤く、美しく染め、散った。

 

 
 
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